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2026年5月27日

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夢は「大阪公立大学から5人のノーベル賞受賞者を輩出すること」/大阪公立大学学長 櫻木 弘之

2026年4月に放送されたMBS毎日放送のドキュメンタリー番組「ザ・リーダー」。国内最大級の公立大学として新たな一歩を踏み出した大阪公立大学の舵を取る櫻木 弘之学長が出演し、大きな反響を呼びました。今回、大学Webマガジン「idiOMU」では、番組内のインタビューをベースに、放送の枠に収まりきらなかった学長の熱い想いや若き日の留学エピソードを余すところなく収録した特別版としてインタビューをお届けします。

自然豊かな土地で生まれた原風景

櫻木学長のご出身は長崎ですが、どんな場所でしたか?

長崎県の佐世保市で生まれましたが、周りは海と山で、「ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」というような、自然に囲まれたところでした。その後、父の転勤であちこち移りましたが、わたしの原風景はこの生まれ故郷にありますね。

理科がお好きだったとのことですが、当時から得意だったのでしょうか。

特にということではないんですけれども、周りに自然がいっぱいありましたので、いろんなものに興味があり、虫採りや、父と魚釣り、綺麗な石集め、星を眺めたりと、いろいろやってました。
本もいろいろ読んでいましたが、小学生の時、学研の「科学」と「学習」という子供向けの雑誌があって、例えばキュリー夫人や、原子核を発見したラザフォードなどの偉人伝をよく読んでいました。そういうものを読んだ時に、漠然とした夢でしたが、そういったことをやってみたいなと思っていたのを覚えています。

人生を決定づけた「恩師との出会い」

櫻木学長が、本格的に研究の道に進もうと思われたきっかけを教えてください。

大学では理学部の物理学科にいたんですけれども、3年生の時にいろんな先生のゼミからどれかを選ぶことになり、たまたま、直感的に「この先生のゼミが面白いかな」と思って入ったところが、原子核物理の研究室でした。
その研究室には海外から一流の研究者が何人か来ていて、ここから世界への窓が開けているような感じがしました。その若いゼミの先生は、あとになってわかったのですが、世界最先端の研究をされていて、まだ3年生の学生にですが「こういうことが面白いんだ」と熱く語ってくださって。
そうすると、自分も世界の最先端のことができるかもしれないなという気になり、そこから「じゃあここで勉強してみよう」という気になりました。その先生との出会いが、その後の私の研究者人生を決定づけることになります。その時の出会いがなければ、全く違う人生を歩んでいたと思います。その先生は、もうご高齢ですが、今も現役で研究者されており、私にとっては生涯の恩師です。
また、そのとき研究室に来ていた人の中に著名なイギリス人の先生がいました。後々、私が30代で2度イギリスに研究留学したのですが、2度目に行ったのがその先生のおられる大学でした。

転機となった「イギリス留学」と、本当の国際化

イギリス留学の経験は、やはり大きな転機になりましたか?

実は初めての外国で、いきなり1年間、イギリスの研究所へ研究留学に行きました。中国やインド、ナイジェリアやベルギー、スペイン、ポルトガルなどいろんな国から留学生や研究者が集まって来ていて、世界各国の人と一緒にやっていくという雰囲気がすごく自然にあるところだったので「これがグローバルスタンダードなんだな」と感じました。

イギリス留学での一番の気づきは何でしたか。

外国人の方と話していて一番感じたのは、「自分は日本のことあんまり知らないな」ということでした。海外の人だと、自分の国の歴史や文化をよく知っていて、それを誇り高く堂々と話すんです。
改めて本当の国際化というのは、別に英語が喋れるとかお友達がいるということではなくて、ちゃんと自分の国のこともよく知っていて伝え、相手の国の歴史や文化も尊重して、お互いに尊敬し合いながらコミュニケーションをしていく。それが本当の国際化の入り口なのかな、とその時感じました。

研究の本質――失敗と地道な試行錯誤の先にある喜び

本日は研究時代の思い出の品をお持ちいただきました。

これは製図ペンでドイツ製の「ロットリング」といいます。当時は論文の図はすべて手書きでしたので、みんな使ってましたね。四六時中机に座ってこのペンで論文用の図を書いていました。無心でしたね。自分が出した研究の結果を図にするというのは、自分の子どもみたいなもんじゃないですけど、これが自分のやった結果なんだと、それを丁寧に正確に図に書いていく。それが厳しい審査を経て正式な論文として国際ジャーナルに載ると、それは後世にも残り、世界中の人が見てくれるわけですから。本当に一生懸命書きましたね。

研究者としての歩みを振り返ると、やはりスムーズにいくことばかりではないのでしょうか。

ほとんどが失敗ですね。うまくいかないのが当たり前で、99%ぐらいはうまくいかない。その中でうまくいくのが本当にわずかということですよね。
研究と言うのは、まだ世界中で誰もやっていない新しいこと、新しい発見でなければ評価されませんし論文にもできません。だからたくさんの失敗や地道な試行錯誤を積み重ねながら、辛抱強く続けていく中で、いくつかでも画期的な成果が出たら、その時はやはり嬉しいですね。

伝統ある2つの大学が統合した「強み」

研究の第一線を走り続けてこられた中、その後、大学の統合という大きなお話が来ました。初めて聞いた時はどう思われましたか?

それぞれ伝統があり特徴のある大学で、人気もありましたから、統合する必要はあるのかと正直思いました。強みもそれぞれ違いますし、文化も歴史もかなり違います。それぞれの大学の皆さんのプライドもありますから。
でも、一緒になることで、より統合効果や強みがでてくるものもあります。例えば、市立大学には医学部があって、府立大学には獣医の分野がある。今回、獣医学部として独立しましたが、医学、獣医学、また農学もあり、これらが一つの大学の中にあるところってそんなにない。獣医学部があるのは、近畿では本学だけですね。

そして2025年、大阪公立大学の第2代学長に就任されました。

学長は、なってみてその責任の重さというか、最終的に自分が責任を持って決断しなければいけない、判断しなければいけないことが多く、責任はひしひしと感じます。

社会に開かれた場を作り、未来へフィードバックする

少子化が進む現代において、今後の大学経営は難しくなっていきますよね。

そうですね。今、18歳人口が減っていますが、こういう時代なので、AIがどんどん進んでいくし、学び直しが必要な時代です。「生涯にわたっての学び」というのが必要な時代で、そういう意味では社会人大学院というのも、これからより充実していきたいなと思っています。
リスキリングとかリカレントと言われていますが、生涯にわたって学ぶものがあり、どんどん新しくなっていく。それは逆に、大学が社会に学ぶものも沢山あるでしょうし、大学が最先端の研究を通して、社会にフィードバックできるものもあると思うので、そういう「社会に開かれた場」を作りたいと考えています。

2026年度からは、大阪府民を対象に所得制限なしの授業料無償化がスタート。

これは大阪府・市の方針で、大学の学士課程と大学院の博士前期課程・修士課程までの学生は、大阪府民であれば所得制限なしで授業料が無償化になるという制度です。経済的に困窮してる方が、この授業料無償化で学びを諦めることなく進学することができるというのは非常にありがたいなと思います。
また、授業料を払う余裕がある人の中には、無償化を利用して海外に短期留学に行きましたといった、プラスの自己研鑽に使ってもらっているという声も聞こえてきて、それもありがたいかなと思います。
ちなみに、大学における研究の重要な担い手でもある博士後期課程・博士課程の大学院生については、これとは別に大学独自で予算を確保しています。こちらは居住地に関係なく、原則全員に授業料相当額の研究奨励金を支給しています。これは研究大学としての基本方針としてやっています。

最重要課題としての「国際化」と「研究力の強化」

学長に就任されてから、英語のみで学位取得が可能なコースの設置など、さまざまな改革を提案されていますね。

私が学長になって打ち出した基本方針のいの一番は、やはり「国際化」そして「研究力の強化」です。もう大学院レベルになると、当たり前のように国際的な研究活動をしています。海外から留学生が来た時に、日本語が話せないと学位が取れないというのは、やはりもったいない。少なくとも、全ての大学院の研究科で、英語だけでちゃんと修了して学位が取れるようなコースを作りましょうと動いています。

若いうちにそのようなグローバルな環境に身を置けるのは素晴らしいことだと感じます。

特に若い人には、早い時期に「観光」ではなくて「中長期」で海外に行ってほしいと思っています。大学で戦略予算を確保して、若手の研究者や大学院生を海外に、少なくとも数ヶ月から半年派遣するような、そうした枠をもっともっと広げようとしています。
そこから世界が広がっていきますし、研究のレベルもぐっと上がってくると思います。また、日本の良い研究や文化も海外に発信できますから、やはり国際化は大事ですね。

50年、100年先へ続く「信頼というブランド」を目指して

最後に、櫻木学長が描く「これからの大阪公立大学の夢」を教えてください。

この大学で学んでみたい、働いてみたい、ここだったら思いっきり研究できると、国内外から多くの人(学生や研究者、教職員)が集まってきて活躍し、やがて巣立っていく。それがやがて、50年、100年と大学が続いていく中で、社会からの「信頼」というブランドになっていく、そこに力を入れていきたいと思っています。
そのような中で、夢は、例えばこの大阪公立大学からノーベル賞受賞者を出したいなと。5人くらい出るとすばらしいなと思います。
夢ですけれども、でもあながち荒唐無稽な夢ではありません。すでに前身の大阪市立大学で教鞭を取られた南部 陽一郎先生(2008年ノーベル物理学賞)、大学院医学研究科を修了され教鞭も取られていた山中 伸弥先生(2012年ノーベル生理学・医学賞)のお二人ノーベル賞受賞者がおられ、現在も毎年ノーベル化学賞の受賞が期待されている神谷 信夫先生がおられ、他にも、国際的に卓越した研究者は、かなりいます。
夢は実現しようと思って努力すれば……最初から諦めてしまったら何もできませんから。
そして、社会と共に歩む大学として、10年後、30年後、50年後に、この未来社会をどういう風に成熟したサステナブルな社会にしていくかという、それを社会の皆さまと共に考え、実現していける大学でありたいなと思っています。

櫻木学長にとって、「リーダー」とはどうあるべきだとお考えですか。

「信頼」は大学にとって非常に大事なものです。この信頼の重要性を大学の構成員に繰り返し説き続け、信頼という最高のブランドを確立することに力を尽くすこと、それが私の目指すリーダーの姿です。

本記事は、MBS「ザ・リーダー」(毎月第2日曜日あさ5時30分放送)でのインタビューをもとに、放送内容および学長が追記したメッセージを加えて再構成した「idiOMU」特別版記事です。櫻木学長が語る「信頼のブランド」を築くため、大阪公立大学はこれからも最先端の研究と国際化を推進し、社会と共に歩んでまいります。

PROFILE

櫻木 弘之(さくらぎ ひろゆき)

  • 1957年 長崎県佐世保市出身
    1980年 九州大学理学部物理学科卒業
    1985年 九州大学大学院理学研究科物理学専攻博士後期課程修了(理学博士)
    1985年 東京大学原子核研究所研究員
    1987年 大阪市立大学理学部助手
    1988年 英国ダレスベリー研究所上級研究員(〜1989年)
    1993年 英国サレー大学客員研究員(〜1994年)
    1999年 大阪市立大学大学院理学研究科教授
    2010年 大阪市立大学大学院理学研究科長
    2016年 大阪市立大学副学長
    2022年 大阪公立大学副学長
    2025年 大阪公立大学学長

※所属・学年は取材当時