卒業生訪問

2024年4月21日

建築を歴史と設計から考える|前川 歩(建築史家)

大阪市立大学、大学院で建築史を学んだ前川歩さん。
修了後は組織設計事務所で活躍され、その後は、国立文化財機構奈良文化財研究所、文化財防災センターで研究職に就く。そして2022年4月からは、畿央大学人間環境デザイン学科の講師にも着任された。
歴史研究や文化財の保存と、新しい建物の設計は、一見するだけでは相反する行為にも見えるが、前川さんはどんなヴィジョンを持ち、双方に携わられているのだろうか。

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大阪市立大学と建築学科を選んだわけ

――なぜ、大阪市立大学、そして建築学科を選びましたか。大学入学前後のエピソードを聞かせてください。

前川 建築学科を選んだのは、ゼネコンの設計部で仕事をしていた父親の影響ですね。そのため、建築学科に入ることは早くから決めていました。大阪市立大学を選んだ理由は、大阪に祖母がいたことと、土木と建築が合体した社会工学や建設工学といった学科ではなく、「建築学科」が独立している大学だったからです。

入学してすぐのオリエンテーションの日、その足で本屋さんに行って『新建築』と『SD』という雑誌を購入し、パラパラと眺めていました。すると両方の雑誌に、建築家の長田直之さん(ICU一級建築士事務所)の作品が載っていて「かっこいいな」と思ったんです。長田さんの事務所が大阪にあると知り、「アルバイトに行かせてもらっていいですか?」とすぐに電話をかけました。

恩師との出会い

――前川さんは、学部・修士ともに中谷礼仁先生(現在は早稲田大学)の研究室で学ばれました。中谷先生との出会いや、研究室での活動内容についてお聞かせください。

前川 入学当初は、「建築家のアトリエがたくさんあり、直接学ぶ機会に恵まれている東京の大学にやっぱり進学したかったな」という気持ちも強かったんです。そのため、東京の大学を再受験しようか迷っていました。そんなとき、長田さんから「来年度から、市大に中谷さんが教えに来るよ」と教えてもらったんです。それで市大で学び続けようと思いました。

というのも、中谷先生のことは、入学前から知っていたんです。高校生のとき、家にあった『磯崎新の革命遊戯』(監修=磯崎新、編者=田中純、TOTO出版、1996)という本をたまたま読みました。総合プロデューサーである建築家の磯崎新さんと、磯崎さんが指名した4名の専門家との対談が展開されています。

その本の中で、中谷先生は建築家の伊東忠太を取り上げていました。そのため、先生のパートには、建築の写真ではなく伊東のフィールドノートや妖怪の絵図などがたくさん並び、とても異様な雰囲気でした。「いったいこれはなんなんだ?建築に関係あるのか?」と不思議に思ったことを覚えています。

その読書経験がとても印象深かったので、2回生になって中谷先生が赴任したその日に、研究室に会いに行ったんです。中谷先生は「早速やって来るなんて、なんか変なやつだな」と(笑)。そこから先生と親しくなり、4回生になって中谷先生の研究室に入りました。


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前川さんの印象に残った、妖怪の絵図が載っているページ 

――研究室では、どんな活動をしましたか。

前川 卒業論文では、宝暦8(1758)年に日本で最初に書かれたという建築辞書『紙上蜃気』を研究してまとめました。また修士の頃は、中谷先生が率いる「都市連鎖研究体」と、建築家の宮本佳明先生(当時、大阪芸術大学)が率いる「環境ノイズチーム」が、『10+1』という建築理論雑誌で「先行デザイン」という共同研究を展開していて、僕はその「都市連鎖研究体」に参加していました。

「先行デザイン」とは、既存の都市の成り立ちの歴史や形態の事例から、理論的な裏づけを持つ新しい手法を見つけ、デザインに置き換えて提案するという、歴史とデザインをつなげることを思考した、最初のプロジェクトでした。例えば、僕が携わったプロジェクトの一つは、大阪湾の埋立地開発の新しいデザイン提案です。自然の形態の事例として、波の流れ、堆積を手法に用い、既存の埋立地を解体しながら、自然地形で陸地や埋立地を造ることはできないか、という提案でした。雑誌掲載が初めから決まっていたこともあり、研究室全体で一丸となって取り組んだ、とても気合の入ったプロジェクトでしたね。


当時のプロジェクトが掲載されている雑誌『10 1』

当時のプロジェクトが掲載されている雑誌『10+1』 

就職後も出版活動を

――研究室でのご経験は、社会人になってからの活動にどのように影響していますか。

前川 修士のプロジェクトの経験を通して、デザインとして研究や調査を表現することの面白さを感じました。そのため、修了後は組織設計事務所の設計部に就職しました。

しかし同時に、中谷研で経験した歴史研究や出版活動の楽しさも忘れられませんでした。そこで、同じ興味を持った仲間を集め、出版活動を始めました。たとえば、考現学の第一人者として知られる今和次郎を修士論文で研究したことがきっかけで、弟子の建築家、吉阪隆正にも興味を持っていたので、吉阪を特集した冊子を制作しました。

吉阪は、じつにたくさんの文章を残しています。『吉阪隆正全集』(勁草書房)という、17巻もの全集が出ているんです。それを全部読み「引用だけで1冊の雑誌ができないかな」とつくり始めました。彼の思想には、「サバイバル」ともいうべき、生き抜く知恵のようなものが貫かれているように感じます。それをキーワードに言葉を抜き出し、レイアウトした『吉阪隆正サバイバル論集』を出版しました。


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前川さんが仲間とつくった『吉阪隆正サバイバル論集』(2011年) 

歴史研究者の道へ舵を切る

――その後、前川さんは奈良文化財研究所(以下、奈文研)に入所されます。設計事務所でのお仕事と個人での出版活動を両立されていたにもかかわらず、なぜあえて転職を決断されたのですか。

前川 組織設計事務所には、修了後から8年間勤めました。都内に勤務していましたが、基本的に東京には空いている土地がありません。そのため、設計する際は既存の建物を壊すところから始まります。「都市連鎖研究」をはじめ、研究室で学んできたことを考えると、次第にそのような設計に抵抗を感じるようになりました。

それで「やっぱり歴史研究をやりたいな」と考えていた頃、ちょうど奈文研の研究員の募集があったんです。このときは、心機一転、デザインではなく建築史研究一本に絞って生きていこうと強く思っていました。

しかし、面白いことに、奈文研に入って5、6年が経った頃、「近現代建築の保存活用について検討してみませんか」と声をかけてもらったんです。近世まではもちろん、明治以降の建築も、昭和戦前期までは近代建築として文化財に指定されることはありますが、近現代の建築——いわゆる戦後以降の建物は、文化財的な価値がなかなか認められず、基本的に壊されてしまう現状があります。それをどうやって残していくか、検討を始めました。文化庁の方々との議論や、全国の文化財行政担当者への研修の実施などを通じて、考えを突き詰めていくうちに、「近現代建築は、使い続けながら残す以外に道はないな」と考えるようになりました。そして同時に、「歴史研究だけではダメで、近現代建築に限らず歴史的建造物の保存再生には、デザインの介入とそのための手法の確立が必要不可欠だ」と思ったんですね。


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昭和6(1931)年に建てられた近代建築である重要文化財《綿業会館》(大阪府)では、奈文研時代に保存活用計画策定および所蔵家具調査を行った。所蔵家具の調査風景(提供=前川 歩) 

歴史研究とデザインを両輪でやっていく

――前川さんは現在奈文研の客員研究員を続けながら、畿央大学人間環境デザイン学科で教鞭もとられています。大学ではどのような活動をされていますか。

前川 大学のゼミでは、奈良県下に所在する近代建築を中心に調査研究を進めています。今年度は近代に建設された教会や住宅を対象にしています。これらの建築の歴史的価値はどこにあるのかを読み取り、ただ保存するだけでなく、今後どのように使い続けられるのか、その保存再生デザインまでを考えていこうとしています。


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生駒市に所在する近代住宅の前川ゼミでの調査風景(提供=前川 歩)


日本の建築学においては、歴史研究とデザインは、はっきりと区分されているのが現状です。歴史的建造物といえども、その価値は文化財的価値だけに集約されるわけでもなく、例えば空間的、機能的、資材的な価値も有している。こうした建築に備わる価値というか特性を総合的に捉え、それらを継承もしくは転換しながら次につなげていくことが必要と思います。この実践は建築史研究者だけでは難しく、作り手、デザイナーの参画が不可欠です。大学ではこうした歴史的感覚を備えたデザイナーを育てたいなと思い、教育・研究活動を行っています。


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聖公会大和高田基督教会の前川ゼミでの調査風景(提供=前川 歩)


また、こうした状況を地道に解決するために、私が有識者委員などで文化財建造物の保存再生に関わる機会があれば、その際はデザインの有識者として建築家にも声をかけ、参加を促すようにしています。文化財的価値の保存にとどまらない、さらなる価値の増幅、創出を実践したいと思います。歴史とデザイン、この二つをうまくつなげて、総合的に歴史的建造物の保存活用を実現できないかを考えていますね。


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聖公会田原本聖救主教会の前川ゼミでの調査風景(提供=前川 歩) 

オリジナルの道を見つける 同級生対談

――今日の取材には、前川さんと同級生の山口陽登先生に同行してもらっています。お二人とも、修了後は大手の組織設計事務所に就職し、その後、前川さんは歴史研究者に、山口先生は建築家として独立されました。そして現在はそれぞれ大学で教鞭をとられています。組織設計事務所でのご経験を経て大学講師へ、という共通点と同時に、前川さんは歴史とデザインの両輪、山口先生は設計一本という、取り組みの違いも。お二人に、対談をお願いしました。

山口 ここまでお話しいただいたように、前川さんは組織設計事務所で8年間勤務し、その後は奈文研での勤務に加え、大学講師の仕事も始められました。一見すると大きなキャリアチェンジをされてきたように感じますが、ご自身としてはどのように感じていますか。

前川 僕はもともと、父の背中を見て建築の世界に飛び込んだわけですが、一方で、父のようにゼネコンの設計部で定年まで勤め上げることはできないだろうな、と漠然と感じていたんですね。時代や性格の違いもあって、僕には、同じ場所で定年まで働き続けるイメージがそもそも湧いてこなかった。

でもだからと言って、初めから計画的に働き方を変えていこうと考えていたわけでもない。その時々に、動物的な直感を信じて働き方の選択をしていたのだと思います。その結果として、自然と変化の多い人生になったのかな。

山口 僕は本当に設計一本な人間ですが、設計だけ/歴史だけと分野にとらわれることなく、自分が興味を持ったことに直感的に突き進んでいく前川さんに大学生の頃に出会えて、本当によかったなとあらためて思うんです。

前川 当時は、たくさんの本の感想を語らい、討論し合いましたね。建築もいっぱい観に行った。

山口 前川さんという議論をしあえる友人を得たことで、僕は別の角度からも建築設計の面白さにあらためて気づけたように思います。だからこそ、前川さんのようにオリジナルの道――これが自分の居場所だという領域を見つける人たちがたくさん出てきてほしいと思っているんですね。

前川 僕も思います。建築学科に入った学生たちが、既存の枠組みにとらわれない。教育という現場では、そんな環境づくりをしていきたいですね。

山口 建築史の研究において、大切だと感じることは何ですか。

前川 純粋に建物のオリジナルの姿を突き止め、その価値を明らかにするだけでなく、その建物が造られた後に、時々の社会的な変化の中でどのような履歴を経て現在の姿として存在しているのか、このことを考えることも極めて重要だと思います。そのためには、都市史や建築生産史、社会の動向や思想の変遷など、さまざまな時代とジャンルを横断しながら、研究を行う必要があります。建築史を学ぶことで、物事を細かに観察して見ることと同時に、物事を俯瞰的にとらえることも養われたと思います。物事を表面的に判断しない訓練にもなりますね。

山口 歴史研で培われたことが、ダイレクトに前川さんの進路や選択にも影響しているような気がしますね。物事を俯瞰的にとらえるために、意識的にやってきたことはありますか。

前川 迷うときは、まずは幅広く情報を取り込むことを心がけています。例えば、僕は奈文研に転職するまでの数年間は、準備期間としてたくさんのことをインプットしていました。先ほど紹介した雑誌づくりは、まさにそんな気持ちで始めました。設計事務所での設計の仕事が相当忙しく、視野がかなり狭くなっていましたから、業務から離れて、本当にこころの底から面白いと思えることをやろうと。吉阪隆正の言説を全部読むとか、東京の中に散らばる空地の利用状況をフィールドワークしたり、仮囲いのバリエーションを調べたり、大正期の下宿屋を調査したり、気になる人にインタビューを実施したりするなど、いろいろやりました。

興味の赴くまま、情報を見つけて吸収し、ひたすらインプットした感じです。こうしてインプットした情報を、雑誌としてアウトプットする過程でそれらをはじめて俯瞰し、客観的な価値に整理したり、バラバラの情報の連関を考えたりしました。そのような作業の中で、自分の興味の中心が徐々に明らかになり、最終的には今の設計事務所を辞めて研究職に移るべきだと確信するようになりました。

たとえ今すぐにアクションができないとしても、とにかく情報を蓄積していけば、それは少しずつ自分の中で消化されていくし、考えもクリアになる。そして、その結果が発揮できるタイミングが必ず来るはずです。

山口 学生たちには、焦ったり、コスパやタイパばかりを考えたりするのではなく、前川さんのようにオリジナルの道を自分で見つけていってほしいと思います。

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前川 歩 まえかわ・あゆみ

1978年愛知県生まれ。2005年大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻修士課程(中谷礼二研究室)修了。2005〜2013年、株式会社NTTファシリティーズ建築事業本部都市建築設計部建築デザイン部勤務。2013年〜、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所研究員(2020年より主任研究員、2022年より客員研究員)。2021〜、独立行政法人国立文化財機構文化財防災センター主任研究員(2022年より客員研究員)を務め、2022年より畿央大学健康科学部人間環境デザイン学科講師として活動している。

大学生の頃、最も衝撃を受けた本は、造形作家の岡﨑乾二郎さんが著した『ルネサンス 経験の条件』。「この本を片手にフィレンツェ、ニースをまわりました」。

2023年10月10日 前川邸にて
聞き手/川島菜織(建築デザイン研究室修士2年)、有宗知寛(建築情報学研究室修士1年)、羽田哲平(建築学科3年)、山口陽登(建築デザイン研究室講師)
まとめ/川島菜織、有宗知寛、羽田哲平
写真/有宗知寛
編集協力/贄川 雪(外部)