東日本大震災での医療支援活動

東日本大震災での医療支援活動

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、当院も医療支援活動を行いました。
支援活動を行ったスタッフの活動報告です。
今なお続く被災地の一日も早い復興を心より私たちも願ってやみません。

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「日本心療内科学会 災害支援プロジェクト」参加報告 森村美奈

2011年3月11日に起こった、東日本大震災・大津波被害から3年が経過し、その時からの時間を少し振り返ることができるような心境になりましたので、ご報告申し上げます。
生まれ育った土地・帰省するたびに通る風景を、大地震と大津波が襲う状況がテレビに映し出された時の衝撃は、未だ忘れることができません。
家族やお世話になった方々、友人たちの安否を確認しながら、医療者として何をすべきかを必死で考えていました。
すぐにでも現地へ駆けつけたい気持ちはありましたが、私の専門は心身医療です。
その立場で、いつ何をすべきかを、阪神淡路大震災での日本心身医学会での災害支援の時に学んでいました。
そこで、心身医学系学会の災害支援プロジェクトに連絡をとり、活動の時を待ちました。
逸る気持ちはありましたが、自分勝手な活動は被災地に混乱を招くだけであると自分に言い聞かせて、自分が派遣される時と場所を待ちました。
その間は、休日に時間が空けば仙台に帰り、実家の片づけなどをしながら、知人や友人たちに被災した時の状況などを教えていただいていました。
しかし、そこまで参加したかった被災地での医療支援でしたが、2012年10月20・21日に、初めて派遣された陸前高田市の診療所で被災者の声を聞かせていただいた時には、自分の無力さを痛感することになりました。
想像を超える体験した受診者の話を、ただ傾聴することしかできない自分は“なんと思いあがっていたのだろう”、と被災地支援に来たことが申し訳なくさえ感じました。
しかし、それでも“また来てくださいね”という診療所スタッフの言葉を信じて、2013年6月29日30日、2014年1月18日19日と3回、岩手県医師会高田診療所に伺いました。
1回目の時は、まだあの時から時間が止まった状態で苦悩する患者様の絞り出すような訴えを聴かせていただきました。
2回目は被災後の生活の中で起きる様々な問題が関与した心身の訴えに対し、診療を行いました。
3回目は、つらい思いを抱えながらも、前に進もうとする気持ちを持つ方や、国や社会への希望や不満を声にできる方も増えてきたように感じました。
しかし、人々が陸前高田のこれからの復興に願うことが、いつどのように叶うのかはまだまだ分からず、不安を抱えて生きていく人々の心のケアは、これからも必要であると考えます。
このプロジェクトに参加する際には、気仙沼にも訪れて、津波の被害にあった弟の友人のお話も聞いています。
また、地元の産業や医療を支える方々とも交流をもたせていただいています。
その方々からも、つらい思い出と現実の中で前に進む力強さを教えていただいています。
来年の夏にも陸前高田の診療所に行く予定です。支援内容の詳細は学会で管理され、個人情報に配慮して正式に報告されると思いますので、このHPでは私の感じた思いだけを報告しますが、この報告からまだまだ被災地には支援が望まれていることを感じて頂ければ幸いです。
最後に:今も東日本では、テレビやラジオから絶え間なく、被災地の状況や問題が報道されています。
関西での報道の量と比較すると、別の国なのではないかと思うほどです。
ですから、被災地の人は風化を恐れているのだと思います。もし、ちょっとでも時間がありましたら、被災地に足を運んでみてください。

2014年3月

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2011.3.11 東日本大震災『岩手県釜石市と大槌町での医療支援報告』 衣畑成紀

2011年3月11日14時46分、外来診察中に地震が発生しました。
今回はちょっと大きかったなという感じでありましたが、帰宅後のニュースでM9.0,最大震度7.0、衝撃的な津波の映像をみて事の重大さに気づかされました。
当大学病院でも救命救急センターの先生がすぐに被災地へ向かわれ、その後迅速に当院から被災地支援のための派遣が決定し、私も参加させてもらうことになりました。
当院からは、普段の仕事に支障をきたさないようにとの配慮で、各グループが短い期間で交代することになっていました。
我々のメンバーは第一次救護斑としてDMAT(急性期の災害派遣医療チーム)の活動を引き継ぎ、岩手県釜石市栗林小学校に宿泊しながら、大槌町の安渡小学校を拠点に3月20日~24日まで活動を行いました。
町や村はというとすでに破壊され、船が民家の上にのし上がり、辺りは爆弾が投下されたかのように壊滅していました。
そんな中、我々は安渡小学校の一室を借りて医務室とし、当大学から持ち込んだ薬を使っての外来業務を始めました。
多くは生活習慣病の継続加療で、持ち込んだ薬でなんとか対応しましたが、新たな症状を訴える方もおられ、その際は検査と言える検査ができないことから、問診と身体所見から判断し投薬を行いました。
また安渡小学校内や付近で避難生活されているかたの往診も行い、重症患者に関しては付近の病院に搬送してもらう状態でした。
夜は大阪市立総合医療センターのみなさんとミーティングをし、その日の報告と翌日の作戦を練っていました。
被災者の方から
「津波が襲ってきたので安渡小学校まで坂を上ってきたが、上りついて後ろを振り返ったらみんな津波に飲み込まれてしまっていた」
「津波の中で必死に棒につかまり耐えたが、今もそのとき飲み込んだ海水のせいで咳がでる」
など話を聞くたびにぞっとしました。
そんな暗い雰囲気の中で、無邪気な子供達の笑顔はある意味色んな人を元気づけていたように思えました。
今回の支援活動では、少しでも被災された方々の助けになればと思って行っていましたが、突然起こった大震災と、何度も起こる余震や凍えるような冬の寒さに耐え、友人・家族と離ればなれになっても一生懸命前向きに生活していく被災者の方たちから、教わることや考えさせられることが沢山ありました。
被災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、少しでも早く復興し、生活が元に戻ることを願うばかりです。

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2011.3.11東日本大震災『岩手県石巻市雄勝地区での医療支援報告』 小林正宜

私は2011年4月1日から4月7日まで、PCATの活動に医師として参加させて頂きました。
その中でも宮城県石巻市雄勝地区という場所にある大須小学校での活動についてご報告させて頂きたいと思います。
大須小学校では保健室に診療所を開設されておりましたが、医師が不在になるので、私が引き継ぎで診療を行う事になりました。
自ら車を運転し、現地へ向っていると、突如津波の被害が目に飛び込んできます。瓦礫の中に埋もれたその街の光景に愕然とし、得体のしれない無力さを感じながら運転した事を強く覚えています。道路上の瓦礫だけは撤去されており、かろうじて車が通行できていましたが、それでも大きな船が横たわり道路を塞いでいるといった信じられない光景を目にしました。
小学校は高台に建ち、周辺は直接の津波被害はありませんでしたので、道中の景色から想像していたそれとは違って綺麗な建物でした。しかし200名以上が避難所生活を余儀なくされ、運動場に自衛隊の車が並んでいる光景は、小学校と言う言葉からは想像出来ない物でした。
活動内容としては、外来診療、各教室への往診、生活指導、スタッフミーティング、大須地区会議出席などが主なものでした。
別の団体から派遣されている看護師や医学生達とともに、1日あたり30人?40人程度の患者さんの診療にあたりました。薬品が不足するのではないかと予想していましたが、薬品は石巻日赤病院に依頼すると2?3日で大須小学校に届くというシステムが既に構築されていたため、大きな問題にはなりませんでした。
多くの患者さんはかかりつけの医院が津波で流され、ご自身が何を内服されていたかわからない方ばかりでしたので、服薬再開には工夫が必要でした。疾患名、症状などから内服されていた薬を推測し、問診と身体所見から処方を位置から考えるといったことを行なっていました。次いで多かったのは、震災で環境が激変したことによる睡眠障害の相談でした。多くの方々と一緒に生活する事や、震災の不安から生じる不眠や入眠障害が多くみられました。余震に怯えながら寒い教室で寝るのは私自身も経験しましたが、短期間であってもとてもつらいものでした。その他に集団発生した食中毒への対応では、原因菌の推測や投薬、点滴加療、拡散防止、隔離措置などを行ないました。また、救急搬送が必要な症例もありました。
連日のさまざまな症例に対して、その場で出来る検査は体温測定、経皮的動脈血酸素飽和度測定だけでした。それだけに、被災地での経験を通して、問診と身体所見がいかに大切であり、患者さんの利益に直結するかを強く実感しました。
現在でも被災者の方々と連絡を取り合っておりますが、先日頂いたメールには復興しつつある現状と、今なお深く残る震災による心の傷について赤裸々に書かれていました。震災からすでに一年以上経過した現在、このような被災者の方々のために、これからも医師として何が出来るのかを考え、実行して行きたいと思っています。

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