Special contents

2026年1月9日

  • インタビュー

【教員インタビュー】 第1回: 中島義裕教授

教員インタビュー、記念すべき第1回目は、COIL事業部門の部門長であり本学経済学部・研究科長でもある中島義裕教授にお話を伺いました。先生の大学時代から現在の研究分野にいたるまで、盛りだくさんの内容となっています! ぜひご覧ください。

Q. 今は経済学部の教授をされている中島先生ですが、大学時代はどんな学生だったのでしょうか。 ‎

A. 大学時代は一生懸命バイトして、長期休みにバックパッカーをしていましたね。2年生ぐらいから、フィリピンとか中国、インド、南米などに毎回2ヶ月ぐらい行っていました。必ずしも勉強を熱心にやっていたような学生ではなかったんですが、いろんなことを調べたり本を読んだりするのは嫌いではなかったです。 ‎

海外旅行では、遺跡や博物館を回ったりというよりは、現地の人たちと友達を作ったり、旅行者同士で友達を作ったりしながら人と会うことを大事にしていました。同じような年の人たちが似たような感覚で生きていることを知って驚いたり、逆に全然違う考えが出てきて驚いたりすることがありました。そんな経験をしているうちに、今は、そのようなYoutuberもいますが、ずっと海外を旅し続けるような人生を歩みたいと考えるようになりました。私は覚えていなかったのですが、大学4年の夏休みには就職活動をせずに、実家に帰って親にもそのことを報告したみたいです。‎

今の国際教育の仕事につながる話ですが、当時海外旅行している時に感じていた不満や「こういう感じになったらいいな」と思っていたことを実現させているという感じですね。

Q. 就職せずに海外を旅し続ける、というのは当時も今も大きな決断だと思います。そこからどのように今の方向へと舵を切ったのでしょうか? ‎

A. お金を貯めて長期間海外に行くつもりだったんですが、実際そのつもりで海外旅行をしている時にふと「自分はお客さんでしかないな」「消費者でしかないな」と感じたんです。当時日本の円が強かったので、日本でアルバイトをすれば学生としてはかなりの額を持つことができ、特に途上国では長い間滞在できました。でも、学生だということもあって、その間はずっと「お客さん」なんですよね。そうではなくてお店の「カウンターの向こう側」に立っていないと、本当にその国のことを知ったことにならない。海外旅行するにしてもカウンターの中が見たい、本当の生活が見たいと思って、一番手っ取り早いのは何かと考えた時に、日本で就職すれば少なくとも日本での「カウンターの向こう側」には行けると思いました。ちゃんと生活者として、稼ぐ側として社会を見ないと本当じゃないと思って、急遽証券会社に就職することにしたんですね。 ‎ところが、1年ぐらい経ってみて、なんとなく面白そうな将来が見えないと感じたんです。ヒラの席から始まって、何年後には係長になってあそこの席に座って、そこから何年経ったら課長になって、さらに何年経つと支店長になるという、全部がうまくいったとしてもワクワクしないなと思ってしまって。会社の中でたくさんの経験を積ませてもらいましたが、同時に「これが本当にやりたいことか?」と徐々に感じるようになりました。

Q. そこから大学院に進まれたきっかけは何だったのでしょうか?

A. 大学時代に友達から「理学部に面白い先生がいるから絶対会うべきだ」と言われて会いに行ったことがあったんです。郡司ペギオ幸夫先生という方なんですが、この方がとんでもないことを話していて、本当に「本物に会った」と感じました。今の職についていると様々な人に会う機会がありますが、未だにその人がピカイチですね。学者として、研究者として、レベルが違う人でした。それを思い出して、証券会社を辞めた後、その人の研究室のある理学部の大学院に行くことにしました。経済学部出身だったので、高校生レベルの数学Ⅲや物理を、青チャートとかを使って勉強し直して、という感じで結構頑張って準備して、合格をもらいました。 ‎

 興味があったのは社会のことだったので、理学部の中で経済現象や社会現象を研究していました。

師匠の郡司ペギオ幸夫先生は「内部観測」という理論を提唱していて、これは世の中のことは観察者と独立して外側に現象があるというのではなく、観測という行為を理論に入れ込むべきではないかという考え方です。 ‎

 普通のニュートン系の力学では、観察しようがしまいが、ボールが転がっていってぶつかったらこういう風に行くとか、観察者と関係なく独立に何かが動いていると考えます。例えば天体の動きなどは、20年後にどういう彗星がどこを飛ぶかなど全部計算し尽くして分かっています。これが普通に考えた時の現象で、メカニズムや法則があって、それに従って動いていて、観察しようがしまいが関係ないというのが一般的な見方です。物理だけでなく、社会学や心理学、経済学などの学問もこの考え方で基本的に捉えようとしています。

 しかし、内部観測では世の中はそういうものではないと考えます。観察者を切り離すことで初めて、そういう「系」として見ることができるのです。私たちは宇宙の中にいるわけで、その中にいるのを切り離して、数式を当てはめて時間発展させるという行為をすることで初めて客体化するわけです。

 観察行為とは何かというと、例えば天体の動きに対して法則に従わない部分を全部「システムの外部」として仕分けしていく役をし続けることによって、中が法則通り動いているように見えるのです。この仕分け作業をするのが観測行為の一つと考えます。 

そういうことを考えないと、何かが生まれる「生成」や「創発」、「生命とは何か」「命とは何か」を考えた時に対応できないからです。法則の中だけで考えると、新しいものは必ず外から入ってきたという形でしか説明できなくなってしまいます。しかし、宇宙の内側でいろんなものが生まれています。生命もそうですし、貨幣なども社会の中で人間がやり取りしている中で自然に発生していますよね。新しいものが生成されるとはどういうことかというと、「生まれるまでは思いもしないけども、生まれた後は当然だと思う」ということです。現在から未来を見る時には不可知だけど、新しいものが生まれてもおかしくないような含みを持たせる理論が必要なのです。

 例えばニュートン力学に外からノイズを入れるのではなく、内側に緩さを持ったダイナミクスを考えます。それでシミュレーションをした上で、生まれた後は当然という観察行為として、ゆるい系で時間発展させるけど、それがあたかもピンポン球が飛んでいるような、きちんとした「系」であるように解釈します。そして解釈から外れたものをエラーとして外に出すという行為そのものをシステムの中に入れ込んでシミュレーションすると、いろんな新しいものが出てくるのではないかという考え方です。

Q. ご自身の研究とCOIL教育はどのように関連しているのでしょうか? ‎

A.大学院での研究を続けながら、経済学の学会で発表していたところ、現在の大学(旧市大)に縁があって働くことになりました。理系と経済を一緒にやっていたので、理系の人との共同研究が多かったんです。そのため、2000年代半ばから2010年頃には、本来ならば東京などへ出張して行う研究打ち合わせや会議を、「Skype」を使ってオンラインで行うようになっていました。そうしているうちに「これは教育にも使える」と思ったんです。お互いにネットをつないでいろんな協議をするような授業ができるのではないかと考えました。そしてどこと一緒に、というのを考えた時に時差が少なく、英語も使えるということでフィリピンが挙がりました。当時はCOILという名前を知らずに「Skype授業プロジェクト」と呼んでいましたね。ツテがあったわけではないので、フィリピンの大学をGoogleで調べて(笑)、学長にメールで企画を提案したところ、反応があって実現することになりました。

 ちょうどその頃、大阪市立大学でもSkypeを使った国際交流教育が注目されていて、私の取り組みが認められて予算がつきました。さらに規模を大きくするために大型の助成金に応募したところ採択され、現在のコアメンバーとなる布施先生などの仲間を集めて始めたのが今の流れです。 ‎

Q. COILを始めた当初は、どんな意図があったのでしょうか? ‎

A. 当時はアクティブラーニングに非常に興味があって、教員が教えるのではなく学生に課題を与えて、学生が自分で調べたり考えたり協議したりするプロセスを経て何かを獲得してほしいと思っていました。また、これからの時代に必要な創造性を養うことも考えていました。

先ほど述べたように理論体系というのは「何も生み出さないように切り取った」ものです。内部観測抜きの普通の科学理論は、新しいものが出ないように切り取っているわけです。大学においてほとんどの授業は理論を教えるので、何も生まないものを教えていることになります。しかし同時に「創造性を養え」と言われるのです。

体系化された勉強は大事ですし大学の柱であることは間違いないのですが、それに加えて創造性も養わなければならないと考えて、まずアクティブラーニングを試みました。しかし、日本人同士で話していてもあまり斬新さなどがなく、「いつかどこかで聞いたことがある話」しか出てこないという問題がありました。 ‎

この課題となった創造性を養うためには、私たちが持っているものの考え方から外れるものと接触しない限り新しいものは生まれないと考えました。それを実現する上で最も分かりやすい方法として、海外の学生との交流を考えたのです。

私が注目していたのは「フレーム」や「コンテキスト」と呼んでいた解釈系です。何かを解釈する土台がフレームであったり、コンテキストであったりします。先ほどの話ともつながりますが、一つの解釈しかないところには、その解釈と外れるノイズしかありません。しかし全然違う解釈系を持っている人と出会えば、違いが明らかになり、それを含めなければならなくなります。その体験自体が新しいものをどう作ればいいかという経験にもなるのです。

 例えば、最初の頃はSIレポートというものをアメリカ人と日本人で作成し、両方が日本語版と英語版を作るという取り組みをしました。同じ現場に行って同じ経験をしても、本人たちの内側では全く違う経験になっているはずです。それぞれが自分の言語で書いたものを突き合わせて、議論しながら同じになるところまで持っていくという作業をしていました。 ‎ ‎

 日本のことを英語で紹介するレポートは、日本人が書いたものを英訳したか、アメリカ人が来て書いたかのどちらかしかありませんよね。日本人が書いたものには日本人が常識として持っていることはわざわざ書かれませんし、逆に、アメリカ人が書いたものにはアメリカ人の常識は書かれない。どちらにしても一面しか見ていないレポートになってしまいます。

 両方の視点を突き合わせて同じにしていく作業をすると、両方の視点が入った完全なレポートになるはずです。そのプロセスの中で、自分のコンテキストに気づくという創造性が生まれます。今もそれを意識しながら、二つのコンテキスト系がインタラクションするように考えています。例えば、小学校にアメリカ人と日本人が一緒に行った時に、アメリカ人が「なんで小学校で靴を脱ぐの?」と質問したんです。日本人からは絶対に出てこない質問ですよね。その質問を受けて初めて「なんでだろう?」と考えました。さらに考えると、小学校は靴を脱ぐけど高校や大学では脱がない。日本では家に入ると必ず靴を脱ぎますが、公共の場所で靴を脱ぐのは小中学校と神社・寺くらいしかありません。私たちの仮説としては、寺子屋の文化が残っているのではないかということでした。寺と神社では靴を脱ぎますよね。寺子屋で靴を脱いでいたから、小学校でも靴を脱ぐようになったのではないかと。このように外国人がいなければ質問も出てこないし、質問がなければこういう解釈も出てこないわけです。小学校に200年経ってもまだ寺子屋の文化が残っているかもしれないという仮説が生まれるのです。 ‎

Q. 今後の社会で求められる力について教えてください。 ‎

A. COILはAIが台頭する前から始めましたが、マニュアルに沿ったことをしていればいい仕事はどんどんなくなっていくでしょう。例えば、最近鉄板を加工する会社とご縁があったのですが、そこで働く職人さんは、一見同じものを作っているように見えても、不断の工夫をしています。定型的に見える仕事の中にも創造性が必要で、「ちょっとでもよくできないか」「どうしたらいけるだろう」と考え、試行錯誤しながら新しくしていくということが重要です。機械化がどんどん進む中で、人間に求められるのはそういった創意工夫なんです。また、仕事を単に辛いものとして時間を切り売りするのではなく、仕事自体が面白いと感じられることが大切です。自分がいなかったらできていない部分があるという実感が仕事のやりがいにつながり、そのやりがいが生きがいにもなるのです。 ‎

 最近は「内向き」と言われ、海外留学する学生や海外旅行する学生が減っています。円安の影響もあると思いますし、少子化の影響もあるかもしれません。そうした状況を受け入れつつも、海外の人たちに来てもらおうと考えています。まずは海外の人たちと接触して、興味を持って海外に目が向くようになってほしいと思っています。

 少子高齢化の影響という事ですが、日本の子どもたちが大切にされすぎている面もあります。コロンブスのような冒険心を持った人が出てこなくなっていると感じています。どこかで、コロンブスの時代はペストの後の人口増加期だったという話を聞いたことがあります。今、私たちと交流しているインドやフィリピン、ベトナムなどの学生たちは人口ピラミッドの下の方が広い世代で、しかも海外に行くことを選んでいる元気のある子たちです。フィリピンなどに行くと子どもがたくさんいて、道端で親なしで遊んでいる光景を見ることができます。もう今の日本では考えにくいことです。そういう環境から一流大学に入り、海外に関心があるような学生たちの好奇心に触れてほしいと思っています。

<編集後記>
海外を旅した大学時代から、その後の就職、大学院での研究内容まで、たくさんのお話を伺うことが出来ました。先生は色んなことを経験されていますが、どのタイミングでも目的をもって行動に移されているところが印象に残りました。私も、国内外を問わず色んな価値観や考えに積極的に触れていきたいと思いました。

次回は副部門長である布施邦子先生にお話を伺います。お楽しみに!