レトロブームの背景にある「ライトエキゾチシズム」
純喫茶、町中華、銭湯。カセットテープやアナログレコード、フイルムカメラ。「昭和レトロ」の文脈で近年ブームとなったものは数え切れません。私たちが何気なく使っている言葉ですが、そもそも「昭和レトロ」とはどのようなものを指すのでしょうか。
「昭和は約63年間も続いた非常に長い時代ですから、どの時期を切り取るかで社会の様相はさまざま。世代によっても人によっても、イメージする『昭和』は全く異なります。ただ、『レトロ』という言葉で、『あの時代は良かったね』と懐かしむようなニュアンスが付け加えられ、当時を肯定的な感情とともに振り返る現象全般が『昭和レトロ』と呼ばれているのではないかと私は捉えています」
天野先生によると、「昭和レトロ」が観光資源として活用され始めたのは、1990年代初期。昭和の街並みを再現した施設として、1993年に梅田スカイビル(大阪市)の地下飲食店街「滝見小路」が、1994年にフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」(横浜市)がオープンしたことが例に挙げられます。
さらに大きなブームとなったのは、2000年代に入ってから。『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年公開)、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001年公開)など、昭和30~40年代をモチーフとした映画がヒットし、この時代の生活や文化が注目されました。このブームに乗じて、日本各地で昭和をテーマとする展覧会や催事が開催されたほか、2010年代以降も昭和をモチーフとしたミュージアムや飲食店街などが多く開業しました。
こうして連綿と続いてきたレトロブームですが、「どの時代の何をもってレトロであり、それをおもしろいと捉えるのか」は、常に変化し続けていると天野先生は言います。
「ALWAYSやクレヨンしんちゃんは、映画を見た多くの人たちが昭和30~40年代を『あの時代は良かった』と懐かしい気分に浸れることが、ヒットした理由でした。でも、最近『レトロ』として注目されているのは、昭和50年代以降にも広がっています。昭和後期、あるいは平成初期も含めたカルチャーに対して、日本の若い世代や外国人など、その時代を生きていない人たちが魅力を見出している傾向があります。つまり彼らは、昔を懐かしむのではなく、自分の知らない『新しい文化』として関心を持っているのです」
こういった現象がみられる背景には、「ライトエキゾチシズム」を求めるまなざしがあるのではないかと、天野先生は説明します。エキゾチシズムは、直訳すると「異国趣味」や「異国情緒」を指しますが、「ライト」なエキゾチシズムとは、気軽に異国情緒を感じることなのでしょうか。
「普段の日常とは異なる文化や風景を体験することは、観光行動の本質とも言えます。ライトエキゾチシズムのまなざしの対象は、人々がエキゾチシズムを感じる対象が、遠く離れた外国の風景でも、江戸時代から残る建物でもなく、近過去の街並みや文化なのです。例えば、現代人が鎌倉時代の遊び道具を見ても、なかなか興味を持ちづらいですよね。でも、ニンテンドースイッチで遊んでいる若者が初代のファミコンを見たら、『昔はこうだったのか』と現代との比較を通じて、その差異を楽しむことができます。このように、自分の日常と地続きになっている近過去の文化に触れることを、新しい文化体験として楽しむ潮流の浸透が、現在のレトロブームの背景にあると考えられます」
都市における新たな観光体験としての「レトロツーリズム」
近年は「レトロ」が観光の切り口の一つとして定着しつつありますが、そもそも都市観光やそのトレンドは、どのような変遷を辿ってきたのでしょうか。
「観光研究の分野では、かつて都市は観光の対象とは見なされてきませんでした。都市部の人たちが地方に出かけて、豊かな自然やその土地の歴史にふれることが観光のメインストリームだと考えられていたのです。でも実際は、私たちが日本からヨーロッパに旅行するときに、パリやロンドンを訪れるのと同じように、日本に来る外国人観光客の多くは東京や大阪といった都市部に集中しています。観光研究でも2000年代頃から、わずかながらも都市は非常に重要な役割を果たす場所として注目されるようになってきました」
近現代の都市はどの街も高層ビルが建ち並び、似たような風景が広がっているというイメージがありますが、天野先生は「それぞれの街の個性や均質的ではない部分を、観光客自身が見出していった」と話します。
「戦後の闇市を端緒とする東京の『新宿ゴールデン街』や、昔は日雇い労働者の街だった大阪の『飛田本通商店街』は、日本ならではの生活や文化にふれられる場所として、今では多くの外国人観光客から人気を集めています。また、東京の秋葉原や大阪の日本橋といったサブカルチャーの街に、外国人がわざわざレトロゲームなどを買い求めにやって来るという現象も起こっています」
こういった都市における観光(アーバンツーリズム)や新しい観光の形(ニューツーリズム)の一つが、天野先生が「近過去の街並みや文化を観光対象として活用した観光実践」として定義する「レトロツーリズム」です。
「レトロツーリズムの流れは、国や自治体が大々的にPRしたり、流行のきっかけとなる象徴的な出来事があったりして始まったわけではありません。観光客自身が街の魅力を見つけ、楽しんできたことがベースとなっています。前述した『ALWAYS 三丁目の夕日』は、かつてのレトロブームの火付け役として非常に大きな役割を果たしたとは思いますが、特に若者や外国人観光客の間で広がっている近年のブームは、個々人がおもしろいものを見つけて、それをSNSなどで発信することで、じわじわと形成されていったムーブメントだと言えるでしょう」
レトロをキーワードに、コミュニケーションの回路が開く
自然発生的に発展していったレトロツーリズムですが、他方で、地方都市や商店街の活性化策として計画され、地域に新たな観光資源をもたらすことにおいても大きな役割を果たしています。例えば、大分県の豊後高田市では、中心市街地の一角を「豊後高田・昭和の町」として商店街の再生を目指し、昭和30年代をテーマとしたまちづくりを2001年から始めました。ピーク時の2011年には年間40万人が訪れるほどの人気で、地域づくりや観光に関する多くの賞を受賞しています。レトロツーリズムをまちづくりに活用すると、大きく2つのメリットがあると天野先生は説明します。
「一つは、コストがかからないこと。昔ながらの佇まいがある商店街は、そのまま観光資源として使えるわけですから、大規模な再開発と比べると非常に低コストです。もう一つは、地域住民と観光客とのコミュニケーションの回路が開けること。例えば豊後高田市では、お店に代々伝わる珍しい道具やかつて使っていた商いの道具を『一店一宝』として店頭に展示しています。それがきっかけで、店主と観光客の間で会話や交流が生まれていく。人と人とのコミュニケーションの回路が、近過去をめぐる記憶という共通のテーマによって開けるのです」
<画像 豊後高田市(大分県)昭和の町/出典:大分県観光情報公式Webサイトhttps://www.visit-oita.jp/)
豊後高田市の他にも、鳥取県倉吉市の倉吉レトロまちかど博物館、岡山県倉敷市の玉島地区など、「昭和レトロ」を活用したまちづくりの事例はたくさんあるそうです。こうした観光地を一過性のブームで終わらせず、維持・発展させていくためには何が必要なのでしょうか。
「観光は非常に流行り廃りのあるものですから、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが新しいアトラクションを作り続けるように、常に新陳代謝していくことが求められます。しかし、レトロツーリズムにおいては、むしろ変わらないこと、昔ながらの姿がそのまま残されていることが重要です。そしてもう一つ重要なのは、ファンづくり。例えば喫茶店の店主が高齢になって店を畳もうとするときに、その店にずっと通い続けてきた人や愛着を感じている人たちの手によって、別の形で再生されるといったケースもあります。ファンとなった人たちとのコミュニケーションの中で、次の時代に受け継がれていくことが大切だと思います」
新陳代謝が求められる面と、昔ながらの姿を残すことを重視する面。その両面があるからこそ、「都市はおもしろい」と天野先生は笑顔で語ります。
「都市はよくモザイクにたとえられます。異質なもの、多様なものが散りばめられ、ストリートを1本挟むとガラッと雰囲気がかわるような、モザイク性をうまく残すようなまちづくりが重要だと私は思っています。今後も都市観光の楽しみ方のバリエーションは増えていくでしょうし、私自身もさまざまな角度から、これまでになかった都市の楽しみ方の提案や企画開発に携わっていきたいです」
最後に、ビジネスパーソンが日々の生活の中で取り入れられる、身近な都市観光の方法についても教えてもらいました。
<ゼミで学生と作ったガイドブック>
「通勤などで毎日通る道で、『これって何だろう』と気になったものを深掘りしてみてはいかがでしょうか。昔はここが川だったとか、この道は江戸時代から残る旧街道だとか、地域の歴史や魅力につながる新たな発見があるかもしれません。謎解きをするような感覚で街を散歩してみるとおもしろいですよ。あとは、街ごとにお気に入りのスポットを見つけてみるのもおすすめです。営業回りで何気なく歩いている街でも、自分のお気に入りの風景や場所を見つけると、その街をどんどん好きになっていくのではないかと思います」
プロフィール

文学研究科 文化構想学専攻 准教授
文学研究科 文化構想学専攻 准教授
博士(社会学)。中央大学文学部社会学科卒業、中央大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期・後期課程修了。静岡英和学院大学専任講師、東京国際大学准教授、大阪市立大学准教授を経て現職。専門は観光学・都市社会文化論。特に、都市における観光、現代の観光スタイル、メディアと観光行動の関係などを、社会学・文化論的な視点から解読する研究を中心に行っている。
※所属は掲載当時