文化交流センターの歴史

文化交流センターの歴史

昭和57(1982)年10月16日、大阪北の都心、大阪駅前第3ビル16階にホール、大セミナー室、小セミナー室、17階に談話室等を有する延べ床面積420㎡の大阪市立大学文化交流センターが開設された。
この事業は当時の大阪市立大学創立100周年記念事業の最重点事業に位置付けられたもので、当時の森川晃卿学長は、大阪市民に「開かれた大学」を標榜する本学にとって、教員、同窓生、市民の知的交流の拠点となる施設を都心部に持つことを強く望むと表明されていた。
 開設の前年6月に文化交流センター開設準備委員会委員長となった磯村隆文氏(当時、経済学部長、その後初代文化交流センター所長、のちに大阪市長)は、学校での教育とは別に、市民の自主的な生涯学習の仕組みが望まれる時代であり、こうしたニーズに応えるのが文化交流センターであるとして、構想をまとめ上げられた。その後は大阪市との調整に奔走されて実現に至るのだが、この事業にかける氏の情熱と尽力の様子は、同センター20周年誌に見ることができる。
 この事業に投じられた費用は、合計6億2,780万円。その内訳は、建物取得費と内装費4億9,780万円、運営基金1億3,000万円で、総費用のうち、卒業生、企業から寄せられた後援会募金およそ9億4,000万円(利息9,300万円を含む)から5億4,780万円が充てられ、大阪市からは建物取得費の一部として補助金8,000万円が支出された。(資料 大阪市立大学百年史)
 その後、平成14(2002)年、同センターは大阪駅前第2ビルの6階に移転し、ホール、大セミナー室、小セミナー室、談話室を備えた現在の文化交流センター709㎡を開設した。
その翌年4月、同じ階に社会人大学院創造都市研究科が開設、さらに平成30(2018)年4月、同じく都市経営研究科修士課程が開設され、大阪最高の都心一等地に施設全体で1,616㎡となる本学のサテライトキャンパスが誕生した。また、さらに令和2(2020)年4月には、同じく都市経営研究科博士課程後期が開設された。