伝え方を工夫し、自分事として捉えられる教育を―包括的セクシュアリティ教育とは―
看護学部3年生を対象とした「セクシュアルヘルス支援」という授業を担当している古山先生は、大阪府下の学校・福祉施設などに『包括的セクシュアリティ教育』の出張講義を数多く行っています。『包括的セクシュアリティ教育』とはどのようなものなのでしょうか。
「『性教育』や『包括的セクシュアリティ教育』の統一された定義はないというのが現状です。ただ、2009年、UNESCO、国連合同エイズ計画、国連人口基金、UNICEF、WHOが共同で『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』を発行しました。(ユネスコ編、浅井春夫ほか訳(2020)『国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】-科学的根拠に基づいたアプローチ-』明石書店)
その中では、従来の『性教育』を性と生殖に関連した妊娠、避妊の方法、性感染症予防という狭義の概念を扱うものとし、一方で、『包括的セクシュアリティ教育』は次の8つのキーコンセプトからなるものと説明されています。
【人間関係】
【価値観、人権、文化、セクシュアリティ】
【ジェンダーの理解】
【暴力と安全確保】
【健康とウェルビーイング(幸福)のためのスキル】
【人間のからだと発達】
【セクシュアリティと性的行動】
【性と生殖に関する健康】(ここに妊娠、避妊、性感染症が入ります)
私が長年上手く言えなかったことが盛り込まれていて納得しました。
『包括的セクシュアリティ教育』の基礎には人権があり、知識だけでなく価値観を醸成するものなので、一回限りの教育で終わりではなく、子ども一人ひとりが学校や家庭、地域のあらゆる機会に積み上げていくものと考えています」
これまでの性教育から包括的セクシュアリティ教育への流れとしては、4段階あるそうです。
① 純潔強制教育
結婚まではセックスをしないという誓約書を署名させるなど、マインドコントロール教育が主。宗教の教義や文化として現存。夫以外の人(男性だけでなく)に肌を見せないなども含まれる。(宗教や伝統文化、特定のイデオロギーのもとで、女性・若者に純潔であることを誓わせ強制する)
② 性の恐怖教育
掻爬の中絶方法や器具を見せたり、性感染症を脅しとして紹介したりなどの教育。中高校でまだ行われている。(性行動の悲惨な結果をことさら強調する)
③ 抑制的性教育
「性教育によって無垢な寝た子を起こす」という曲解と性行動の管理を柱にした教育。
④ 包括的性(セクシュアリティ)教育へ

浅井春夫、谷村久美子、村末勇介、渡邉安衣子編著(2023)『「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」活用ガイド』明石書店 30ページより
※赤字は古山美穂准教授による補記
「こうしてみると、①~③の教育も古いようでまだまだ私たちの周りや意識の中にあるように思いませんか。集団、個別、方法…どのような伝え方が、眼の前にいる子どもたちに届くのか。小児病棟での看護職の態度、伝え方、保健室の養護教諭として、何年生のどんな背景の子どもに何を伝えたら、子どもは生きやすく幸せになるのかを考えていかないといけないと思います。例えば困った現象に対応する必要がある時、現象は毎回違いますし、子どもの状況、環境、相手の状況も毎回違います。正解というより最適解で行動できるようにすることが目標だと言えます」
古山先生は、学校でのセクシュアリティ教育の難しさを語ります。
「同じ年齢でも障害や特性をもった子どももいますので、集団と個別を使い分けながら、その子ども自身が知識を得て、行動できる教育支援が必要です。思春期は、乳幼児と比べて、一般的な共通の発達課題というよりは、16~18年過ごしてきた環境、大人や友だちからの関わられ方などによる個別性が大きくなっています。集団で伝えられる部分と、個々に合わせて不要な点や強調したい点など、“その子が自分事として捉えられる伝え方の工夫”が必要になります」
古山先生は、学校や施設に出張授業に行くときには、子どもたちの状況を視察したり、そこの先生たちからヒアリングしたりして、綿密に事前打ち合わせを行うそうです。
「子どもによっては、授業で伝える“命を大切にする”というメッセージが、自分の状況と照らし合わせたときに“自分は大切にされてこなかったのだ”という気づき、絶望感を抱かせてしまうことになりかねないケースがあるのです。また、中学校や高校などを卒業したら、学校などでセクシュアリティ教育を受ける機会がなくなる子ども、不登校の子ども、ネットで不正確な情報を得てしまう子どもがいる前提で、短期決戦、その子にとって優先順位の高い内容から伝える必要があります」
大事なのは信頼できる大人との出会い
医療、母子保健、福祉の仕事を経験してきた古山先生は、医療・保健・福祉・教育(学校)の専門家が同じまなざしをもって、子どもとその家族を支援する必要があると言います。そのために、2017年に『思春期の子どもを支える会※』を立ち上げました。
「思春期の子どもと親(家族)が、行政の枠を超え、より継続的で充実した支援が受けられるように、地域のニーズに合わせたチームを大阪府下で創り、現在4 地区で展開しています。専門家間の多職種連携を促すために、1つのテーマで意見交換をするなど、“違いを知り、まなざしを同じにしていく作業”と、交換した意見や他職種の反応を直接見て、“人やアイデアが共鳴し、新しいシステムやサービスを生み出す”ことを目指しています。他職種と交流することで、効率的な仕事の工夫を共有したり、明日からも頑張ろうとエンパワーもされます。子どもを支える専門家自身が、知識やゆとりを持って、子どもと向き合えるようにしていきたいです」

思春期の子どもが親になるまでに、「“愛されて信じてもらえて待ってもらえる”体験をしてほしい。信じていい大人がいることを知ってほしい」と古山先生は言います。
「16~18年生きてきて、信用できる大人がいない場合もあります。いくら正確な情報を知っている専門家でも、その人のことを信用していなかったらその言葉は一言も心に入りません。まずは“この人の話は聞いても損はないな”と思わせる工夫が必要です。
今まで大人に話を聞いてもらえていない子どもは、どうせ私の話なんて聞いてもらえないと話すことをあきらめています。でもそういう子は、先生や専門家が他の子どもにどのような対応をしているのかを横顔や後ろ姿からもよく見ていて、信頼できるかどうかを見極めていることがあります。その人が大丈夫そうだと納得できたら、こっそり声をかけてきてくれることがあります。『思春期の子どもを支える会』では、そうした支援者のあり方、たたずまいを共有することもできるのです」
恩送りで皆が生きやすい社会に
古山先生は、思春期の子どもがほぼ1日生活する学校の先生や不登校・被虐待児に対応する福祉施設のスタッフと協働することに力を入れているそうです。
「『思春期の子どもを支える会』のオープンチャットでの交流は日々学びの機会になっています。“愛されて信じてもらえて待ってもらえる”体験ができた親が増えれば、子どもを“愛して信じて待て”ます。ダイナミックにいい循環が生まれると思っています。自尊感情や“私にはできる”という自己効力感が高まれば、インターネットからであれ、新しい知識もどんどん取り入れようとするでしょうし、自分を大切にできる子どもは他者への想像力が増し、他者も大切にできると思います」

子どもや若い世代の人たちを含め皆が、安全で安心に暮らすために、私たちにもできることはあるのでしょうか。
「子育て中の人もそうでない人も、生きていく上で、どうしたら自分も子どもも幸せだと感じるかを考えてほしいと思います。親になりたくない気持ちや生きていたくない気持ちになる時、それはどうしてそう思うのかを考えてほしい。身近な子どもやパートナー、家族、隣の人に自分ができることは何なのかを考えてほしいと思います。自分がしてもらってうれしかったことを他の人にしてあげる。してくれた人に直接恩返しはできなくても、他の人にしてあげる。そんな恩送りのマインドや行動が広がれば、生きやすい社会になると思っています」
教育や福祉の現場と協働し、セクシュアリティ教育について長年研究してきた古山先生ですが、今後どのようなことに取り組んでいきたいとお考えでしょうか。
「『思春期の子どもを支える会』の登録教師からは、性的問題行動を起こす子どもと信頼関係を築いて、被虐待などの情報を得て児童相談所に繋ごうとしても、思春期の子どもは乳幼児よりリスクが低いと判断されて十分な支援が受けられない、あるいは十分な受け皿が社会にまだないという声をよく聞きます。ですから、まずは実態を把握して、国や行政が解決するために必要な根拠のあるデータを収集、可視化したいと思っています」
プロフィール

看護学研究科 看護学専攻 准教授
看護学研究科 看護学専攻 准教授
博士(人間福祉)。2001年大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻博士前期課程修了。2014年関西学院大学大学院人間福祉研究科博士後期課程修了。2014年大阪府立大学大学院看護学研究科講師、2018年同大学大学院看護学研究科准教授を経て2022年より現職。母性看護学・助産学を専門とし、子ども虐待予防、家族・子育て支援、多職種連携などを研究。大阪府下の学校・福祉施設などでの思春期における包括的セクシュアリティ教育実践者育成のための教育支援を行う。
2021年第73回保健文化賞受賞、2016年第5回健康寿命をのばそう!アワード(母子保健分野)厚生労働省雇用均等・児童家庭局長優良賞受賞
※所属は掲載当時