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これからのイベント

 
2023年度 哲学研究会

(特別企画) 哲学的時間論の歴史

日時:2024年3月9日(土)14:00〜(対面開催)

場所:大阪公立大学杉本キャンパス・高原記念館2階会議室(キャンパスマップ、25)

* 当日は同じ建物の1階「学友ホール」にて、別の催しが予定されていますのでご注意ください。

** 事前登録はとくに必要ありませんが、ご質問等については佐金sakon[at]omu.ac.jp([at]を@に換えて)までご連絡ください。

*** 本イベントの一部は、科研プロジェクト(基盤C)「現代時間論の哲学史上の意義をめぐって」(代表:佐金武、課題番号:23K00012)のサポートを受けて開催されます。

【第一発表】

タイトル:現代時間論の哲学史的意義について

発表者:佐金 武

要旨:

 現代の哲学的時間論は、英国の哲学者J・M・E・マクタガートの「時間の非実在性証明」[McTaggart 1908 and 1927]に端を発し、それ以来、過去(かつて〜だった)・現在(今〜である)・未来(やがて〜だろう)の時制的区別の実在性をめぐる、きわめて形而上学的な問題を中心に展開されてきた。他方、古代ギリシアにはじまるより大きな哲学史に目を向けると、時間それ自体の実在性(時間に関する「実在論」)に加えて、変化とその尺度としての時間(「関係説」)や、人間の経験の条件としての時間(「観念論」)が議論されてきた。本稿において私は、現代時間論の枠組みを根底からくみかえ、古典的な哲学の文脈においてその意義をあらためて評価するための大まかな指針を示唆したい。その際、長らく軽視されてきた観念論の再検討とともに、時間を空間と類比的に扱う「時間の空間化」と、現在存在するものの変化を実在的と見なす現在主義の対立を哲学史のなかでどのように位置づけることができるかが一つの鍵となる。
 本論の流れは次のとおりである。第2節ではまず、現代時間論における論争が、古典的な問題意識に照らして一見かなり特異な枠組みを前提としていることを確認したうえで、両者を再接続するための基本方針を提示する。それを踏まえ第3節では、時間ブロックの存在を前提とする「時間の空間化」を伝統的な意味での実在論に読み替え、続く第4節において、関係説の復権としての現在主義の可能性を模索する。最後に第5節では、現代時間論の発端となったマクタガートをはじめとする観念論のアプローチが、近年さかんに議論される時間経験の哲学にもたらしうるインパクトについて考察する。

【第二発表】

タイトル:自然的事象としての時間アリストテレス的接近

発表者:中畑 正志

要旨:

 アリストテレスにとって、時間という事象は、将来についての決定論の可否、感覚知覚から記憶と経験的習熟を経て知識へと至る過程、そして人生の長さの意味など、彼の哲学のいくつかの場面で重要な意味をもっている。しかし、アリストテレスが時間を主題的に論じるのは、ほぼ『自然学』という著作内に限定されており、とりわけ第4巻10章から14章では時間の本性が何であるのかが集中的に考察されている。さらに第6巻においては、運動変化と時間とにかかわるさまざまな問題(アポリアー)を論じている。
 この時間論が、きわめて興味深い分析であることは間違いないが、同時にいくつもわかりにくい点があり、 解釈も多種多様である。たとえば、佐金さんによる分類のうち、観念論、実在論、関係説のそれぞれに対応しそうな解釈がある。しかし私の報告では、そうした解釈上の細部に立ち入らず、佐金さんの議論との関係を意識しつつ、時間に対してアリストテレス的なアプローチのもつ意味を考えてみたい。
 時間論を含む『自然学』第4巻までの探究は、周到なリサーチ・プログラムの下で遂行されている。すなわち、自然について探究した先行哲学者の諸見解の検討のあとに、自然、運動変化、場所および空虚の順にそれぞれの規定が試みられ、そのうえで時間が規定される。これら諸概念は、もちろん相互にリンクしており、アリストテレスもその相互的関係に注意を払いつつ議論を遂行しているが、それでも時間はこれらの諸概念の最後に論じられるべき理由がある。それは、探究の道筋として「われわれが時間の経過を知覚するのは、運動変化を知覚する場合である」という経験的事実、そしてそれにもとづく「運動変化がなければ時間はない(218b21, 218b33-219a1)」という探究の起点となる認識においても、また「より先とより後にもとづく運動の数」(219b1-2)という時間の規定においても、運動変化の存在と知覚が先行的に前提とされているからである。さらには、時間の規定に現われる「より先とより後」についても、その成立は「大きさ」(空間的拡がり)→「運動」→「時間」の順に随伴(先後)関係にあるとも主張されている。したがって、この局面だけを見るなら、アリストテレスの議論は、佐金さんの避けようとする「時間の空間化」よりもさらに極端な(あるいはより問題的な)、「空間に依存してはじめて成立する時間」といった考えを提起していることになるかもしれない。
 もう一つ、佐金さんの議論、とりわけ現在主義との関係で問題となりうるのは、アリストテレスの〈いま〉(現在)という概念の扱いである。アリストテレスは、言ってみれば、時間についてもさまざまな困難や混乱の大きな原因は、〈いま〉の理解の問題にあるとみている。そして彼の議論の方向は、〈いま〉の解明を通じて時間の本性を明らかにしようとしていると言えそうである。第6巻では「〈いま〉なしには時間が存在することも、時間を考えることもできない」「時間において把握されるものは〈いま〉以外にはない」(251b21-25)とも語られている。これは現在主義に親近的だろうか。
 ともかく、アリストテレスがこのようなかたちで時間について論ずるに至る、彼に特徴的な自然と時間に対するアプローチを紹介して、議論に貢献できればと考えている。

 

これまでのイベント 

性愛プロジェクト講演会

日時:2023年3月16日(木)15:00〜

ハイブリッド開催:大阪公立大学杉本キャンパス・経済研究所棟4階426共同研究室

講演タイトル:人は自身とは異なる性指向とどのように向き合うのか―異性愛者の同性愛者に対する態度研究から―

講演者:鈴木 文子(国際経済労働研究所)

* 本講演会は、挑戦的研究(萌芽)「性愛をめぐる人間学の試み」(代表:土屋貴志、課題番号:22K18460)の一環として開催されます。