ORGEL Column

2025年7月16日

カミングアウトのハードル

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担当:philo
philo

 僕はありがたいことに、生まれてからの21年間、本当にたくさんの素敵な方々に出会ってきました。家族にも後輩にも先輩にも友達にも先生方にも恵まれていると実感しています。しかし、この多くの方々の内、僕がゲイであることを知っているのは1割にも満たないでしょう。すなわち、9割以上の方は僕がゲイであることは知らない、いや、僕が自分のセクシュアリティを伝えられていないのです。

 親しい人にカミングアウトすることは、とてもハードルが高いと感じています。僕は一人っ子であるため、親に孫の顔を~などと考えると、両親や親族にはとてもカミングアウトできそうにありません。しかし、いつまでも隠し通すわけにはいかないとひしひしと感じています(何かいい案はございますでしょうか...)。

 カミングアウトしてしまえば受け入れてもらえるとは思いますし、一言、ゲイであることを伝えればいいだけですから。ただ、どういう反応をされるのか怖いし、その場で「気まずさ」のようのものを共有したくないのです。もちろん僕自身もそれを感じたくはないですし、相手にも感じさせたくないわけです。先日、ゼミで同性愛の話になりました。僕は当事者であるわけなので、その視座から様々意見を出したかったのですが、結論から言うとそれはできませんでした。その場でカミングアウトした時に、場の空気が一瞬でも気まずくなるのが嫌でした。単に僕の思い込みかもしれませんし、気まずくなってしまうと考えるのはその場にいた仲間にも失礼かもしれません。それに、カミングアウトに対してここまで高いハードルを感じるのも僕の性格なのかもしれません。

 ある授業で、ゲイの方がゲストスピーカーでご講演してくださったことがありました。その方が言われていたのは、大学入学当初は自分を「バイセクシュアル」だと偽って周りにカミングアウトしていたということ。その理由は、ゲイというよりもその方が受け入れられやすいと感じたからということでした。

 実は僕も全く一緒です。僕が男性を好きになるということをカミングアウトしている数少ない友達には、「バイセクシュアル」として自分自身のセクシュアリティを伝えています。特に、同性の友達に伝える際には、その方が受け入れられると無意識のうちに思ってしまっていました。内在化しているホモフォビアでしょうか。おそらくこの経験は、僕を含め多くのゲイの人たちが経験していると思います。それほど、「いかに受け入れてもらえるか」ということを気にしているのです。

 ここまでマイナスなことしか書いてきませんでしたが、僕は自分自身がゲイであることに対しては、特段思うことはありません。ただ、好きになるのが男性というだけでそれ以上でもそれ以下でもないですし、それが僕という人間ですから。

 今年の3月にご退官されたある先生とお話していた際に、「ゲイであるということは、君にとってとても大きなこと」と言っていただきました。自分自身の生い立ちを書くという課題のフィードバックをいただいていた時です。僕はてっきり、何もかもが上手くいっていた中学時代のことや、挫折した高校時代のことに触れられるかと思っていたのですが、その先生が開口一番、先述のようなお言葉をくださりました。僕という人間の人生について客観視した時に、やはり一番大きいのはこのセクシュアリティなのかもしれません。

 蓋を開けてみれば、性的「マイノリティ」とは雖も、意外とその数は多いのです。僕の尊敬するフーコーやバトラーもそうです。今まで僕は、ゲイであることを隠しながら生きてきました。しかし、ゲイというセクシュアリティが僕という人間にとってはとても大きなことであり、一生付き合っていくものです。これからは執拗に隠すことなく、誇りをもって我が道を歩んでいこうと思います。

 拙い文章ですが、ここまでご拝読いただき、ありがとうございました。