ORGEL Column

2026年6月17日

プリンセス・シューズ!? イナズマ・シューズ!? 子どもの靴選びから見えた、私のジェンダー観

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担当:タマ
たま

今回は異なるテーマで書いてみようと思ったのだが、自分自身のジェンダー観について気づいた出来事があったので、今回もジェンダーをテーマとした内容を書かせていただこうと思う。

子どもを取り囲むジェンダー表現について

 私には3歳半の娘がいる。娘が生まれてからさまざまな物を買い与える中で、娘が選択を示す場合は、可能な限り彼女の選択を尊重してきたつもりだった。また、「女の子」=「ピンク」「フリル」「キラキラ」といったジェンダー観を意識的に抑制し、先回りしてそうしたものを与えることは避けてきた。娘の成長につてれ、徐々に本人の好みを明確に示すようになっていく中で、私は何度か葛藤を感じることとなった。その中から2つの経験を交えて、自身のジェンダー観への気づきを記していこうと思う。



葛藤その1 「女の子らしさ」の否定

 はじめに葛藤を感じたのは、娘が2歳半の頃だった。娘は1歳半頃から保育園へ通っており、わりと活発で社交的に過ごしていた。その友人関係から受ける影響は多大なものであり、彼女の思考・好みにもれなく影響している。

ある日、娘の靴を新調しに出掛けたところ、娘はお友達の影響からディズニープリンセスのキャラクター物を選んだ。自宅ではディズニープリンセスに触れたことがないため、私には寝耳に水であった。また、私自身がこれまでの人生の中でディズニーキャラクターを好んだことがなく(嫌いでもなく)、ましてやプリンセス=「女の子の王道」とも言える選択に大きな抵抗を覚えたのだった(ディズニープリンセスの批判ではありません)。先ほども述べたように、「女の子らしさ」を先回って与えることを避けていたからである。

しかし同時に、娘の選択や表現を否定したくないという思いもあり、数日後にプリンセス・シューズを購入するに至った。

この葛藤を振り返ると、できる限りジェンダー・ニュートラルな選択を意識していたつもりだったものが、実は、娘の「好き」を尊重するというよりも、私が望ましいと思う方向へ無意識に誘導していたのかもしれないことに気づかされた。

この件以降、娘の周りにはプリンセスデザインのもので溢れていった。



葛藤その2 「男の子らしさ」の否定

 次の葛藤はそれから約半年後、つい最近の出来事である。場面はまたしても娘の靴の選択だった。しかし、前回の選択とは異なり、今回娘が選んだのは「男の子向け」とされるデザインだった。黒を基調に赤・青のイナズマが駆け巡るような、なんだか速く走れそうなデザインだった。私は、プリンセスデザインからのギャップに驚いたと同時に、新たな違和感を感じた。あまりにも「男の子」っぽいという違和感である。この瞬間、初めて自分の中に、「娘が男の子っぽい物を身につける」ことへの抵抗があるのだと気づいた。

これまでも、娘は恐竜が好きであり、実際にたくさんの恐竜デザインやフィギュアを買い与えてきた。では、なぜ今回はこのような抵抗感を抱いたのだろうか。

思い返すと、恐竜デザインの洋服を選ぶ際にも、「男の子っぽ過ぎる」と思ったものは無意識に避けていたようだ。なるべくカラフルなものや、明るめの色調のものを買っていたのだ。

なんてことだ。

自分の中で「女の子」≠「男の子向けデザイン」といった価値観が根底に潜んでいたのだ。これまで意識してきた価値観とは異なる自分のリアルな価値観に気づき、ショックを受けた。

さらに、ここで気付かされたのは、私は「女の子は自然に女の子っぽいものを好むであろう」という前提のもと、女の子らしさへの偏りだけを抑制しており、他の方向のジェンダー表現を十分に考えていなかったということである。そして、「女の子向けデザイン」か「男の子向けデザイン」かといった二元的な価値観にとらわれていたのではないかということだ。

「女の子向け」とされるデザインの選択を抑制していたということと、「男の子向け」とされるデザインを選択すること。これらは異なる次元の選択であろうにもかかわらず、私は性別二元論的な尺度に当てはめて考えていたのではないだろうか。



ふりかえり

ここまで、2つの経験をもとに私のジェンダー観について内省してきた。この経験と内省を今後どう活かしていくかについて、2つのポイントで締めたいと思う。

まず、当たり前のことではあるが、改めて感じるのは、子どもは「ジェンダー表現を選択している」という意識は薄く、むしろ単純に、「好き」、「かっこいい」、「かわいい」といった感覚の中で日常の選択を行っているのだろう、ということである。そこに大人のジェンダー観が介入し、知らず知らずのうちに操作を加えているのではないだろうか。

子育て世代の方々と関わる中で、子ども自身の感性を大切に育てたいと思っておられる保護者は非常に多いと感じる。だからこそ、「自分は子ども主体で選ばせている」と思っていても、改めて子ども目線に立ち返り、子どものときめきに共感する機会が大切なのだと思う。

もちろん、費用や実用性の問題で、そのときめきを叶えてあげられないことも少なくない。それでも、子どものときめきに共感する目線は、今後養っていきたい。

2つ目は、子どもの選択と自分の価値観との間に葛藤を覚えたとしても、それはごく自然なことなのだということ。

自分自身と親を例にとって見てみても、価値観がぴったり合うことの方が珍しい。それゆえに、葛藤の中で自分の価値観を否定する必要はなく、むしろそれを「あ、私ってこう思うんだ」と認めること。そして、子どもとの価値観の違いを認めること。これだけで良いのではないだろうか。非常に基本的なことであるが、意外と気づきにくく、内省することが難しい部分であるように思う。

今回、このコラムを書かせていただいたことで、自分のジェンダー観を深く内省するきっかけになった。これからも、子どもとの関わりの中でどんな自分の価値観に遭遇するか、楽しみに過ごしていこうと思う。