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2025年11月28日
担当:レイ
本屋に入ると必ず、スキルの向上や成功の法則を説く自己啓発本が目に入る。「人生がうまくいく人はこうしている」や、「成功者はこんな考え方をしている」という文句はこうした著書の定番である。もっとも、個人の自己実現や成功を美徳とする自己啓発本は近年になって突然生まれたものではない。たとえば1859年に英国の作家サミュエル・スマイルズは、自らの努力によって人生を切り開くことを美徳とする『自助論』を出版し、これを中村正直が日本語に翻訳した1871年の『西国立志編』はベストセラーとなった。こうした著作とそれが強調する自助の言説は現代において再評価され、「自分のことは自分でする」という自己責任の論理を強化し続けている。
また、現在では個人の成功という美徳が男性だけでなく女性にも向けられている。その典型的な例がFacebook(現Meta)の元最高執行責任者シェリル・サンドバーグの2013年の著書『リーンイン』である。ここでは、これまで平等な機会が与えられてこなかった女性が野心を持ち、積極的に挑戦し、リーダーシップを発揮して成功を掴むべきであることが強調されている。
しかし、これらの自己啓発本が表現する成功物語は最も重要な点を見落としている。それは、成功が決して自分の努力だけで成り立つものではなく、身近な人々、さらには顔も名前も知らない無数の他者によるケアによって支えられているという事実である。
ケアとは、政治学者ジョアン・トロントが定義するように「私たちがこの世界で、できるだけ善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる」ものである[トロント2020]。自助論やリーンインのように強さや自律性を美徳とする言説とは対照的に、ケアは人間が本質的に傷つきやすく、それゆえ誰もが他者の支えを必要とする依存的な存在であることを前提とする。こうした「人間の弱さ」を出発点にすることで、強くなれない人々を努力不足として切り捨てる発想を避け、またそもそも「強くなる」ということを美徳とすることなく、誰もが共に生きることのできる社会を構想することが可能になる。
もっとも、新約聖書に記載されているギリシャ北部の都市テサロニケの信徒に向けた第二の手紙において使徒パウロが「働きたくない者は、食べてはならない」と命じ、テサロニケの信徒が「怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている」ことを非難したのは働く能力があるにも関わらずそれを拒絶する人々に向けた忠告であるのだが、これをケアの文脈で現代社会に置き換えてみるとケアの責任は女性やグローバル・サウスの労働者など周辺へと押し付けられており、その恩恵で生きている特権的な人々はその責任を担うことを拒む。また、「働きたくない者は、食べてはならない」という忠告とは逆に、むしろケアの恩恵を受けていながらその責任を担うことを拒む人々に富が集中し、その一方でケアを担う人々はどれだけ働いても食べて生きることが精一杯であるという状態に陥っていることが見られる。ケアが不足しているだけでなく、その負担が一部の人々へと押し付けられている状況に対し、現代社会においてどういったケアが必要であり、それを誰がどのように担うのかを考える必要がある。
参考文献
サンドバーグ・シェリル(2013)『LEAN IN(リーンイン)』(河本裕子訳)日本経済新聞出版
スマイルズ・サミュエル(2016[1859])『自助論』(久保美代子訳)アチーブメント出版
トロント・ジョアン, 岡野八代(2020)『ケアするのは誰か』(岡野八代訳)白澤社
「テサロニケの信徒への手紙」共同訳聖書実行委員会 (1987) 『聖書 新共同訳』
日本聖書協会pp.(新)380-383
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