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年金制度改正が私たちの暮らしに与える影響とは?

現在、年金制度改革に向けての議論が行われていますが、近年行われた法改正はどのような内容だったのでしょうか。川村先生は、20205月に成立した「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律」(令和2年法律第40号)には、大きく3つのポイントがあると言います。

1つ目は、厚生年金保険短時間労働者にかかる企業規模要件の改正。短時間労働者を適用対象とする企業規模要件が、500人超→100人超→50人超と段階的に引き下げられ、厚生年金被保険者の範囲が拡大しました。2つ目は、厚生年金保険における在職老齢年金制度について、支給停止とならない範囲を拡大したこと。在職老齢年金とは、働く高齢者の給与と年金の合計が一定額を超える場合、年金の一部が支給停止となる制度ですが、この基準を現行の28万円から47万円に引き上げました。3つ目は、国民年金及び厚生年金保険において、受給開始時期を拡大したこと。現行制度では60歳から70歳までの間で選択可能となっていましたが、その上限を75歳まで引き上げました。

この3つの中でも、社会にもたらす影響が特に大きいのは、1つ目の短時間労働者に関する被保険者の適用対象者拡大ではないかと、川村先生は話します。

「従来は老齢基礎年金しか受け取ることができなかった人たちが、老齢厚生年金を受け取れるようになる。これは将来の低年金対策としては有効でしょう。しかし、被保険者になるということは保険料負担を新たに求められるので、手取りが減るという事態が生じます。また、厚生年金保険の保険料は労使折半のため、事業主も負担します。被保険者が増えれば事業主の保険料負担も重くなるわけですから、事業をいかにして継続するのかという経営上の問題が生じるのは明らかです」

さらに、2025年の年金制度改正では、短時間労働者に関する収入要件の廃止、いわゆる「106万円の壁」の撤廃や、企業規模要件の撤廃についても議論されています。この案についても、川村先生は次のように危惧しています。

「被保険者の手取りが減る問題への対策として、従業員が支払う保険料の一部を事業主が肩代わりする仕組みも検討されているようですが、事業主がどこまで負担できるのかという議論があまり見当たりません。限度は当然ありますし、単純に事業主の負担を重くすれば良いという問題ではないはずです」

106万円の壁」だけでなく「130万円の壁」の問題も度々議論されていますが、川村先生はどのように考えているのでしょうか。

「今回の改正では見送られた問題として、国民年金第3号被保険者の扱いがあります。年収130万円未満の人が該当するため『130万円の壁』と呼ばれ、就労を阻害する要因になっていると言われています。夫は外で働き妻は家事をする、という家庭が多かった時代の日本社会では、意味のある仕組みだったのかもしれませんが、現状とは異なってきているため、維持し続けるのはやはり問題があると言えるでしょう。もちろん経過措置は設けるべきですが、いずれは縮小や廃止が必要だと思います」

少子高齢化が進む日本が抱える、年金の財源問題

ここまでさまざまな課題を挙げてきましたが、そもそも日本の年金制度は、年金支給のために必要な財源をその時々の保険料収入から用意する「賦課方式」を基本とするため、少子高齢化による構造的な問題を抱えています。

「高齢者の増加によって給付が増大する一方で、保険料を納める現役世代は少なくなっていきます。給付の問題に切り込むとすれば、年金支給額を減額する事態になり、現役世代に負担を新たに求めるとすれば、その負担にどこまで耐えられるのかという問題がある。少子化対策なども検討・実施されていますが、問題解決には至っていない現状を踏まえると、手詰まり感があると言わざるを得ません」

さらに、「社会保険制度以外の手立てを見ると、広く国民全体で負担するという観点から税金による対応がある」と川村先生。2025年度一般会計予算の歳出を見ると、社会保障関係費は約38兆円で、そのうち公的年金関係は約13兆円。一方、歳入について見ると、消費税約24兆円、次に大きな財源となるのは所得税約22兆円であり、それぞれ歳入の20%程度を占めています。とりわけ消費税については、社会保障関係の財源にもなると定められているため、「社会保障関係の財源問題について考える場合には社会保険制度のみならず税についても考えなければならない」と指摘します。

「本来であれば社会保険制度は、加入者が公平に保険料を負担し合い、給付を受けることができるという保険原理を基礎とすることから、保険料により運営すべきです。しかし日本では税が投入されているため、そうはなっていない。税を原資とすることで社会保険料負担が過度にならないメリットはあるかもしれませんが、給付と負担の関係について曖昧になってしまうという欠点があります」

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また、財源問題に関しては、今回の改正では基礎年金の底上げのために厚生年金保険の積立金を活用する案も挙がっていますが、川村先生は「政府が一方的に進めるのではなく、被保険者側との議論が必要である」と指摘します。

公的年金の運用のあり方と、受託者責任との関係

社会保障法と英米法を専門としている川村先生は、海外の年金制度と比較して、日本の制度の特徴について次のように説明します。

「アメリカやイギリスの公的年金制度は、国民すべてを被保険者とはしていません。一方、日本は国民すべてを被保険者とする国民皆年金を実施しているという特徴があります。また、アメリカやイギリスとは異なり、日本は公的年金の積立金を市場で運用しているところも特徴です」

川村先生によると、日本で公的年金積立金を管理運用しているのは「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」であり、2024年度第3四半期時点で、GPIFの運用額は時価で約258兆円、運用収益は約10兆円。機関投資家としては世界最大規模で、「市場のクジラ」とも呼ばれているそうです。

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「公的資金の運用機関として類を見ない規模であり、アメリカやイギリスにおいてもそのような例はないため、運用のあり方について考えるのは難しい面があります。GPIFは株式をはじめとする運用を市場で行っていますが、公的年金の保険料を原資としてそこまで積極的な運用を行う必要があるのかという素朴な疑問はありますね」

さらに川村先生は、GPIFが行っているESG投資に対しても疑問を呈します。ESG投資はEnvironment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス:企業統治)といった要素に着目して、これらの問題に取り組んでいる企業に投資するという考えであり、日本でも広がってきている印象がありますが、川村先生はどういった点で問題があると考えているのでしょうか。

「GPIFはESG投資に積極的な姿勢を示しており、世界最大の機関投資家がESG投資を重視しているということは株式証券市場において大きなインパクトを持つと考えられます。しかし、ESG投資自体に受託者責任との関係で理論的な問題があるのです」

受託者責任とは、年金制度において年金資金の管理運用を委託された受託者が受益者に対して負う義務と責任を指します。川村先生は、GPIFによるESG投資は受託者責任に反する可能性があると指摘します。

GPIFが運用しているのは年金給付の原資を得るためですが、ESGという要素に注目して投資対象を決定することは、目的外投資のように思えます。一般論として、受託者責任の一つである忠実義務(受益者の最善の利益を図るように受託者は行動しなければならない)の観点からすると、義務違反になる可能性があります」

受託者責任に関して、「企業年金関係者、市場関係者、エコノミストをはじめとする非法律家と法律家との間で、用語の理解が異なっている場合がある」と川村先生は言います。

「イギリスでは、2012年にエコノミストのジョン・ケイ氏が受託者責任を拡大するよう提言しました。これに対して、法改正などを審議する法律委員会は、非法律家と法律家との間で受託者責任に関する理解が異なっていることを指摘しつつ、法的観点から検討する重要性を説きました。日本でも、企業年金制度における受託者責任について、少なくとも1970年代から論じられていますが、まだ必ずしも明らかになってはいません。イギリスのように法的観点から議論を整理する必要があると思います」

ここまで伺ってきた年金資金の運用の問題は、あまりに莫大な金額を扱っているため、実感がなかなか湧かない人が多いかもしれません。しかし、川村先生が「公的年金の保険料を原資として運用しているので、被保険者すべてに関わる問題です」と話すように、日本で暮らす誰もが関わっているものとして意識しておくべきでしょう。

老後に備えるために、現役世代が意識すべきこと

日本の年金制度の現状や課題を改めて知った上で、この国で暮らす現役世代はどのような意識を持って日々を過ごしていけば良いのでしょうか。

「大前提として、公的年金は老後の生活費をすべて賄える制度ではありません。その上で、老後の生活設計をどのようにするのか考えていくことが重要です。政府はNISAiDeCoといった施策を打ち出していますので、これらを利用することは有益かもしれません。ただし、リスクは当然ありますから、投資をするならちゃんと勉強してやるべきですし、もし不安に思うのであれば無理に投資をする必要はないと思います」

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職業柄、年金や老後の資産形成について相談を受ける機会が多いという川村先生は、「一発逆転できる方法はないかと期待する人がいますが、そんなものはないんですよ」と笑います。

「資産形成という金銭面だけでなく、できるだけ長く働けるようにするという観点から、健康寿命を延ばすことを意識する必要があるでしょう。当たり前の話になってしまいますが、健康診断や歯科検診を定期的に受けて、異常を早期に発見して対応する。そうした取り組みは個人のみならず、公的医療保険制度として医療費の軽減につながるという意味でも重要ではないでしょうか」

最後に、川村先生が今後取り組んでいきたいテーマについて伺いました。

「これまでは主にイギリス法を対象として研究を進めてきましたが、日本はアメリカを参考にして制度設計してきた経緯があるため、今後は本格的にアメリカ法を研究したいと考えています。海外の法理論とそれを具体化した法制度に関する理解をもとに、日本法について法理論の観点から分析していきたいです。深い理解なしに『海外ではこうだ』という論法で物事を進めるようなことや単なる海外の制度紹介に終始することにならないよう、理論的な検討材料を提供できればと思います」

プロフィール

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法学研究科  法学政治学専攻 准教授

 
 川村 行論

法学研究科 法学政治学専攻 准教授

博士(法学)。東京大学法学部第一類(私法コース)卒業、北海道大学法学研究科法学政治学専攻修士・博士課程修了。北海道大学助教、同大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター協力研究員を経て、2022年より現職。年金法制における資産管理・運用に関する法規範(受託者責任)や、社会保障法と他の法分野(特に私法)との交錯領域に関して、英米法との比較法研究を行っている。

研究者詳細

※所属は掲載当時

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