日独シンポジウム

日独シンポジウムの意義

主として本学法学研究科とフライブルク大学法学部のスタッフにより行われてきた、日独法学シンポジウムの活動と成果は、本研究科の個性と研究水準とを代表するものの一つである。
この活動は、こんにち盛んに行われている、日本と外国の特定の大学間で定期的に開催されるシンポジウムの草分けとして、日本の法学史上に先駆を為している。また、法学について領域横断的なシンポジウムを行ってきた点で、テュービンゲン大学法学部のスタッフと日本のドイツ法をよくする、現在は磯村保教授(早稲田)及び神作裕之教授(学習院)を中心とする法学者との間で開催されるシンポジウム(1988年~)と、双璧をなすものである。成果を日本語とドイツ語(部分的に英語)との双方の言語によって、独立した書物として刊行してきたという点では、われわれの日独法学シンポジウムは他との比較を絶する。

 

 

 

シンポジウムの様子

日独シンポジウムの歴史

日独法学シンポジウムが実際に最初に開催されたのは、1991年7月4日から6日までの三日間で、マックス・プランク外国刑法国際刑法研究所においてのことである。爾来、当初は二年に一度、ある時期からは三年に一度ほどのリズムで、本学法学研究科およびフライブルク大学法学部のスタッフを中心とするメンバーにより、交互に会場を定めて、これまで全部で9回のシンポジウムが開催されてきた。大阪で開催される場合には、広く学外の研究者や市民にも学問的な討論の雰囲気を伝えることも試みた。その成果は日独双方の言語で単行本として公表されてきた。
本シンポジウムの活動と業績の学問的評価については、原則的には第三者に委ねるべきことであろう。ここでは、日本を代表する比較法学者五十嵐清がその遺著『ヨーロッパ私法への道』(悠々社、2016)において、「日独間には特定大学間の交流がめざましく、とりわけ大阪市大とフライブルク大学の交流が有名である」と紹介しておられるのを記すにとどめたい。
この法学国際学術交流のアイディアが生まれたのは、1980年代後半のことで、当時、本学のドイツ法担当教授だった石部雅亮(1933⁻ )を中心として、刑事訴訟法の光藤景皎(1931-)、欧州政治外交史の山口定(1934-2013)、労働法の西谷敏(1943- )、民事訴訟法の松本博之(1946- )、民法の兒玉寛(1954⁻ )が日本側で力を尽くし、ドイツのフライブルク大学側では、当時、同大学の西洋法制史学担当教授であったクレッシェル(Karl Kroeschell, 1927⁻ )を中心として、民法担当教授のミュラー・フライエンフェルス(Wolfram Müller-Freienfels, 1916-2007) 、民事訴訟法学のアーレンス(Peter Arens, 1933-1991)、法哲学のホラーバッハ(Alexander Hollerbach, 1931- )がこれに協力した。
以上を踏まえてフライブルク大学(正式にはAlbert-Ludwigs-Universität Freiburg)法学部と本学法学部(当時、2001年より大学院法学研究科)の提携がなり、1991年7月に第一回のシンポジウムが開催された。「提携にあたって、これをたんに友好的、儀礼的なものに終わらせることなく、実質的に意味のあるものにしたいというのが、双方の一致した希望で」あった(石部・松本編『法の実現と手続』(1993)の「はしがき」より)。この「双方の一致した希望」が、この日独法学学術交流を今日まで支える拠り所を形成する。現在、ドイツ側は民事訴訟法担当教授のブルンス(Alexander Bruns, 1966- )および社会法担当教授であるクレバー(Sebastian Krebber, 1963- )が、日本側は、民事訴訟法学担当教授の髙田昌宏(1959⁻ 、本学名誉教授、2017年4月から早稲田大学法学学術院教授、本学名誉教授)、欧州政治外交史の野田昌吾(1964⁻ )およびドイツ法の守矢健一(1967-)が(2017年4月に早稲田大学法学学術院に転任されるまでは、民事訴訟法の髙田昌宏本学名誉教授(1959-)も尽力)、中心的に活動に携わっている。

日独シンポジウムの特長

このシンポジウムでは、法と政治の諸領域の全体をカバーする問題を扱うことに大きな特長がある。全体テーマとしては、法的政治的にアクチュアルであると同時に理論的にも要求度の高い課題を選ぶように心がけてきた。その課題を基礎理論的に、また実践的に、考究するのである。こうした取組みを可能にするために、日独の法学者は完全に共通の土俵に立ち、国際的に通用する専門知を前提としてなおかつ専門分野横断的に、議論を闘わせることを試み、また愉しんできた。ドイツでも学問的に高い評価を受けているフライブルク大学法学部の同僚と、また本研究科の同僚と、文字通り厳しい相互批判を避けず、むしろこれを愉しみ、学問的に切磋琢磨できるというのは、研究者として大きな魅力である。このことはシンポジウムそのものだけではなく、その後の論文集刊行の作業に至るまで続けられる。また、大阪でシンポジウムが開催される際には、市民にも公開して、社会還元に努めた。
そもそもこうしたシンポジウムは、シンポジウムに直接参加しない方々を含む、法学研究科スタッフ全員の深い理解と、恒常的で闊達な知的相互交流によって、支えられてきたものである。冒頭に「日独法学シンポジウムの活動と成果は、本研究科の個性と研究水準とを代表する」と記したことの意味はここにある。
なお、そのような研究者が教壇に立って法学政治学教育に携わることが、向学心に富む学生にも魅力があるのではなかろうか。それは偏差値による輪切りや大学ランキングの評価では容易に測ることのできない魅力ではないか。高校生を含む知的好奇心旺盛な若者に、こうした大阪公立大学法学部の取組みに関心を持っていただければ、ほんとうに嬉しい。