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はじめに
みなさんは高校までにジェンダーについて学ぶ機会はあったでしょうか。女性の権利を求める歴史や、ジェンダーに関する法制度、性の多様性について学んだ方もいることでしょう。ところで、ジェンダーに関して一体どんな問題があると思いますか。 少し身の回りを振り返ってみて、みなさんの親世代や祖父母世代の働き方を考えてみてください。男性は正規雇用で働き、女性はパートやアルバイトで働きながら家事と家族の世話をする、というパターンも多いのではないでしょうか。近年、新自由主義的政策の導入と福祉国家体制の後退に伴い、女性を労働市場に参入させる政策がとられてきました。女性が働くためには子育てを社会的に支える仕組みが必要となるため、ケアの社会化も進められてきました。保育所拡充や小学校での放課後預かり事業の拡大などですね。また男性の育児休暇の導入など、性別役割分業を解消することも目指されています。しかし、ケアの社会化に伴うコストを十分にかけられない場合、ケアは家族のなかに留まるか押し戻されます。その結果、稼ぐことを強く求められる男性がフルタイムで働き、女性はケアを中心に担いながら非正規で働くという働き方が増えることになります。結果として賃金のジェンダーギャップは解消せず、女性の経済的不安定さは残り続けます。ジェンダーに関わる不平等は、その根底にケアの問題が横たわっています。
平等とは何か?
今、不平等という言葉が出てきました。平等とは何でしょうか。みんなを同じように扱うこと? すぐに思いつくのは「性別」などによって「差別されない」と謳う日本国憲法第14条の「法の下での平等」ですね。平等とは差別をなくすことであり、そのための法や政策を整備することだと、まずは考えられますね。でも形式的に平等にするだけでは不平等な状況を変えることはできません。性別などを理由に不利な状況に置かれることは、賃金格差や教育格差となってその後の人生に影響を及ぼしていきます。実質的な不平等も放置されるべきではなく、スタートラインがそもそも違っているのなら、それを調整することも重要です。人間は一人ひとり違い、異なるニーズをもつからです。ここまで改善できれば平等で公正な社会に近づきそうです。あとは個人の選択や能力次第? さて、本当にそうでしょうか。
見えにくい平等
自分の前にあると思っている選択肢は、社会構造と切り離せません。家族介護を担うのも介護職に就くのも女性が多い社会では、誰かを世話することは女性のほうが「向いている」と思われています。こうした規範は内面化されるので、女性たちは自分に「向いている」とされる職業や仕事を選択しやすくなります。社会規範や慣習に沿った行動は「自然」とみなされ、そこから逸脱する行為は「不自然」だと非難されます。例えば、母親は子どもを愛するものだという母親規範が強くあるところでは、子どもへの虐待が起きたときに母親に向けられる社会的非難はきわめて厳しいものとなります。政治哲学者のクレア・シャンバースは、生物学的な差異を前提に社会的な不平等が生じる事態を指して、「生物学の牢獄」と表現しました。しかもリベラルな資本主義社会では選択の自由が重視されるので、不利な条件であっても自分でそれを選んだと正当化されてしまい、社会構造の不平等さは見えなくなります(シャンバースは「選択フェチ(fetishism of choice)」と皮肉を込めて呼んでいます)。
抑圧と支配という不正義
フェミニズムの政治理論家アイリス・ヤングは、ある社会が正義に適っているかを問うときに、従来の社会理論は「分配」を中心に考えてきたと批判します。不足しているところに財や資源を分配することで調整するということですね。例えば貧困や格差の問題に対して、経済的保障をしたり奨学金を充実させたりすることが挙げられます。もちろんそれも重要です。でも不平等や不公正な状況はそれだけでは改善しません。ある人々に自分の人生をどう設計するかを考える力や意志、自尊心が損なわれている場合、財を分配するだけで解決するわけではないのです。不平等や不公正な状況には、実は「抑圧と支配」の問題が隠れています。 ヤングは抑圧を複数の要素に分解します。例えば、ケアワークを主に女性が引き受けることで、男性はケアの負担から免れ、その時間や労力を生産的活動に向けることができます。ここには女性の働きがもたらす成果が男性集団の地位や権力を維持するように移転する、「搾取」という抑圧が起きています。労働者を育てる機能を家族という市場の外部に組み込む資本主義システムのもとでは、ケアを行う人々は「周辺化」されます。またケアは無償か低賃金の仕事となるので、誰でもできる仕事だとみなされがちです。それはその仕事を担う人々を「無力化」し自尊心を剥奪します。さらにケアワークは女性だけでなく、移民労働者や労働者階級に集中する、人種・民族・階級にも片寄る仕事です。社会の支配的文化や価値や規範はどう形成されてきたのか、誰に、どの集団に権力が集中しているのか――平等の問題を考えるさいにはこうしたことを問う視点も必要になります。
ケアから考える平等
それでは平等が実現される社会、ヤングに従えば、抑圧が解消され正義の実現された社会はどのように目指せるのでしょうか。現在この問いに「ケアの倫理」から向き合うフェミニズムの思想があります。ケアは家の中や社会の周辺部で為される「見えない労働」であり、社会的・政治的関心にはなりにくいテーマです。でもそれは、ケアの担い手が搾取・周辺化・無力化されることで、政治的課題にする力を奪われ続けているからではないでしょうか。 それではケアはどんな意味をもつのでしょうか。人間は乳幼児期や病気・死期の迫ったときなど、誰しも依存者となる時間をもち、わたしたちは誰かにケアされてこなければ、今ここに存在することはできません。ケアとは「人間が織りなす関係性のネットワークに依存者の生を繋ぎとめる行為の集積」なのです(内藤 2022、303頁)。この関係性の網の目に支えられて、日々の生産的活動も可能となります。しかしながら、新自由主義的な市場の論理が席巻する現在、ケアがタダ同然のものとして搾取されるならば、ケアする力は枯渇する一方でしょう。結果的にケアを必要とする人たちの生存から、地域や社会を成り立たせる活動、果ては地球環境や生態系を維持する営みに至るまで、関係性の網の目は損なわれていくことになります。ケアに関わる関係性のネットワークをどのように持続させていくのか、実はこれはとても政治的な問いなのです。 ケアが営まれる日常生活というのは、政治的なものとは少し縁遠い気がしますね。でも日常の視点から自分たちの社会や政治を批判的に捉え直すことはとても重要です。ジェンダーに関わる不平等はケアに関わる不平等でもあります。それは労働条件の問題だけではなく、わたしたちの価値観、社会の制度、世界の在り方に深く関係してくる問題なのです。平等が重要なのは、みんなを同じように扱うということだけではなく、わたしたちは異なっており、異なる存在と共に生きていくための方法を考え続けるからこそなのです。異なる他者に対する尊重と関心を維持することは、世界の持続可能性ともつながっています。ケアはその鍵となる営みなのです。
フェミニズム理論やジェンダー研究はこのようなことを考え続けている学問でもあります。大学生活のなかでぜひジェンダーを冠した授業から学びを得てください。また中百舌鳥キャンパスには女性学研究センターがあり、イベントや講演会を行っています。当センターの学生チームORGEL(オルゲル)もジェンダーに関心のある学生や院生が中心になって活動していますので、関心がある方はぜひアクセスしてみてくださいね。
参考文献
Clare Chambers, Feminism, in The Oxford Handbook of Political Ideologies, Oxford University Press, 2015.内藤葉子「ケアの倫理からの平等と尊厳の再考―持続可能性とジェンダー」『人生が輝くSDGs』大阪公立大学現代システム科学域教育福祉学類編集委員会(編)、せせらぎ出版、2022年。I・M・ヤング『正義と差異の政治』法政大学出版局、2020年。
ケア・コレクティヴ『ケア宣言―相互依存の政治へ』大槻書店、2021年。K・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?―これからの経済と女性の話』河出書房新社、2021年。J・C・トロント/岡野八代『ケアするのは誰か?―新しい民主主義のかたちへ』白澤社/現代書館、2020年。
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