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「日本人ファースト」という言葉の広まり
2025年夏、3年に1度の参議院議員選挙が行われる中で、「日本人ファースト」という言葉が社会に広まりました。 この言葉のもとになったと思われる「アメリカ・ファースト」は、2016年にドナルド・トランプが最初にアメリカ大統領に当選したときに使われた言葉で、それから少し遅れて、日本でも関連した言葉が使われるようになってはいました。とはいえ、日本「人」ファースト(「日本」ではなく「日本人」が主語になっていることに注意してください)、という形でこの言葉が広く知られるようになったのは、2025年以降の話です。 では、そこで言われる「日本人ファースト」とは、どのような意味なのでしょうか。ある言葉の意味を考える際の手がかりの1つに、その言葉の「対義語」を考えるということがありますが、ここでいう「日本人」の対義語は、「外国人」です。つまり「日本人ファースト」というのは、「日本人」を「外国人」よりもファースト=優先すべき、そういう考え方だということになります。
「日本人ファースト」は当たり前?
このとき、よくこういうことが言われます。「日本人ファースト? そんなの当たり前だよ。だってここは日本なんだから」。 実際、「日本人ファースト」という考え方の最大の特徴の一つは、一見するとそれが「当たり前」に見えるということです。「郷に入れば郷に従え」ということわざを思い出す人もいるかもしれませんが、ある地域(「ここ」「日本」)で中心になっている集団がいたときに、そうした集団のメンバー(「日本人」)はそれ以外の集団のメンバー(「外国人」)よりも優先されるべきだ。こうした考え方をなんとなく正しいと考えてしまう人は、決して少なくないと思います。 しかし、そう考えてしまう前に思い出すべき、もう一つの「当たり前」があります。それは、人は生まれながらにして平等な権利をもっている、という「人権」の考え方です。こうした考え方に対して、そんなの綺麗事じゃないの、とか、まあ理想はそうかもしれないけれども、とか思う人はいるかもしれませんが、そんな考え方はおかしい!と言い切れる人は、ほとんどいないのではないかと思います。
それでも少しずつ「理想」に近づいてきた人権の歴史
実際人権の歴史というのは、生まれながらにして平等な権利という「理想」からかなりかけ離れた状況から、それでも少しずつ「理想」に近づいてきた、そういう歴史です。 ここではこのことを日本における外国人を例として見てみたいのですが、第二次世界大戦後長いあいだ、日本に住む外国人(そのほとんどは朝鮮半島にルーツをもつ「在日コリアン」です)は、多くの社会保障制度から除外されていました。社会保障制度でとくに重要なのは国民年金と国民健康保険(医療保険)ですが、これらの制度には「国籍要件」と呼ばれる規定があり、外国人は加入できませんでした。国民年金の国籍要件が廃止されて外国人が加入できるようになったのは、1981年に日本が国連難民条約に加入し、それを受けて翌年「出入国管理及び難民認定法」(入管法)が制定されて以降のことです(国民健康保険については1986年に国籍要件を廃止)。 またこうした国籍要件は、公務員の採用についても設けられていました。「公務員」と言うと、そりゃ外国人が公務員になれないのは「当たり前」じゃないの?と思う人もいそうですが、この場合の公務員は、保育士、学校の先生、郵便局員、保健師、助産師、看護師といった、いわゆる「現場職」の地方公務員です(たとえば1970年代に起きたある事件は、もともと民間だった保育所が公立化され、その結果そこで働いていた中国籍の保育士が解雇されたというものですが、ちょっと想像すればそれがいかに理不尽なことかわかるはずです)。しかしこうした公務員採用における国籍要件も、先ほど触れた国連難民条約加入によって廃止が求められ、その結果上で見たような現場職については、1980年代までに国籍要件が廃止されました。
「日本人ファースト」がイメージさせる誤った「優遇」
このように、マイノリティがデフォルトでさまざまな制度から除外されている状況から、それでも少しずつ平等な権利という「理想」に近づいてきたというのが、「人権」にかかわる歴史の基本的な流れです。 ただし気をつけなればならないのは、あくまでも「近づいてきた」のであって、外国人と日本人が実際に「平等」になったわけではないということです。実際、国民年金や国民健康保険の国籍要件はなくなりましたが、戦後当初から外国人に「準用」(日本人に「準じた」扱いなのでこう呼ばれます)されていた外国人に対する生活保護の支給については、2010年代になってあらためて「法律上の権利ではない」という最高裁の判断が示されました。また外国人の公務員への採用も、先ほど見たような現場職については多くの地方自治体で認められるようになっていますが、その一方で地方公務員にはなれても管理職になることはできず、また国家公務員については非管理職も含めてなることができません。つまり、多くの不平等が解消される一方で、デフォルトで優先されるのはあくまでも「日本人」、という状況自体は変わっていないわけです。 そんなところに現れたのが、冒頭で触れた「日本人ファースト」でした。「日本人」を「外国人」よりも優先すべきだと主張するとき、はっきりそう言わなくても多くの人がイメージするのは、「外国人が日本人よりも優遇されている」という状況だと思います。現在は外国人が日本人よりも優先されているから、その順序を変えて、外国人よりも日本人を優先しなければならない。こう言われたとき、人は漠然と、ああ、日本では外国人が日本人よりも優遇されているんだ、と思ってしまう。これが、一見当たり前に見える「日本人ファースト」という言い方がもつ、もっとも恐ろしい効果の一つです。
「本当の当たり前」としての人権
とはいえ、現実として優先されているのが「日本人」である以上、「日本人ファースト」が日本で今優先されているのは外国人だから日本人を優先すべきだと何の根拠もなく主張するだけであれば、それがそこまで支持を得ることはなかったでしょう。「日本人ファースト」が一定の説得力を持ったのは、先ほど説明したような、「それでも少しずつ平等に近づいてきた」歴史があったからこそ、だと考えるべきです。実際、日本人と外国人が少しでも平等に扱われている制度があると、それをいかにも外国人が「優遇」されているかのように言う、こうした傾向は、「日本人ファースト」以降、明らかに強まっています。 しかし当たり前ですが、「平等に扱う」ことは優遇することではありません。日本人と外国人を平等に扱うことが外国人を優遇しているように見えるとしたら、それはその前提に「外国人は日本人より後回しにされて当然だ」という発想があることになります。これは明らかに「人は生まれながらにして平等な権利をもっている」という「人権」の基本的な発想を否定する考え方であって、その意味ではまったく「当たり前」ではないどころか、むしろそれと対極にある考え方です。 人権という考え方は、確かに綺麗事で、理想にすぎないように見えるかもしれません。あるいは、あまりにも当たり前のことで、刺激のない、つまらない考え方に聞こえるかもしれません。しかし、「日本人ファースト」のような考え方が広がったときに、そのどこが問題なのかを理解するためには、人権という本当の意味での「当たり前」が、あらためて重要になります。これまで当たり前すぎると思ってきた「人権」について、真剣に考えなおすこと。こうしたことが今、あらためて求められています。
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