サイト内検索
2026年8月15日
担当:かえ
先日、『プライマ・フェイシィ-私の声を聞いて-』という舞台を観た。
この舞台の主題は、「司法がいかに男性の視点でつくられてきたか」というものである。
主人公の女性弁護士テッサは、ロースクールの同期や職場の同僚と比べて恵まれない環境で育ったという引け目があるが、努力を重ねて順調に弁護士としてのキャリアを積み上げる。
刑事事件を担当し、被害者側の主張の矛盾や一貫性のなさを鋭く指摘することでその訴えが不十分であることを裁判官に印象づけ、次々と「加害者」の「無罪」を勝ち取り、周囲からの評価を得る。
テッサは学生時代から、法は、自分を含めすべての人を平等に守るものであると信じてきた。
あるときテッサは、職場の同僚である男性から性暴力の被害を受ける。
その被害を告発し、裁判で証言をする過程において、テッサははじめて法律という枠組みのなかで「自分の声が聞かれない」体験をする。
弁護士として法廷に立っていたときに当たり前のように被害者に要求していた「客観性があり論理的で、一切の齟齬がない証言」をすることの困難さ、自分の訴えの言葉を捻じ曲げて受け取られ、加害者に都合よく解釈される屈辱。
それが被害であるか否かや同意の有無、抵抗の度合いなどをはかる基準が、被害者に不利にはたらく設計になっていることを思い知らされる。
『プライマ・フェイシィ』は、2019年にオーストラリアで初演後、イギリスやアメリカを経て、2026年に日本でも上演されることになった。
この舞台が各国でさまざまな賞を受賞していることが示すのは、こと性暴力被害にかんして、男性が作り上げてきた法制度が、被害者となることが多い女性の事情を鑑みず、結果的に加害者に有利に作用するという実態が世界中で共通しているということだろう。
舞台の上演と時を同じくして、#MeToo運動のように、性暴力被害を告発しそれに連帯する動きも国境を超えて広まっている。
日本でも、女性は性暴力の被害に遭いそうになったとき、父や夫のために貞操を守らなければならないとされたかつての法律から、2017年の刑法改正を経て2023年に行われた再改正では「不同意性交等罪」が成立するなど、被害者の訴えが反映された制度が少しずつ整備されてきている。
しかしそれでも十分とはいえない。
「被害者」となった瞬間に押しつけられるスティグマや、周囲の不理解、中傷、証言の苦痛など、被害者が負う負担の大きさは変わっていない。
舞台は、法制度の不均衡さについて声を上げ続けなければならないというテッサの言葉で締めくくられる。
わたしたちも、それに続かなくてはならない。
当サイトではサイトの利用状況を把握するためにGoogle Analyticsを利用しています。Google Analyticsは、クッキーを利用して利用者の情報を収集します。クッキーポリシーを確認