蛍光X線分析の文化財分析への活用
ーー文化財の素材分析などに使われている蛍光X線分析ですが、その仕組みや特徴を教えてください。
辻 幸一先生(以下、辻)「蛍光X線分析は、さまざまな試料の元素を識別する技術の一つです。比較的簡単に元素分析ができ、非常に幅広い分野で活用されています。まずX線を試料に当てると、電子が飛び出る光電効果という現象が起きます。飛び出た電子に他の電子殻から電子が遷移し、そのときのエネルギー差が電磁波として出てきます。この電磁波が蛍光X線です。蛍光X線のエネルギーは元素によって異なるため、エネルギーを測れば何の元素かわかるという仕組みです。蛍光X線分析以外では、水溶液中に含まれる元素を測るICP発光分析という手法が一般的に使われています。しかしこの手法ですと、試料を酸などに溶かして水溶液にする手順が必要になります。例えば絵画の調査であれば、絵具をサンプリングしなければなりません。貴重な文化財や法科学などの試料は、物を残すことが前提のため、なかなかICP発光分析のような手法を使うことができません。そういうときに蛍光X線分析が役立ちます」
ーー辻先生のご専門は物理分析科学ですが、以前から文化財の分析をされていたのでしょうか。
辻「私は博士課程まではグロー放電の発光分析をテーマにしていました。修了後に東北大学の金属材料研究所で助手になり、当時指導いただいていた先生から『非破壊分析で蛍光X線分析というのがあるから、担当してもらえないか』と言われたのがこの分野を研究するようになったきっかけです。また1998年~1999年にかけて、ベルギーのアントワープ大学に留学したのですが、そのとき取り組んだ元素マッピングの研究は今につながっています。その後、JSPS(日本学術振興会)の事業でアントワープ大学と共同研究をすることになり、そこで分析対象になったのが文化財です。ベルギーだけではなくヨーロッパ中にある絵画の真贋や顔料の分析をして、やはり文化財を修復・保存するためには非破壊分析が有用であると強く認識しました。これまで10年くらいは、文化財の分析に関わっていると思います」
ーー今回は、文学研究科が保有している“𠮷沢コレクション”を分析されたそうですが、分析の目的を教えてください。
岸本 直文先生(以下、岸本)「本学の𠮷沢コレクションの講談本のなかに、月岡芳年ら有名絵師による鮮やかな色刷りの表紙絵をもつものがあり、明治21(1888)年から明治30(1897)年のもので、90種類ほどがあります。文学研究科の浮世絵が専門の菅原 真弓先生から、絵具として使用されている顔料の分析を提案されました。これらの表紙絵は、実は版木を作って制作された浮世絵なんです。このシリーズは当時の新聞の付録でしたから、安価に作る必要がありました。江戸の後期くらいから、輸入物の鮮やかな赤や青の顔料が日本に入ってくるのですが、明治時代以降、さらに新素材が入ってきます。私は専門家ではないので顔料の値段まではわかりませんが、講談本を分析して輸入物の顔料がどれくらい普及していたかを調べるのが今回の目的の一つです」
𠮷沢コレクションの「講談本」
分析でわかる、モノの「姿」
ーー𠮷沢コレクションの分析の結果、どのようなことがわかったのでしょうか。
辻「蛍光X線分析で鉄やクロム、硫黄、ヒ素などが使われているということがわかりました。分析結果は分布データとして出ますが、例えば、ヒ素と硫黄が含まれている部分は黄色っぽいところに対応しています。鉄はちょっと濃い青の部分に見えるとか。ただ、この分析法でわかるのはどこに何が含まれているか、というところまで。それが何を意味するかは専門の先生に見ていただくことになります」
岸本「金属の名前を見れば、専門家に何の絵具か判断いただけると思います。今後はそのような方に協力いただけるようにしたいと思いますし、分析自体はこれからも辻先生にお願いしたいところです」
ーー今日、岸本先生にお持ちいただいた矢尻は、どのように分析していくのでしょうか。
岸本「これは、私が大阪府柏原市で発掘調査をして出てきた銅の矢尻です。これに含まれる銅が何%で錫が何%などというのは、蛍光X線分析で数字は出るのですが、一般的な蛍光X線分析で得られるのは表面近くのデータなんです。矢尻は銅や錫・鉛などを溶かした合金で作りますが、凝固する時に、表面と内部で比率が違ったものになっているかもしれません。そうなると、非破壊分析で得られた表面のデータが、試料全体の成分を反映しているのか、ということも問題になります。辻先生は、表面だけではなくある程度の深さまでデータが取れる技術を開発されているので、内部の分析をすることでわかることがあると思います」
辻「なるほど、これは測れそうな気がしますね。一部剥がれている部分もありますが、水色の部分は何でしょうか」
岸本「水色っぽく見えている部分は、一度サビがついて、それが剥がれたと思われます」
辻「こういう濃い緑のところを表面から深さ方向に見ていけば、情報としては面白いですね。金属であれば数十ミクロンまで、プラスチックや木材なら数百ミクロン~1mmくらいの深さまで見ることができます。一般的な装置では、表面も深いところも一緒に情報をとってきてしまうのですが、本学の装置は深さを選択して情報を取り出す『共焦点』という計測方法を使っています。これはおそらく日本では本学にしかありません」
柏原市で出土した矢尻
ーーこのように深さ方向の元素がわかることで、岸本先生の分野ではどのようなことがわかるのでしょうか。
岸本「冶金学的に見て、凝固していく中で早く固まる元素と、遅くまで中心部で液体として残る元素があると思います。表面処理をしていたという話も聞きますが、まだまだわかっていないことが多い。合金としての全体の正確な比率と、鋳造時に表面と内部でどういう差が出るのかを知りたいですね。蛍光X線分析以外にも、試料全体を透過する即発ガンマ線分析もしてもらっています。分析手法それぞれに特性がありますが、なかなか理解が難しい。この装置はこういうことができますよ、この試料をこういう目的で調べるならこの分析に出すのがいいですねというように、文化財分析として整理できれば私たちも分析に出しやすくなりますね」
辻「本学には、そのような分析に使えそうな装置がいくつかありますので、ぜひ活用してください」
「学際領域展開ハブ形成プログラム」を活用し、大阪の文化財研究に貢献
ーー文学研究科の人文学学際研究センターは、2023年度から東北大学金属材料研究所の事業「学際領域展開ハブ形成プログラム」の参画機関として共同研究を進めています。具体的な取り組み事例を教えてください。
岸本「1年目は基盤整備が中心でしたが、2年目には具体的に研究が進んでいます。𠮷沢コレクションの分析もその一つです。本学は金属系の資料よりも古文書など紙の資料を多く所蔵していますが、それらを分析できないか、ということも考えてきました。また大阪府に相談し、分析資料の範囲を大阪府で出土したものでやれないかということに取り組んでいます。例えば、大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)所蔵の、古墳から出土した装身具のガラス玉。当時のガラス玉は、発色剤を使って色を出していたことが知られています。銅を入れて緑にしたり、コバルトを入れて青にしたりしていたんですね。この発色剤分析も蛍光X線で行ってもらいました。他には胎土分析。土器に使う粘土特性を調べてもらっています。地域によって土に含まれる元素の比率が違うのですが、これによって生産地の特性を把握し、どこまで運ばれているか、などがわかります。この研究は、他大学で埴輪の研究をされている先生と一緒に進めています」
ーー今後はどのような展開を予定されているのでしょうか。
岸本「古墳時代の日本最大の鍛冶工房が柏原市にあり、その鍛冶工房で使われた鉄が、国産の鉄なのかどうかを調べたいと思っています。6世紀頃に日本で鉄が作り始められます。ある程度の分析は行われていますが、国産の鉄だとすると岡山なのか近江なのか、産地まで特定できないか、またこれまでに分析されている6世紀の資料に加えて、7世紀の資料にも取り組みたいですね。もう一つは、平安時代の11世紀くらいから鎌倉・室町時代にかけて、鋳造技術者集団である河内鋳物師にかかわる資料。鋳物師は普段は鍋や釜を作る職人ですが、河内鋳物師は腕が良かったため大型の梵鐘や鉄製品を手がけ、鎌倉の大仏にもかかわります。鋳造にかかわる遺物が遺跡から出土していますが、科学分析はあまりされていないため、こちらにも手を付けていきたいです」
ーー最後に、今回のような文理融合の学際研究への期待などをお聞かせください。
辻「今回は文学研究科の先生方と良い形で進みましたが、経済や法学など、他の分野でも非破壊的に測ることが求められる試料はあるかもしれません。まずは学内でどのようなコラボレーションできるかを探り、ぜひ文系の先生方とも一緒に研究ができたらと思います」
岸本「既に学内で取り組まれていると思いますが、大学がもつシーズとのマッチングが重要ですよね。私は前方後円墳の比較・分類を専門にしています。以前は等高線が入った2次元図の縮尺をあわせて重ねて見ていましたが、今は立体にしてマッチングできるはずです。そうすれば、平面図での比較ではなく立体的に重ねてみて、『80%マッチング』などと判定できるのでは、と思っています。情報学の先生などで、そういうことが得意な方がいらっしゃれば、私が前方後円墳のデータを提供して、立体のデータを比較してもらってマッチング率を判定してもらうとか。そういう学際研究ができたら良いですよね」
プロフィール

文学研究科 哲学歴史学専攻 教授
博士(文学)。1990年京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1991年同大学大学院文学研究科博士後期課程退学。1991年奈良国立文化財研究所文部技官、1996年文化庁文化財保護部記念物課文部技官(1999年文化財調査官)。2000年大阪市立大学大学院文学研究科助教授、2015年同大学大学院文学研究科教授を経て現職。
主に古墳時代の研究。畿内と各地の古墳群について、前方後円墳の形態分析を通じて、古墳時代における政治的な動向の探究に取り組む。『倭王権と前方後円墳』(2020年、塙書房)、『日本の歴史を突き詰める おおさかの歴史〈地方史はおもしろい〉05』(2022年、文学通信)など著作多数。自治体の史跡整備検討委員会の委員を多数務め、全国各地で講演活動も行っている。
※所属は掲載当時
プロフィール

工学研究科 物質化学生命系専攻 教授
工学博士。1992年東北大学大学院工学研究科金属工学科博士課程修了。同年、東北大学金属材料研究所助手。1998-1999年ベルギーアントワープ大学でJSPS特定国派遣研究員。2000年英国パース大学客員研究員、2002年大阪市立大学大学院工学研究科助教授、2004年科学技術振興機構さきがけ研究員。2008年大阪市立大学大学院工学研究科教授を経て現職。
X線分析による非破壊的な元素分析を研究。X線レンズによる微小部蛍光X線分析法や3次元蛍光X線分析法、全反射蛍光X線分析による微量分析法、蛍光X線イメージング法の開発を行い、工業製品の不良解析、環境試料分析、法科学(鑑識科学)への応用に関する研究に取り組む。
2019年度日本分析化学会学会賞。2022年、X 線分光法の分野への優れた貢献を表彰するバークス賞受賞(第71回デンバーX線会議)。
※所属は掲載当時