沿革

大阪公立大学大学院文学研究科・文学部は、大阪市立大学大学院文学研究科・文学部を前身として、2022年4月に発足しました。以下では、1880年にさかのぼる歴史・沿革を説明します。

文学部は1953年に発足しました。今日までの歴史を振り返り、そして未来を展望してみましょう。

大阪市立大学の発祥は1880年にまで遡りますが、文学部は1949年に市立大学に創設された法文学部文学科を前身としています。12専攻(哲学、社会学、心理学、教育学、芸術学、歴史学、地理学、国文学、中国学、英文学、独文学、仏文学)、20人の教員スタッフでスタートし、翌年には第2課程(夜間)も設置されました。そして、1953年には、「産業大都市大阪には文学部の存在が絶対に必要」という恒藤恭学長の強い信念に支えられて、文学部が創設されました。スタッフも大幅に拡充して88名になりました。同年には修士課程、2年後には博士課程も設置され、第2次大戦後の新制大学としては異例の早さで大学院の充実がはかられました。しかし、当時は現在の杉本町ではなく、市内の南区(現・中央区)や西区に講義棟などを設けていました。市大杉本キャンパスは敗戦後の連合軍の施設として接収され、米軍のキャンプ・サカイになっていたのです。

1956年に文学部は杉本キャンパスにもどってきました。文学部の拡充は続き、1968年からは5学科11専攻となり、大学院も整備されて旧帝国大学系を上回る規模のスタッフを有するようになりました。実学重視といわれる大阪の学問的気風のなかで異彩を放つこととなったのです。

その後、平穏を取り戻した文学部は、「新しい都市型総合大学としての市立大学の充実、国際都市・大阪の特性を生かした学術研究を進める」という大阪市総合計画21の指針にしたがって、次の展開へと歩みを進めました。その具体的な形は1990年代の画期的な施設整備に端的に現れています。日本一の規模を誇る、図書館と情報機能が総合された学術情報総合センター。さらに文学部では増築棟の新築と、現学舍の全面改修による設備一新。

21世紀初頭(2001年)には大学院重点化を達成し、4専攻15専修(学部は3学科15コース)に改編、正式名称も大阪市立大学大学院文学研究科・文学部となりました。大学院に他に類例をみないアジア都市文化学専攻が設置されたほか、新たに言語情報学(現在は言語応用学)専修と表現文化学専修が誕生しました。そして、翌2002年には、世界最高水準の研究教育拠点を目指す文部科学省の「21世紀COEプログラム」に採択され、全国有数の研究中心大学として着実に実績をあげました。

IT関連の情報処理室、心理学実験室、地理情報システム(GIS)処理室、比較言語文化情報処理実験室、ガムラン実習室、音のデジタルアーカイブスなど、ハイテク機器をふんだんに導入しながら、学部から大学院の後期博士課程までの一貫した教育研究環境が整えられました。また、2003年に発足した「文学部・文学研究科教育促進支援機構」は、文学部学生や文学研究科大学院生の学びを支援するために、教職員のサポートを得ながらも、学生がみずからさまざまな事業を運営する組織として、特色ある活動を行っています。

国際交流を重視しているのも文学研究科‧文学部の特徴です。現在、ハンブルク大学(ドイツ)、「恵光」日本文化センター(ドイツ)、オルデンブルク大学(ドイツ)、ダブリン市立大学(アイルランド)、リヨン第3大学(フランス)、CYセルジーパリ大学(フランス)、トゥール大学(フランス)、中山大学人文科学院(中国)、広州大学人文学院(中国)、寧夏大学西夏学研究院(中国)、ロンドン大学東洋アフリカ学院(英国)、ソウル市立大学(韓国)、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(米国)、イェール大学(米国)と学術協定や学生交流協定を結んでおり、国際的な共同研究、相互の学生交流、また短期語学研修などが盛んに行われています。

2020年4月の再編により文化構想学専攻を立ち上げ、新設の文化資源学専修を含む4専攻16専修(学部は4学科15コース)として、さらに2022年4月には、大阪公立大学への移行に伴い、4専攻17専修(学部は4学科15コース)として新たなあゆみを始めた大阪公立大学大学院文学研究科・文学部は、半世紀を超えるその歴史を通じて、創造的かつ着実な研究と、グローバルな視野と自主性を育む教育に邁進してきました。都市・大阪の学術文化を担う誇りを胸に、文学研究科・文学部は進んでいきます。