常設絵図・地図展示「絵図・地図でめぐる西成」(第1期)
新地入 増補大坂図(辰年増補大阪図)
年代 | 貞享4年~元禄元年(1687~88年) |
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所蔵 | 神戸市立博物館 | |
解説 | 貞享4年~元禄元年にかけて作成された大坂図で、辰年増補大坂図ともいいます。方位を北にした最初のもので、町屋はすべて黒一色で描かれていて、色彩はまったくほどこされていません。この手法は、それまでの大坂図がすべて京都の版元から刊行されていたことによりますが、本図以後は、大坂の版元からも刊行されるようになります。木津村領内に移転したばかりの渡辺村(摂津役人村)は「穢多村」と記されています。現西成区に相当する部分には、凡例(合紋)が記されていて地理的な情報はまったくありません。 |
摂津大坂図鑑綱目大成
年代 | 宝永4年(1707年) |
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発行者 | ||
所蔵 | 神戸市立博物館 | |
解説 | 宝永4年作成された大坂図で、大坂城のある東を上にして描き、通りや橋などを黄色で、河川や堀などを水色で色分けしています。また、作者名(絵師長谷川図書画之)を明記した最初のもので、三郷(南組、北組、天満組)をはじめ、与力・同心屋敷や各宗派の寺院まで細かく記しています。現西成区に相当する部分は住吉の描画でおおわれています。なお、移転直後の被差別部落である摂津役人村(渡辺村)は「ゑつた村」と賤称で記されています。 |
増修改正摂州大阪地図
年代 | 文化3年(1806年) |
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪人権博物館 | |
解説 | 江戸時代に作成された大坂図の中で、もっとも詳しいものであるといわれています。東を上に大坂三郷(南組・北組・天満組)を描き、町名や役所だけではなく周辺の村や寺社、堀や橋、名水や芝居小屋など広範囲に記載しています。現西成区の部分はほとんど何も記されておらず、わずかに津守新田の文字が見えるだけです。なお、被差別部落である摂津役人村(渡辺村)は「穢多村」と賤称で記されており、三郷の長吏身分も「非人村」とされています。 |
天保国絵図
年代 | 天保6年~8年(1835~38年) |
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発行者 | ||
所蔵 | 国立公文書館 | |
解説 | 天保年間に幕府の命によって作られた国絵図。江戸時代に国絵図は都合4回作成されていますが、いずれも村などは小判型に色分けして描かれています。本国絵図は摂津国全体を描いており、そのうち西成郡が多くを占めている。その範囲はかなりひろく、現在の東淀川区あたりまでが西成郡だったことがわかります。郡内に点在する被差別部落は「皮多村」などと表記されています。 |
大阪府摂津国西成郡実測図
年代 | 明治15年(1882年) |
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発行者 | 大坂伊藤○○堂? 字が読み取れず | |
所蔵 | 大阪府立中之島図書館 | |
解説 | 天保の国絵図との対比が可能で、測量図としての正式な明治初期の西成郡の地図となっています。現淀川以北の3区から、現北区、福島区、此花区、港区、大正区など広大なエリアになっています。郡役場は福島にありました。藩政村の分布や村名などがはっきりと読み取れます。人口増加が始まる明治初期、現西成区エリア近辺では、大阪南郊の「畑場八ヶ村」の米や蔬菜栽培が盛んな近郊農村の景観が広がっていました。 |
大阪実測図(1万分の1)
年代 | 明治20年(1887年) |
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発行者 | 内務省地理局 | |
所蔵 | 大阪市立大学地理学教室 | |
解説 | 最初の本格的な測量図で、絵画的表現が特徴である内務省作成の地図です。西成区の北側エリアの母村である当時の今宮村、木津村、天王寺村や、難波村、旧渡辺村(栄町他)や難波新地、日本橋筋、寺町の状況が、家屋単位でよく見て取れる。農地一筆一筆も描かれ、小字名も付されています。小字名から旧町名などもうかがうことができます。 |
仮製 2万分の1地形図 大阪、尼崎、天保山、天王寺*
年代 | 明治19年*天王寺図幅のみ明治31年(1886年*天王寺図幅のみ1898年) |
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発行者 | 大日本帝国陸地測量部 | |
所蔵 | 大阪市立大学地理学教室 | |
解説 | 陸地測量部が全国的に2万分の1で測量を開始した最初のころの測量図である。地図の真ん中を南から北に、勝間村から今宮村を通り、難波村の難波駅まで阪堺鉄道(現南海本線)が走っています。一方赤破線にそって大阪鉄道(現JR大和路線)が、大阪市の旧城下町をとりまく形で、湊町駅に至っています。西成区の北部の今宮村、木津村の集落は、村域の北端にあり、その南には、ほとんど人家のない田園風景となっていることがよく見て取れます。 |
大阪市明細図
年代 | 明治28年(1895年) |
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発行者 | 中村芳松 | |
所蔵 | 日文研所蔵地図データベース | |
解説 | 1897年に天王寺から西に延びる関西鉄道(←大阪鉄道)を境に、北部が大阪市に編入される直前の地図となっています。現西成区域ではほとんど何も描かれてはいませんが、上町台地沿いに避病院、聖天山、天下茶屋公園、紀州街道と天下茶屋、阿倍野神社から住吉大社、そして堺が、かなりデフォルメされている形で描かれています。鉄道で結ばれている大阪、堺間の描写が名勝図的であることが特徴です。 |
新町名入大阪市街全図
年代 | 明治33年(1900年) |
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発行者 | 大阪市役所 | |
所蔵 | 日文研所蔵地図データベース | |
解説 | 大阪市の1897年の市域拡大で新市街地は、それまでの○村小字○から、○区○町に一斉に新町名化されました。大阪鉄道→関西鉄道を挟む南北で、描かれた地名密度の差が見事に見て取れます。緑色で紀州街道を表していますが、現西成区を構成する旧集落は大阪市に編入され、田畑部分が市外となり、地図上ではほとんど描かれるものが何もない形となっています。 |
大阪全図付神戸
年代 | 明治35年(1902年) |
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発行者 | 田村豊誠堂 | |
所蔵 | 大阪人権博物館 | |
解説 | 1903年に開催された、事実上日本で最初の万国博覧会であった、第5回内国勧業博覧会用に作成された、英語入りの簡易鳥瞰図です。博覧会観覧に必携と書かれているように、観覧すべき施設や名勝、公園、そして駅、鉄道、港湾などが絵画的に描かれています。現西成区方面は、鉄道のみの記載となり、天下茶屋や勝間の停車場が見られます。そして博覧会場用に南海鉄道は門前停車場、関西鉄道は引き込み線で停車場が会場に引き込まれています。そして現阿倍野区側では、阪堺電車の上町線の前身である馬車鉄道がTramwayと銘打って書きこまれています。 |
2万分の1地形図 大阪西南部、大阪東南部*
年代 | 明治42年*大阪東南部は明治41年(1909年*大阪東南部は、1908年) |
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発行者 | 大日本帝国陸地測量部 | |
所蔵 | 大阪市立大学地理学教室 | |
解説 | 最初の2万分の1が測図された1887年からほぼ20年後の地域の変容をみることができる正式2万分の1地形図です。1897年に赤線より以北が大阪市となり、以前の田畑エリアで一気に市街地化が進み、それより以南の西成郡として残された南部A、B、Cでは、徐々に市街地化が始まった状況が見て取れます。Aでは紡績工場と屠場、Bでは釜ヶ崎を中心とする市街地化、Cでは天下茶屋から上町台地にかけての市街地化と、それぞれ異なるタイプの都市化が見て取れます。 |
大阪地籍地図全三編
年代 | 明治44年(1911年) |
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発行者 | 吉江集画堂地籍地図編集部 | |
所蔵 | 大阪市立大学学術情報センター | |
解説 | 1900年の新町名地図とは異なり、西成郡エリアの大字今宮、大字木津などの小字名とその境界が詳細に記されていることが大きな特徴となっています。黄色でしるした紀州街道で、赤線の関西鉄道を南に下ったすぐのところに、小字釜ヶ崎が見られます。こうした小字名は、1922年に新町名に切り替えられ、一部の小字名では、花園や、合成地名、長柄+小橋⇒長橋などの町名に生まれかわっていることがわかります。 |
実地踏測大阪市街図
年代 | 明治44年/大正7年/大正14年(1911年/1918年/1925年) |
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発行者 | 和楽路屋 | |
所蔵 | 日文研所蔵地図データベース | |
解説 | 和楽路屋の市販地図ですが、現西成区北部の地域変遷を見ることができます。大阪市に編入される1925年以前の地図では、この範囲が地図の最南端でこれより南は描かれていません。1911年地図ではいくつかの小字名(赤字)と若干の市街地化が描かれていますが、中段の1918年以降になると、耕地整理の進行に伴う整然とした市街地の登場がうかがえ、下段の1925年では、大阪市に編入され新町名がふられていることが見て取れます。 |
1万分の1地形図_大阪南部、住吉
年代 | 大正10年(1921年) |
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発行者 | 大日本帝国陸地測量部 | |
所蔵 | 大阪市立大学地理学教室 | |
解説 | 大阪市及び近辺では、1921年と1929年に詳細な1万分の1地形図が刊行されました。西成郡時代の1921年では、関西本線以南の耕地整理が施行された西成区北部地区で、急激な都市化の始まっていることが見て取れます。赤字で現小学校名を記していますが、人口増加と共に新たに創立されてゆく学校を核とした市街地の拡大が確認できます。 |
今宮町全図
年代 | 大正12年(1923年) |
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発行者 | 大阪府今宮町 | |
所蔵 | 国会図書館近代デジタルライブラリー | |
解説 | 1913年に村から町になった今宮町の略史や裏面に町勢要覧が付属し、大阪市への編入直前の今宮町の姿が見て取れる。耕地整理後ようやく地名と番地整理をすませて作成された番地入り区画が描かれた詳細な今宮町図です。人口は合併直前には全国でもトップとなる7.5万人に達しました。番地入りで耕地整理の碁盤目の街区の整備状況が細部にいたりわかり、黒地で工場や公共用地などが示されています(元図データが不鮮明)。 |
大阪市パノラマ図
年代 | 大正13年(1924年) |
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発行者 | 日下わらじ屋 | |
所蔵 | 大阪人権博物館 | |
解説 | 大大阪市になる1925年直前の大阪市の鳥瞰パノラマ図です。右下隅に当時の西成郡のまちなみを見ることができます。住吉大社の案内図が右下にはめこまれているため、今宮町のかなりの部分が残念ながら描かれていません。現在の太子、萩ノ茶屋から国道26号線より以西、長橋、そして一部鶴見橋方面が描かれています。十三間堀川は雲間に隠れ、木津川沿岸に描写は飛んでます。市街地に立つ煙突が特徴的です。 |
大大阪市名勝パノラマ図
年代 | 大正14年(1925年) |
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発行者 | 金尾文淵堂 | |
所蔵 | 大阪市立図書館 | |
解説 | 大大阪の誕生を祝して作成され、新しい市域を加え図の周りに大阪の各名所の絵が配された簡易のパノラマ図となっています。 裏面は「近畿遊覧地図」になっています。現西成区エリアで当時の住吉区にあたる上町台地西崖ぞいに、聖天山、遊園地、阿倍野神社など、明治中期の別荘中心に開発されはじめた状況が、絵画的に見て取れます。 |
1万分の1地形図_大阪南部、住吉
年代 | 昭和4年(1929年) |
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発行者 | 大日本帝国陸地測量部 | |
所蔵 | 大阪市立大学地理学教室 | |
解説 | 1921年の1万分の1地形図の状況からわずか8年後に再び作成された1万分の1地形図です。さらに市街地化が進み、西成区のかなりの田畑が消えていってることがよく見て取れます。現阿倍野区側も同様に激しい市街地化が進んでいます。小学校の新設もさらに拍車がかかっています。現国道26号線や隣区のあべの筋の広幅員道路の登場が北部の方で目につきます。 |
大阪府交通略図
年代 | 昭和7年(1932年) |
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発行者 | 大阪府 | |
所蔵 | 日文研所蔵地図データベース | |
解説 | 鳥瞰図では最も有名な絵師である吉田初三郎による、大阪府の名勝と交通路が見事に描かれた図となっています。西成区近辺では、市街地のみが淡々と描かれていますが、難波、天王寺から、住吉大社、大浜公園などの行楽、名勝が点在し、それらをつなぐ交通機関が、西成区や現阿倍野区を何本も走っていることが見て取れます。 |
写真 木津川尻千本松
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 「木津川口の東岸は松樹立ち並び手、恰も天の橋立の如き勝景であったが、明治四十年頃より造船所や諸種の工場が建設せられて、今は殆ど旧態を止めず、明治三十五年の撮影である。」(原写真帖の解説文より) |
写真 天下茶屋聖天の森
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 「住吉街道の東、阿倍野の丘西方に松樹鬱蒼たる森あり、写真は聖天坂の麓前面一帯の田畑なりしが、現今人家稠密の天王寺町の市街となる。」(原写真帖の解説文より) |
写真 天下茶屋 解説付き
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 「太閤閣の茶亭と天下茶屋の仇討によりて名を知られたる是斉の旧宅なり。今芽木氏の邸宅となる。又付近に紹鴎が愛用せしと伝わる井戸あり」(原写真帖の解説文より) |
写真 住吉高灯籠
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 「住吉公園の西、松林の尽くる処、出見の浜辺に聳えたり。遠望極めて風趣ありしが、現今茶亭や別荘建連り昔の勝景なし。写真は明治三十年頃のものである。」(原写真帖の解説文より) |
写真 天下茶屋 茶室のある写真
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 原写真に解説文なし。 |
写真 今宮広田神社
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 原写真に解説文なし。今宮村の村社の広田神社の明治末期の写真です。1897年から本殿のある地域は大阪市南区(現浪速区)となりましたが、参道から本殿にいたる光景は今と変わらりません。背景に広田の森が見えます。 |
写真 天下茶屋聖天森
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 原写真に解説文なし。西側から東側を望む写真であり、手前の田んぼの刈取り風景が明治末期当時をしのばせます。 |
写真 津守新田方面
年代 |
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 | 「木津川尻の堤防より東方を眺望したる撮影で、此辺元櫨の樹多かりしが、現今南海電鉄の高野線及阪堺電鉄等の為に人家・工場等全く一変せり。」(原写真帖の解説文より) |
写真 今宮村 関西線と阪堺線の十字交叉点
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発行者 | ||
所蔵 | 大阪市立大学上田写真コレクション | |
解説 |