日本の芸術祭のはじまり

草間彌生《And show at Oasis21》(2010)栄、撮影:怡土鉄夫
2000年代以降、日本各地で芸術祭やアートプロジェクトが次々と立ち上がり、地域の観光や文化振興に大きな存在感を放つようになりました。もともと世界ではイタリアのヴェネチア・ビエンナーレ、ドイツのドクメンタなど、数ヶ年に一度開催される国際芸術祭が存在し、現代アートの重要な発表の場として、世界のアートシーンに影響を与えてきました。こうした流れを受け、開催されたのが2001年の横浜トリエンナーレです。横浜トリエンナーレは都市型芸術祭として都市政策や文化事業と連動しながら発展したと、吉田先生は話します。
「2000年代以降、創造都市論という芸術文化を活用し都市を活性化する政策理論が取り入れられ、行政主導で芸術祭が開催されました。横浜だけでなく、新潟、札幌、さいたまでも同様の動きが見られました。ちなみに、そうした理論の牽引役になったのが、私が所属する都市経営研究科の前身である大阪市立大学大学院創造都市研究科でした。異色なのが、私が関わったあいちトリエンナーレで、都市文化政策の文脈というよりも、美術好きだった神田 真秋県知事(当時)の肝いり事業として始まりました」
一方で、もうひとつの大きな潮流があります。それが過疎地型芸術祭です。例えば、『大地の芸術祭』は新潟県の職員が、立川市でパブリックアートを活用した再開発に取り組む北川フラム氏に依頼したことをきっかけに、地域活性化施策として2000年から開催されています。開催地は越後妻有地域。新潟県の南側、長野県との県境に位置する十日町市と津南町一帯を指すエリア。そこに歴史や文化に「アート」という新たな視点を与えることで、その土地の魅力を再発見することを目的に始まりました。この過疎地型芸術祭こそが、日本特有の芸術祭のモデルだと吉田先生は話します。
「北川フラム氏がディレクターとなり、廃校・棚田・里山などの風景そのものを作品の舞台に、地域住民と協働しながら進むスタイルは、日本特有の芸術祭のモデルとして注目されるようになります」
2010年には瀬戸内国際芸術祭も始まり、都市型・過疎地型の芸術祭が全国に広がりました。
芸術祭がもたらす“効果”
過疎地型芸術祭が開催地にもたらす変化は、経済効果だけではありません。もちろん芸術祭を目的とした観光客が増え、経済効果がうまれることも事実ですが、現場ではそれ以外にも大きな変化が見られるそうです。
「過疎地では、高齢化や若者流出により『もうこの地域は続かないのではないか』という諦めの空気が漂っていることがあります。そこに芸術祭を通じて若者や外国人観光客が訪れ、地域の景観や文化の価値を見出してくれる。すると地域の人々に“自分たちの土地を見直すきっかけ”が生まれます。経済効果だけでなく、地域の人が諦めない気持ちを取り戻す一助となっているのです」と吉田先生は強調します。芸術祭は数字には現れにくい「心の変化」をもたらし、地域の未来に対する希望の光としての役割を果たしているのです。
吉田先生は「芸術祭だけですべてを解決するのは難しい。しかし、他の施策と組み合わせることで過疎化に歯止めがかかる可能性がある」と話しました。ただし、芸術祭の継続には課題もあるとも指摘します。芸術祭を開催するためには少なくとも数億円規模の予算が必要です。だからこそ、自治体の財政状況や首長の交代によって終了してしまうケースも少なくありません。 “何のために、いつまで続けるのか”を明確にすることが、今後の芸術祭運営には欠かせない視点ではないでしょうか。

パンデミックを経て-新しいアート体験と変わらない魅力-
2019年から2020年にかけて広がった新型コロナウイルスの流行は芸術祭にどのような影響を与えたのでしょうか。
芸術祭の「土地や空間を楽しむ」という特性上、パンデミックとの相性は非常に悪く、日本の芸術祭は中止・縮小を余儀なくされ「現地で体験する」という芸術祭の本質が揺さぶられました。一方で、オンライン化して届けるような試みも生まれました。オンラインでアート体験や展示を楽しめるようなウェブサイトの整備に本格的に取り組む動きがみられたのも、この頃だそうです。デジタル技術の進化によって、仕事や子育てが忙しく開催地に足を運ぶことが難しい方々の、アートの扉を開くハードルをさげたとも言えるでしょう。しかし、芸術祭には現地でしか体感できない醍醐味があると吉田先生は話します。
「芸術祭って展覧会を見に行くのも目的ですが、開催されている土地の生活や文化、食なども楽しみの一つで、その中に人との出会いもあります」
抽象画、写真、映像作品など、これまでアートは技術革新とともに進化を遂げてきました。しかしながら、オンラインでは代替がきかない、リアルでしか味わえない体験が芸術祭の一番の魅力なのです。

Lecture by Penélope Cañizares Bellido to students from the visual art department from Kunsthochschule Kassel, guided by Prof. Cecilia Vallejos and Prof. Matthijs de Bruijne, at Concentrica Factory (Manifesta 15+ program).
これからのアートの役割
現在、世界のアートシーン自体が大きな節目にあると吉田先生は指摘します。
「根底にあるのが世界の分断と対立です。それに対し、アートがどのように貢献できるのかということが問われています。ヨーロッパの芸術祭・展覧会に行くと、一般の方には訳がわからない作品が少なくなく、一定の教育水準をもつ知識層が中心といっても過言ではない。一方で、日本の芸術祭、例えば新潟の大地の芸術祭を訪れてみると、比較的わかりやすく、かつ親しみやすい作品が多い。なぜなら、過疎地型、都市型を問わず、『地域の方々に愛されること』や市民参加を目指し、戦略的に、もしくは結果的に、一般の方々も楽しめる企画・展示を行ってきたからです」
『一部のインテリ向け』をターゲットとしたヨーロッパ型の芸術祭ではなく、すべての人に開かれた日本独自の芸術祭のあり方に価値があると吉田先生は話します。では、日本に足りないものは何なのか。吉田先生曰く「実践を言語化し、理論に昇華する文化が弱い」ことだそう。地域住民と協働し、その土地独自の歴史や文化を掘り起こすなど独自の取り組みができているものの、理論化ができていない結果、現場で起きている価値を、学問・政策・社会に還元できていないのです。

大阪公立大学「EJ ART」プログラム《森之宮芸術祭》 photo:寺岡海
また、吉田先生はこれからのアートの在り方について、次のように続けました。
「デジタル化とグローバル化により、社会はより標準化され、均質化しつつあります。その流れのなかで、アートが照らすのは『人と違うことに価値がある』というメッセージです」
大阪公立大学主催の「EJ ART」人材育成プログラムなどで、吉田先生は芸術祭よりも小規模で人と人の距離の近いアートプロジェクトの運営に注力しています。例えば、外国ルーツの子どもが、言葉を介さず楽器の音でコミュニケーションをはかるワークショップや、釜ヶ崎の「あいりん臨時夜間緊急避難所」(通称シェルター)で日雇い労働者が、音楽に合わせて体を動かすことで自分の尊厳を取り戻す一助となるような取り組みです。こうした場で生まれる「変化」は目を見張るもので、開始当初は半信半疑だった参加者やスタッフの表情が、回を重ねるごと変わったといいます。
最先端のアートの動向も取り入れて、現場で実践を重ね、大阪という地域の知恵も取り入れながら、日本独自のアートの理論を作りたいと吉田先生は語ります。
「私自身は大阪の公立大学の研究者として大阪の現場と向き合いながら、声を上げられない人の声を伝えていくことを大切にしたいと考えていますし、そういったことができる仕組み作りに注力していきたいです」
科学は目に見える世界を変える力がありますが、芸術文化は人の心を震わせ、声にならない思いを社会に届ける力があります。一方で、アートの価値観を変える力に着目した近代国家は、芸術文化を国家の威信やアイディンティの象徴として、時に戦争の推進力として利用してきました。であれば、平和を推進する力をになうこともまた可能なはずです。アートの持つ力をどのように使うかが重要ではないでしょうか。
プロフィール

都市経営研究科 都市経営専攻 教授
都市経営研究科 都市経営専攻 教授
学術(博士)。 京都大学法学部卒業・修了後、愛知県庁に勤務。同職勤務中に東京芸術大学 音楽研究科 音楽文化学専攻芸術環境創造分野 博士課程修了、京都大学大学院公共政策教育部公共政策専攻修了。2015年大阪市立大学大学院創造都市研究科都市経済・地域政策分野 准教授、2022年大阪公立大学大学院都市経営研究科都市経営専攻 准教授を経て、2025年より現職。専門分野は都市文化政策、アートプロジェクト。ソーシャルアートコーディネーターの人材育成に携わる。
※所属は掲載当時