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2025年5月16日
担当:かえ
中学生になって電車通学を始めたころから、痴漢や盗撮といった性犯罪を自分に関係することだと認識するようになった。親や学校の先生たちから、通学路では周囲に気をつけるようしつこく言われるようになったからである。また、山の中にある女子校に通っていたため学校周辺に不審者が潜みやすく、通学途中だけではなく学校の中においても、性犯罪と隣り合わせの生活を送っていた。
こうした犯罪から身を守るための手段のひとつとして先生たちから教えられていたのが、「制服を正しく着用し、校則に則った見た目でいること」だった。いわく、制服のスカートを短くしたりシャツのボタンを開けて着たり化粧をしたりといった「派手な」格好をしていると変な人が寄ってきやすい。しかし、校則通りの身なりをしている誰から見ても真面目でおとなしそうな子には不審者も近寄ってこないということらしかった。
もちろんこの理屈にはなんの根拠もない。仮に正しく制服を身につけていたところで、実際に痴漢が狙っているのはおとなしくて抵抗しなさそうな人である1。先生たちが言うように、規定通りに制服を着用することが生徒自身の真面目さや寡黙さを周囲に知らしめていることになるのであれば、犯罪者に標的にされる確率が高まるとも言え、性犯罪から身を守る手段として適切な方法であるとは言えないだろう。また、性犯罪の被害にあうことと、被害者がそのときどのような格好をしていたかについてはまったく関連がないことである。昨今、性被害にあった人たちが当時身につけていた服を用いてのファッションショーや展示の開催が、日本を含め世界各地で行われている。そこで見られるのは、被害にあった人にかけられがちな「露出の多い格好をしていたのでは」等の犯罪の要因を被害者に転嫁するような言葉通りではない、「普通の」服装ばかりである2。たとえ露出の多い格好をしていたとしても被害者に落ち度はない。つまり、校則通りに制服を着用することと犯罪の被害にあわないこと、被害にあう要因と被害者の服装は無関係ということである。
いま思えば、生活指導の時間のたびに言われていた、この「制服を正しく着用することで自分の身を守ることができる」という言葉は、犯罪被害から生徒を守るためという側面もあっただろうが、生徒に校則を守らせるために性犯罪が脅しのようなかたちで利用され、女子校という空間で生活するうえで性犯罪に向き合わざるをえない生徒に対して、根拠のない性被害への対策方法として伝えられていただけのように感じる。そして、こうした「真面目そうな格好をしていれば犯罪者には遭遇しない」という言葉は、「犯罪の被害にあったということは問題のある服装をしていたのだ」という主張と表裏一体であり、このことは、性犯罪被害者のステレオタイプを生徒へ発信し、生徒自身にもそのイメージを植えつけることにつながるだろう。通っていた学校では、夏場、水泳の授業の時期になると、生徒の盗撮を目的として学校周辺に不審者が増加することが周知の事実であった。不特定多数の生徒が標的とされる盗撮が起こる理由に「校則を守っていないからだ」という理屈は通用しない。
先生たちの主張に違和感を持ったまま学校生活を送りながらも、被害にあったときに周囲から後ろ指を指されない行動をとらないといけないという意識は自分の中に刷り込まれており、性犯罪の被害にあったとしてもこちらに落ち度はないのだと確信できるようになったのは大学生になってからであった。卒業して10年近く経ったいま思うのは、性犯罪の発生時に被害者の過失を疑う風潮が根強い社会において、せめて生徒たちの生活の場である学校では、犯罪の要因を被害者に転嫁するような自衛の方法ばかりを教えるのではなく、被害にあったときに被害者の側が反省すべき失態というものは存在しないことを第一に伝えてほしいということである。
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