留学

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アメリカ

西海岸

The Scripps Research Institute

  • 西野 壱哉
  • 平成26年入会
  • 2024年留学

平成26年入会の西野壱哉と申します。令和6年度よりアメリカのカリフォルニア州サンディエゴにあるスクリプス研究所にポスドク研究員として留学しており、まだ半年ではございますがこちらでの研究や生活についてご紹介させていただきます。

時差ボケと、不慣れな交通ルールと、
渋滞の中無事故でいられたことのほうが奇跡でした

サンディエゴは、アメリカ西海岸、カリフォルニア州の南端に位置する美しい都市です。温暖な気候と美しいビーチが特徴で、年間を通じて快適に過ごせるため、「アメリカで最も住みやすい街」としても知られています。私が留学しているスクリプス研究所は、世界屈指のバイオメディカル研究機関で、1924年に創設され、以来100年にわたり生命科学や医薬品開発の分野で最先端の研究を行い、画期的な発見や治療法の開発に貢献してきました。在籍しているLotz研究所はこれまで多くに日本人留学生を受け入れてきた実績があり、すでに3人の日本人留学生が在籍しておりました。スタートアップにおいては非常に心強いですが、英語を使わずに解決できてしまうという欠点もあります。ヒトの膝と脊椎のドナーを常に受け入れており、ドナーが発生すると我々全員に連絡が入り48時間以内に組織を採取するシステムが構築されています。私は膝を担当しており軟骨、半月板、滑膜、脂肪帯、靭帯を切離してそれぞれ組織・遺伝子解析に回します。single cell analysisによりそれぞれの組織の中での細胞の集団化が進み、さらにOA膝と健常膝でどのような遺伝子発現が違うのか詳細に研究されています。すでに鍵となる遺伝子の究明がなされており現在はその遺伝子を調整する薬剤をスクリーニングにて同定し、その薬剤の関節内構成帯再生効果を調べています。どのステップにおいても莫大な資金を要し、ここでしかできない夢のある研究に参加していることを実感しています。また、single cell analysisによって解明された半月板前駆細胞の特徴を踏まえて、骨髄間葉系細胞に幾つかの薬剤を投与して半月板前駆細胞へと分化を誘導する試みを行なっています。実験は常にタフな作業の繰り返しですが一つでも多くのことを学び、成果が得られたらという思いで引き続き邁進してまいります。

まるでホールインワンしたかのように
写真を撮られました

さて、難しい話はここまでにしてアメリカでの生活に関して紹介させていただきたいと思います。私は渡米前に仲介業者なしでアパートと車の契約を完了しました。私の知る限りこんなことをした人は誰もいないと思うのですが、ロサンゼルス国際空港に着いたその日に納車し、サンディエゴまで2時間半運転して銀行で敷金を支払い、オーナーからアパートの鍵をもらうことに成功したのです。ご存知の通り物価高と円安のダブルパンチで留学の初期費用は馬鹿になりません。ホテル暮らし、レンタカーなしでスタートできた時の達成感はたまりませんでした(初日は床で寝ました)。渡米して4日目に初日の勤務が始まりましたので、夕方からフラフラになりながら生活基盤を構築していったのを覚えています。最初に私一人で渡米し、6週間後に家族が合流してくる予定であったため、今しかできないことをと思い、全米オープンの舞台となったトーリーパインズゴルフコースを一人で回りました。8番ホールでチップインバーディーを決めて一緒に回っていた地元の人全員にグータッチを求められたのはいい思い出です。

ビーチでBBQ

そんなこんなで家族が合流すると、また生活が一変します。3歳の長男は地元のpre schoolに通い($1450/月)、最初は泣いていましたが、今では誰よりも英語の発音がきれいです。サンディエゴは子育てに良い環境が揃っていると強く感じました。至る所に広いplay groundがあり、妻と1歳の娘も平日遊びにいっては新たな友達を作っています。また全米でも有数の大きな動物園があり、1回では回りきれないので年間パスを買って通っています。サンディエゴにはダルビッシュ選手、松井選手擁するパドレスが地元チームとして根付いており、同い年のダルビッシュ投手の日米通算199勝目を目撃することができました。車で2時間弱でロサンゼルスにも行けるため、大谷選手、山本選手の在籍するドジャーススタジアムにも足を運び、大谷、ベッツの連続ホームランでサヨナラという漫画のようなシーンに立ち合い歓喜の渦に包まれてきました。自分でもこんなに野球観戦を楽しむとは思っていませんでした。カリフォルニアの素晴らしいところは車で15分もすれば美しいビーチに辿り着けることです。夏は湿度も低く雨もほとんど降らないため非常に過ごしやすいです。週末は数えきれないほどビーチに行っては海水浴やBBQを楽しんでいました。おかげで9月に学会参加で一時帰国した際に、全員に肌の黒さを指摘されました。これから秋になり内陸部の気温も下がってくるので、ロードトリップなどでアメリカの大自然を感じていけたらと思っています。留学をしてから、しばらく更新していなかったFacebookにて日々の生活をアップしていますので、もし興味がございましたら覗いてみて下さい。

最後になりましたが、私が留学して研究に専念できるのも医局の先生方のご理解、ご支援あってのものです。ここで体験した経験全てを医局に還元したいと思っておりますので、どうか引き続きご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

ドジャーススタジアムとサンディエゴ動物園

Stanford University

  • 斧出 絵麻
  • 平成24年入会
  • 2020年留学

はじめに

平成24年度入会の斧出絵麻と申します。2019年10月から12月にかけて、スタンフォード大学形成外科学教室に留学しましたので報告させて頂きます。

Dr.Changとの出会い

2015年3月にハワイで開催された日米合同手外科会議で発表した際、発表後に私の元まで歩み寄り握手をしてくださったアメリカ人の先生がいらっしゃいました。同学会の会長で、スタンフォード大学形成外科学教室の教授であるJames Chang先生でした。「若いのによく頑張って発表したね、素晴らしかったよ。」と声をかけてくださり、見ず知らずの異国の若手医師にまでこのような対応をしてくださったことに大変感銘を受けました。

その翌年、奇遇にも日本手外科学会学術集会に招待講演の演者としてChang先生が来日されました。改めてご挨拶させていただいたところ「手伝えることがあれば、いつでも連絡をください。」と名刺をくださいました。そこで私は、いつか海外留学に行く機会があれば是非Chang先生のもとを訪ねたいと思いました。

それから3年後の2019年、大学院での研究を終え、留学するチャンスをいただくことが出来ました。Chang先生に連絡をとり志願したところ、快く承諾してくださり留学先が決定しました。

留学中に新装openとなったmain hospital

臨床研修

スタンフォード大学はアメリカ合衆国カリフォルニア州スタンフォードに本部を置く私立大学で、サンフランシスコから約60km南東、シリコンバレーの中心に位置しています。

スタンフォード大学の手外科グループは整形外科の手外科班と形成外科の手外科班から構成されており、主に肩関節や肘関節の疾患、手指骨関節の慢性疾患(母指CM関節症など)を整形外科が、その他全般(前腕以下の外傷や骨関節以外の手指慢性疾患、末梢神経障害、小児先天異常など)を形成外科が担うという診療体制でした。整形外科のスタッフは1名、形成外科のスタッフは3名で、それぞれの指導医のもとで整形外科と形成外科の複数のレジデントがローテーションしていました。1週間のスケジュールは主にカンファレンスと外来、手術から成り立っており日本と大差なく感じましたが、1人のDrが1つの病院で勤務するのではなく、規模の異なる4つの病院を各Drが自分の手術や外来のスケジュールに合わせて行き来するというシステムでした。

外来は1名のスタッフに対し2〜3名のレジデントがついて順番に来院する患者の診察を行い、1名診察する毎にフィードバックが行われるというシステムでした。予約オーダーやカルテ記載、事前の問診など細分化された業務を医師以外の専門スタッフが行うことで医師の負担が軽減され、診察や教育に充てる時間が十分に確保されておりとても素晴らしいシステムであると感じました。

手術室のシステムは日本と非常によく似ていました。朝7時過ぎには1件目の手術が開始され、指導医1名とレジデント1名で1人の患者を担当し手術を行います。難しい手術でなければレジデントに執刀の機会が与えられ、指導医が助手と指導を行います。手術時間や入れ替えの時間も日本と大差ありませんでしたが、早朝に開始されているため1日の手術件数は1室につき平均4〜5件で15〜17時には終了していました。

カンファレンスでは症例提示や抄読会が行われていましたが、各Drが4つの病院に分かれて仕事をしているためzoomを用いたweb会議形式がとられていました。私はこの時初めてzoomの存在を知り、「いずれ日本でもこのような形式でカンファレンスが行われる日がくるのだろうか。」と漠然と考えておりましたが、まさかその数ヶ月後、新型コロナウイルスの影響で半ば強制的に日本でも普及することになるとは全く想像もつきませんでした。

また今回、私が日本で末梢神経の基礎研究を行っているということもあり、Curtin先生を紹介していただくことが出来ました。スタンフォード大学の手外科で末梢神経治療を担っている女性のDrであり、外来や手術、講演会まで帯同させていただき、日本とアメリカでの末梢神経治療の違いや女性外科医の働き方について多くの意見を交わすことが出来た日々は大変かけがえのないものとなりました。

図書室でのzoomカンファレンス

留学生活

留学当時、スタンフォード大学の整形外科と形成外科には合計約10名の日本人Drが在籍して基礎研究を行っており、交流させていただくことが出来ました。また形成外科の先生がアメリカンフットボール観戦や自宅のホームパーティーに招いてくださることもありました。

留学期間中はハロウィン、サンクスギビングデイ、クリスマスとアメリカらしい行事が実に盛り沢山で、アメリカでの伝統や家族との過ごし方についても学ぶ機会があり、3か月弱という短い期間ではありましたが大変充実した日々を過ごすことが出来ました。

最後に

今回の留学を通じて、アメリカの医療現場でのシステムを学ぶことができました。また留学をしなければ出会うことの出来なかった方々と、とても有意義な時間を共有することが出来ました。そしてなにより「仕事や家族との向き合い方」について学ぶことが出来ました。帰国前、Dr Changから「Ema. Work hard, party harder.」という言葉をかけていただきました。アメリカの先生は「一生懸命仕事をし、より一層家族や友人と楽しい時間を過ごそう」という姿勢が強く、家族との時間を何よりも大切にする姿や、あらゆるスタッフが年齢や職種を超えて家族や友人のように声をかけあいながら働く姿が大変印象に残りました。

最後になりましたが、今回の留学を快くお許しくださいました中村博亮教授、日高典昭先生、岡田充弘先生をはじめ、同門の先生方にこの場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。

東海岸

Nemours Children's Hospital

  • 堀 悠介
  • 平成25年入会
  • 2023年留学

平成25年入会の堀悠介と申します。令和4年度よりアメリカのデラウェア州にあるNemours Children’s Hospitalにリサーチフェローとして留学しており、こちらでの研究や生活に関してご紹介させていただきます。

Nemoursでは、小児整形外科のスタッフが15名在籍しております。側弯症の手術を主に担当するのは5名で、その中で2名が脊椎専門として主に特発性側弯症(AIS)や先天性側弯症の手術を担当しています。加えて、脳性麻痺(CP)の専門家が2名、骨系統疾患の専門家が1名在籍しており、彼らは側弯だけでなく四肢の手術も行っています。Nemoursでの私の1日は、朝6時半のオンラインカンファレンスからスタートします。ほぼ毎日側弯症の手術が行われており、手洗いはできませんが、週に1回は手術の見学を行っています。Vertebral body tethering(VBT)、Magnetically controlled growing rodといった、日本ではまだ取り入れられていない技術や、CPに伴う重度の側弯、また珍しい骨系統疾患による頸椎後弯など、日本では稀にしか目にしない手術の実際を学ぶことができました。AISへの後方固定術は、日本と基本的な方法は変わりませんが、胸椎後弯や回旋変形の矯正に焦点を当てており、非常に教育的でした。AISの治療戦略において、最も印象に残ったのは骨の成熟度を評価する方法です。特に、VBTのような成長を調整する手術では、骨の成熟度が治療の成果を大きく左右します。日本で一般的に使用されているRisser signでは、正確な評価が難しく、特に成長期のピークを正確に把握するのが難しいため、手のX線を使用して骨の成熟度を評価する方法が採用されています。その中でも、最も頻繁に使用されるのがSanders Maturation Stage(SMS)で、これが私の研究の主要なテーマにもなりました。

SMSの評価は、末節骨と中節骨の成長軟骨が閉じているかどうかに基づいて行われ、stage 1から8までの分類が存在します。特に、SMS 3は成長のピークを示す重要なステージで、これには3Aと3Bの2つのサブカテゴリがあります。3Aと3Bの成長能の違いに関する詳細な研究が以前には行われていなかったため、私はこの二つの間での成長速度の違いに注目し研究を行いました。IRBの承認を随時行わなければならない煩わしさや個人情報の取り扱いの違いはあれど、研究のプロセスは非常に似ており、レントゲンでの計測、情報の収集、データ解析、学会発表、論文の作成という流れで進められました。この研究を通じて、私は北米小児整形外科学会(POSNA)および側彎症学会(SRS)で発表する機会を得ることができ、非常に価値ある経験を積むことができました。また、Nemoursは、世界最大のAISとCPに関するデータベースであるHarms Study Group(HSG)など、多くの研究グループに加盟しています。このため、病院独自のデータだけでなく、これらの大規模データベースを活用した研究も行うことができます。私もHSGのデータを活用し、AIS胸椎固定後のDistal junctional kyphosis(DJK)に関する研究を実施しました。その症例数は日本の単一施設からの研究とは比べ物にならず、日本にこのような大規模データベースがないことは残念に思いました。

アメリカ滞在中、いくつかの学会に参加しましたが、中でも12月にOrlandoで開催された国際小児整形外科学会 (IPOS) と3月のMiamiでのPediatric Spinal Deformity: On the Cutting Edgeは特に印象的でした。IPOSは、特待生として参加することで学会費用が免除され、専門家として世界的に知られるメンターが付くなど、若手整形外科医にとって非常に有益な機会となりました。私のメンターは側弯症の分野で著名で、彼から手術手技やキャリアの形成に関する貴重なアドバイスを受けることができました。一方、On the Cutting Edgeでは、最新の研究や手法に関するレクチャーを受けることができ、特にVBTに関するセッションや難治例の議論は日本ではあまり見られない内容で非常に教育的でした。これらの学会はとても教育的で、日本にも同様の教育的取り組みを持った学会が存在してほしいと感じました。

私生活においても、最初の戸惑いから次第にアメリカの日常に順応してきました。スーパーでのレジのやり取りや、チーズステーキを注文する際のチーズの選び方など、日常の細かい部分においてもアメリカ文化に慣れてきました。仕事の日常は朝が早いため、夕方には家族と過ごせる時間を持てました。特に夏の長い日は、プールや公園、さらにはワイナリーやビアガーデンを訪れるなどの機会も豊富にありました。スポーツもアメリカ滞在の楽しみで、NBAやMLBの試合には度々足を運びました。大谷選手はやはりアメリカでも大人気で、彼の登板日にはチケット価格が高騰し、ブルペン前にはファンでいっぱいでした。旅行にも積極的に出かけましたが、インフレと円安の影響で物価が日本の約3倍であることから、移動は車中心で、食事も持参した炊飯器で自炊することが多かったです。POSNAが開催されたNashvilleまでのロードトリップは、途中の美しい景色やアメリカ中部の文化を楽しむことができました。フロリダにも車で行きましたが、宿泊費やディズニーワールドの高額な入場料を節約するために工夫が必要でした。日本で蓄えた貯金の大半が無くなってしまいましたが、東海岸の多くの州を訪れることができる経験は非常に価値があったと感じています。

留学生活も残り僅かとなりました。言語や文化の違い、資金面や健康面で数多くの困難がありましたが、それに見合った知識と経験を得ることができたと思います。何より、Nemoursでの同僚や先生方をはじめ、学会や病院見学で知り合った先生や、アメリカでの友人との出会いは生涯続く宝だと感じています。最後に、私が海外で研究に専念できるのも、医局の先生方のご理解、ご支援があってこそだと実感しております。少しでも有益な還元ができるよう、研究に励み、研鑽を積んでまいりたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

苦楽を共にしたブラジル人、
トルコ人のリサーチフェロー
学会で口演する筆者

Nemoursでの恩師Dr. Shah、
IPOSでのメンターDr. Newtonとの記念撮影
友人宅でのキャンプファイヤー

ディズニー所有の島

オーストラリア

Monash University

  • 河﨑 顕治
  • 平成29年入会
  • 2024年留学

メルボルンに海外留学を始めて、約2年が経過しました。現在はMonash大学のMaster of Public Healthを無事卒業し、次の留学先となる病院の就職活動を行っております。

ある程度予想はしておりましたが、正直言ったところ、医師登録の手続きや就職活動は非常に厳しい道のりです。情報が少ないことや、やはり英語圏ではない外国人であることが影響し、思うように進まないことが多いです。医師登録に必要な書類の収集や手続きでは、英語での文書作成・収集や、過去の記録の翻訳作業が予想以上に時間を要しました。就職活動については、とにかく求人のあるところに応募して、返事を待つの繰り返しになりますが、オーストラリア特有の文化も影響してか、返事が遅かったり、全く返答がなかったりすることもしばしばです。20件以上応募していますが、まともに返事があったのは5件くらいといったところでしょうか。最終選考までいった病院は2件ほどありましたが、残念ながらどちらも採用には至りませんでした。現在も就職活動で試行錯誤する日々を過ごしています。

一方で、オーストラリアでの生活そのものは非常に充実しています。この一年で、ニュージーランド、ウルル、タスマニアといった、日本からはアクセスが難しい観光地をいくつも訪れることができました。オーストラリアやニュージーランドの自然は規模が桁違いに大きく美しく、どこへ行っても感動の連続でした。特に、ウルルでは壮大な赤い岩山が朝日や夕日に染まる姿に圧倒され、ニュージーランドでは南島のミルフォードサウンドで雄大なフィヨルドの景観や世界一美しい星空が見れると言われるテカポ湖の満点の星の海を堪能しました。

オーストラリアでの生活を通じて、異文化の中での生活力も養われました。現地の人々はフレンドリーで、日常の中で親切にしていただく場面も多く、少しずつコミュニケーションスキルも向上していると感じています。ただ、2年いてもまだまだ聞き取れないことや表現できないことは多く、まだまだ英語の勉強も必要だなと感じております。

去年の体験記でも触れましたがCrossFitという競技を相変わらず趣味で楽しんでおります。今年は「Masters HQ」という大会に出場し、30-34歳のカテゴリーでAustralian Championになりました。優勝の結果はもちろん喜ばしいものですが、それ以上に異なるバックグラウンドを持つ人々と交流し、お互いを励まし合いながらトレーニングを重ねる中で、コミュニティの温かさを実感しました。この経験は、異国での生活において孤独を感じることもあった自分にとって、大きな支えとなりました。

こうした留学生活を通じて得た経験やスキルを糧に、今後も新たな挑戦を続け、いずれはオーストラリアで医師として活躍し、国際的な視点で貢献していきたいと考えています。

クロスフィット大会での一幕
ウルル麓での一枚

ドイツ

Sporthopaedicum Straubing

  • 寺井 彰三郎
  • 平成22年入会
  • 2022年留学

スポーツグループ所属の寺井彰三郎と申します。私はドイツのバイエルン州にあるSporthopaedicum Straubingというスポーツクリニックに2018年からクリニカルフェローとして2020年から常勤医として所属しております。

ご存じの通り2020年からコロナウイルスによるパンデミックによりドイツはかなりの感染者を出しましたが、ワクチンがある程度ひろまって且つオミクロン株が主流になって死亡率が低下してからはロックダウンはなくなりイベントもほぼ通常通り開催されるようになりました。ドイツといえばミュンヘンのオクトーバーフェストが世界的にも有名ですが私が住むシュトラウビングのフェストはバイエルン州でミュンヘンに次いで規模が大きく(10日間で200万人が訪れる)この街の誇りでもあります。2020年、2021年とコロナでフェストは開催中止となりましたが今年は3年ぶりに開催することができました。私も職場の同僚と一緒にこのフェストに参加しましたがこの時に不覚にもコロナウィルスに感染してしまい、発熱はなかったものの咳が止まらず3週間仕事を休まざるを得なくなってしまいました。

ドイツにいると日本にはない治療方法を経験します。外傷性軟骨損傷の治療方法として日本では近年広島大学が開発したJACCが普及しつつあります。これはあらかじめ関節鏡下に患者本人の軟骨を採取し4週間培養した後に軟骨欠損部に移植する方法です。同様の治療はドイツにもありますがこの他にもいくつかあります。自家軟骨をシェーバーで採取し、ミンチ状にした軟骨にPRPとトロンビンを混ぜて移植するAutocart(Arthrex社)という一期的に治療する方法や小さい球状に軟骨を培養して欠損部にばらまくChondrosphere(Codon社)という治療法などがありとても興味深いです。

Chondrosphere (Codon社)
Autocart (Arthrex社)

日本で見ない手術としては著しい膝蓋関節滑車低形成(Dejour Type D)に対する滑車形成術Trocleoplastyや肩甲下筋の慢性機能不全に対する自家ハムストリング腱を用いた肩甲下筋再建術は日本ではかなりレアな手術であるのはもちろんのことドイツでも多くない手術なので貴重な経験をすることができました。

シュトラウビングは人口5万人に満たない小都市ですがこの街には1部リーグに所属するアイスホッケーのプロチームがあり市民はその応援でとても盛り上がります。この度、初めてアイスホッケーの試合をスタジアムで観戦して参りました。一番安い立見席チケットを購入しましたが野球の外野席と同様ここが一番盛り上がります。シュトラウビングのチーム名は阪神と同じタイガースで、観戦した試合でも相手チームのサポーターにかなり汚いヤジを飛ばしていてとても親近感を覚えました。

昨年、一昨年と職場の忘年会が中止となりましたが今年はお城を貸し切って行うことになりとても楽しみです。今年は忘れられない年になりそうです。

息子とアイスホッケーの試合観戦
シュトラウビングのフェスト
納涼会はドナウ川のボート上で

スイス

University of Zurich / Balgrist University Hospital

  • 岩井 正
  • 平成22年入会
  • 2024年留学

この度、欧州整形外科学会議(EFORT)の海外フェローシップを受賞し、奨学金をいただき、チューリッヒ大学バルグリスト病院へ海外留学をさせていただきましたので報告させていただきます。

私は、2012年~、骨軟部腫瘍チームに入らせていただき、先生方の御指導のもと、2017年~大学院時代に、がん治療認定医・骨軟部腫瘍医の資格を取らせていただきました。幸いにも、大学院での研究結果を示した博士論文が、大学院3年目の6月にアクセプトされ、別の臨床論文もすでに2年目にパブリッシュされていたことから、3年間での早期卒業が決定しました。ただ、このころから臨床面、特に自分自身で、手術加療・患者対応を十分に施行できるかどうか、強い不安を感じておりました。2015年に、すでに、整形外科専門医取得済であったため、レベルアップ(底上げ)には、フェローシップが必要であることを自覚している時期でした。当初は、国内留学を希望しておりましたが、中村病院長の薦めで、海外フェローシップに応募させて頂きました。

幸運にも、2020年2月に、アクセプトのメールをいただき、病院からの連絡を待っていましたが、新型コロナウイルスの世界的流行により、連絡が来ることはなく、立ち消えたかに思われました。2022年3月頃に、コロナウイルスが落ち着きつつあったタイミングで再度、EFORTへ連絡を入れたところ、最初に予定していた病院は無理ですが、リストの中の病院でのフェローは可能ですと返信が来ました。予想通り、受け入れ病院の決定には時間を要し、2023年1月に正式に、2023年中に留学可能であることが判明しました。

2020年2月の証明書
2023年2月の確認書
 

スイスは、多言語国家として知られていますが、留学先のチューリッヒの公用語は、スイスドイツ語という、スイスで使用されるドイツ語の方言でした。当初、「もちろん英語も通じるやろうし、何とかなるはず」と楽観的に考えていましたが、現実は甘くはありませんでした。チューリッヒでの約10か月の滞在許可を得るため、様々な種類の書類が必要となりますが、その全てにドイツ語での書類(日本の医師免許もドイツ語に翻訳)を求められました。単なる翻訳だけでなく、アポスティーユという文書に対する外務省の証明が必須であり、行政書士の方にも御世話になりました。3か月以内の滞在は、パスポートのみでも可能ですが、その場合は、アパート入居が難しくなり、短期間であっても膨大な費用がかかってしまいます。幸いにも、私自身は、契約させていただいた不動産会社が英語対応可能で、契約時の滞在許可証は不要なこともあって、アパートは運良く容易に見つけることができました。

問題は、まだまだ続きます。スイスの物価は、想像をはるかに超えて高く、住むための費用が異常に高い(さらに、店も基本的に日曜日は休み)ことがあげられます。そのため、必要書類の中に、預貯金の開示も求められます。また、保険加入も必須であり、家族3人で約20万円を毎月支払う必要がありました。チューリッヒ州と保険会社が結託し、チェックを行っており、厳しい印象でした。さらに、滞在許可証の書類審査も厳しく、結果が出るまで時間もかかり、結果が返ってきても、何度も再提出を求められ、忍耐を要しました。この滞在許可に関しては、EFORTおよび病院はノータッチで、基本的に自分自身で行わなければならず、私の中では、至難の業でした。一番ショックだったのが、「EFORT・病院からのアクセプト書類が、滞在許可証の書類には使用不可だったこと」で、なんとかしようとネットサーフィンしていたところで奇跡的に該当書類を見つけ出し、滞在許可証を得た思い出は、今となっては懐かしく貴重だったと感じてます。

2023年10月、トラブル続きで不安のほうが大きくなっていた入国前でしたが、バルグリスト病院でのフェローを開始すると、受け入れていただいたスイス人の先生方の温かい対応もあり、徐々に打ち解けることができました。ただ、スイスの労働時間は、全体的に朝が早く(病院では、カンファレンスが平日毎朝7時から開始、その他の職種でも8時から開始)、午前中のうちに、仕事を一気に片付ける印象でした。仕事が何時に終わるかは、ケースバイケースですが、緊急手術が無いと夕方4時に終わることもあります。私は、基礎研究には関与しなかったのですが、多くの先生方は、仕事終了後、病院内の敷地の別のキャンパスで、研究者の先生方(ETH Zurich)とミーティング・研究を行っていたのも印象的でした。日本での大学院にあたるPhDコース(3年間)も存在していますが、特筆すべきは、医師と研究者が協力し合い、給与や立場も同等である点でした。

チューリッヒ大学バルグリスト病院
バルグリスト・キャンパス
著者の名札
朝の全体カンファ前の光景

基本的に多忙な印象の先生方ですが、比較的長期の休みを取りやすい点も、日本と異なる印象で、休暇期間も一度に2~4週間の取得が可能で、この点は恵まれている印象でした(ただし、スイスの祝日は、日本と比較してかなり少ない)。おそらく、現時点の日本では、仮に医師・その他の医療職の協力は得られても、患者側の問題を考慮すると実現不可能な印象でした。

医療システム・手術設備などは、日本と似ていました。異なる点は、いくつかありますが、中でも、電子カルテに音声認識とAI搭載をしており、マイクで、ぼそぼそ声を出すだけで、一気にカルテが出来上がる素晴らしいシステムが印象的でした。電子カルテは遠隔操作も可能であり、自宅でも、仕事ができるのも魅力的でした。また、研究用に7テスラのMRIも存在していました。医師・看護師の数も、日本と異なります。看護師の数が少なく、外来では、基本的に、受付は、医局秘書の方が対応され、診察・処置・再診・返信書類を含めた対応の大半はレジデントの仕事で、患者の呼び入れは医師が直接声掛けして行うシステムでした。ここで、レジデントの対応をチェック・指導・修正指示し、最終決定の説明を行うのが、教授や指導医の役割でした。病棟でも、医師(主にレジデント)主導で、朝・夕と1日2回の回診が必須で、全体回診(教授含めたチーム毎)も週に1回行われていました。手術室では、さすがに看護師が豊富で、年に約6000件の手術を計9部屋で、朝8時~夕方5時に収まる範囲で、的確に効率よく行っていました。

私自身はというと、スイスドイツ語の世界の中でしたが、大半の先生方に親切に英語対応いただき、外来・病棟での診察の見学・簡単な処置から、手術の手洗い・サポートも許可されました。労働許可がないにもかかわらず、最大限に対応いただけたことは、感謝してもしきれないほどです。また、特筆すべきは、手術全般で、アログラフトが使用され、低侵襲で短時間の手術手技が行われていたことは、日本では目にしない光景でしたが、個人的には、今後導入されていくべきであると思いました。さて、腫瘍チームの手術は、良性なら切除・悪性なら基本的に広範切除のみで、再建が必要な場合・腫瘍用人工関節を要する場合は、膝・股関節のチームが施行する印象でした。理由は、各チームの手術件数・患者数でドクターの配置数も決まっており、マンパワー・収益の問題が大きいことであるみたいです。皮弁や神経・血管縫合を得意とする先生も、普段は股関節チームに所属し、人工股関節手術が主な仕事でした。スイス以外では、イタリアでも、腫瘍チームの手術は、切除のみが主な仕事で、この点も日本とは異なるため、驚きました。さらに、腫瘍用人工関節含め人工関節に関しては、Prof Sandro Fucentese主導で、医師だけでなくバルグリスト・キャンパスの研究者やメダクタの方々が患者毎にオーダーメイドで手術計画しデバイスを作成しているという、通常ならあり得ない位の手厚い医療を行っている点にも、強い感銘を受けました。

研究に関しても、快く許可いただきました。研究内容(後ろ向き研究)は自分で考え、必要書類を作成し(私が英語で作成したものを、指導医の先生にてドイツ語で再作成)、チューリッヒ州での許可が下りた後、自分でカルテを通じて情報収集・データ解析・論文作成する流れでした。ここでも、チューリッヒ州の審査が厳しく、大体2回目か3回目の審査で許可が下りるようで、申請してから3~6か月を要しました。また、臨床研究には、GCP(Good clinical Practice) certificateという資格(日本でも同様に、講習・テストがありますが、スイスでも必須でした)の取得を求められ、なんとか取得しました。ここは、ドイツ語ではなく英語での試験でしたが、そこそこの費用がかかるのがネックでした。病院の先生方は、大学病院だけあって、レジデントを含めて、豊富に論文執筆を行っているのも、特徴的でした。中には、卒後2年目レジデントでありながら筆頭著者の論文を既に20本書いている先生もおられたし、掲載論文がJBJSであることも少なくなく、驚きでした。また、スイスでは、同じヨーロッパ内だけでなく、アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアへ、修行目的で海外フェローシップを行いことが一般的であるとのことでした。私の研究論文は、主に、オーストリアのグラーツ医科大学からフェローで来られていたDr Maria Smolleと一緒に作成しましたが、彼女は、若く精力的に学術活動を行っており、30歳過ぎで、論文100本超(筆頭著者の論文は、なんと50本!!)という凄まじいもので、私なんかと真剣に絡んでいただき、感謝しかありません。病院自体(チューリッヒ大学バルグリスト病院)も、スイス国内では、有名な病院らしく、Traveling fellowshipでアメリカ・カナダ・イギリスから先生が来られ、なぜか私も、食事を御一緒させていただくことになりました。ASG traveling fellowsと紹介され、最初は、意味がわからなかったのですが、どうやら、ASG(Austria-Switzerland-Germany)-ABC(American-British-Canadian) exchange traveling fellowshipだったらしく、これは、日本でいうAOA-JOA exchange traveling fellowshipとのことでした。私自身、場違いな感じがありましたが、非常に貴重な体験をさせていただき、素晴らしい思い出を作ることができました。

私生活ですが、家族と一緒にスイスに移住したため、孤独を感じることは少なかった半面、苦労をかけることも多かったように思います。私自身の我儘に付き合ってくれた妻・息子には、改めて感謝申し上げます。幸いにも、妻は、海外での生活を楽しみにしていたこともあり、息子の日本人学校で知り合った方と、スイスの各都市へ、足を運んで楽しんでいたとのことで、この点は、本当に良かったと感じてます。チューリッヒ日本人学校は、かなり少数(小学部・中学部あわせて約20人、学年によっては1人であることも)でしたが、息子もなんとか慣れることができたことも運がよかったと感じてます。家族で、フェローの合間およびフェロー終了後に、ヨーロッパ各地も旅行することもできました。電車の切符だけ買って、座席指定券を買うのを忘れたりして、数時間立ちっぱなしになってしまったことも、いい思い出で勉強になりました!?また、仲の良いスイスの先生(Dr Lukas Jud)ができたことも非常に幸運でした。おかげで、スイスの整形外科学会がローザンヌで行われた際もLukasの車で一緒に楽しく行けたり、休日に食事を御一緒できたり、そこを通じてスイス人の考え方・文化なども知ることができました。大感謝です!!

特に御世話になった先生方と
Prof Sandro Fucenteseと
Knee Team先生方・研究者の方々と
Hip Team先生方と
Tumor Team先生方と
スイス整形外科学会の宴会にて
ASG traveling fellowの先生方と
マッターホルンを背に
仲良くさせていただいたDr Lukas Judの家族と

以上、重ねて、このような貴重な機会を与えてくださった中村病院長・星先生および腫瘍グループ・同門会の全ての先生方に、心より感謝申し上げます。今回の留学で得た、海外での知見・知識を大切に、今後も臨床・研究・学術活動を行い、最大限に努力してまいりたく存じます。引き続き、御指導・御鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

フランス

Centre Orthopedique Santy / OCM Orthopädische Chirurgie München

  • 中澤 克優
  • 平成28年入会
  • 2024年留学

2024年4月から2024年6月までのフランスとドイツに留学して参りました肩グループ所属、平成28年入会の中澤克優と申します。

留学先ですが、2024年4月から6月までフランスのリヨンにあるCentre Orthopedic Santy(以下、Santy)と、5月の1週間ミュンヘンにあるドイツのOCM Orthopädische Chirurgie München(以下、OCM)に留学をして参りました。

まず、フランスのSantyですが、2019年から2020年に平川義弘先生が留学されていた経緯もあり、SantyのLionel Neyton先生の下で留学することとなりました。

Lionel Neyton先生は、肩の世界的権威であるGill Walch先生とPascal Boileau先生に師事され、現在は、ヨーロッパ肩肘学会(SECEC)のExecutive Committeeも務められている高名な先生です。

まず、フランスの研修の印象ですが、「よく休み、よく働く」です。フランスでは、労働法により、働く人々は年間5週間の年次休暇(有給休暇)を取得することが義務付けられています。Neyton先生も、8月に1か月程度の夏休みを取り、私が留学した期間内にも1か月に1週間程度は休暇を取り、南仏でバカンスを過ごされておりました。

一方で、仕事においては、一週間に12件程度執刀されており、アカデミックな活動も積極的にされていて、オンオフをしっかりされている印象でした。

Lionel Neyton先生とフェロー達

Santyの研修内容ですが、月曜日 外来、火曜日 手術、水曜日 外来、木曜日 手術、金曜日 研究日のスケジュールで研修を行っておりました。

まず、外来ですが、一人の患者さんに対する診察時間の長さが30分程度と長く丁寧でした。フランスでは、専門医と開業医の分業化が進んでおり、Neyton先生のような専門医の受診はハードルが高く、リハビリや普段の診療、画像検査などは開業医で施行するようにシステムが構築されています。そのため、専門医の仕事は、開業医から紹介患者の診察と術後のフォローのみであり、1日に診察する患者数も20人程度と少ないため、ゆっくりと丁寧に診察ができるようになっておりました。さらに、診察においても関節内注射や投薬などの保存加療は、かかりつけの開業医で行うため、専門医が行うことは、手術に関連することのみに限られており、非常にシステマチックな医療体系となっておりました。

手術に関しては、閉創や覆布などの手術準備をすべて看護師が行っており、執刀医の負担がかなり軽減されているようになっておりました。さらに、術後の入院日数も関節鏡や人工関節の初回手術の術後は基本的に即日退院であり、日本の医療システムとはかなり異なっておりました。

また、Santyは、多くの海外フェローを受け入れており、私の期間には、アイルランド人とイタリア人のフェローが研修しておりました。優秀なフェローに恵まれ、それぞれの国の医療体制や肩に関する新たな手術手技について活発に議論でき、刺激的な毎日でした。

次にドイツの研修の印象ですが、「効率的」「コスト意識」「女性医師の活躍」です。私が研修したOCMは股関節のアプローチで有名なOCM approachを生んだ病院で、Santy同様にアジアを中心に多くの国際フェローが研修しておりました。OCMではPatric Raiss先生の下で研修を致しました。Raiss先生は、2024年のSECECのannual congressの会長をされ、肩の手術に関しても年間850例程度を一人でこなされ、人格的にも優れた先生でした。

Patric Raiss先生と

一つ目の「効率的」ですが、フランスでは、手術を2部屋使って一日に7件程度交互に行っておりましたが、ドイツでは1部屋のみで7件を行っておりました。手術の入れ替え時間を効率化するため、前室で麻酔をかけ、待機する方式がとられておりました。また、手術時間に関しても一件当たりの時間が非常に早く、出血量の低下のため、低血圧麻酔を徹底しているのが印象的でした。

二つ目の「コスト意識」ですが、術中に出す機材も最小限にするようになっておりました。例として、日本やフランスでは関節鏡の際に、止血のためにも必ず高周波電気蒸散機器(RF)を使用しますが、ドイツでは、極力使用せず、血圧のコントロールで対処しているのが印象的でした。Raiss先生もドイツは医療経済においてコスト意識が強く、使用部品も最小限にしているとおっしゃっておりました。

最後に、三つ目の「女性医師の活躍」です。ドイツは女性医師が医師の半数程度を占めることが知られており、OCMのフォローも半数が女性医師でした。女性医師の活躍を応援するシステムの一つとして、食事は朝、昼、夕ともに病院で取れるように工夫されおり、

伊藤陽一先生、間中智哉先生、平川義弘先生と
リヨンでのフェローとの交流会

手術室の控室には、いつもパンなどの主食から、チキンやチーズなどの副菜まで常備されているのが印象的でした。そのため、OCMのフェローの多くが、朝、昼、夕を病院で済まし、家に帰ってからは軽食のみで済ますように工夫されており、家事の軽減により、女性医師が活躍できる体制が整っていることを実感いたしました。

フランスの肩の偉大なレジェンド達と
Pascal Boileau先生と

また、今回の留学で最も印象に残った体験としては、6月6日から8日まで開催されたフランスのNice shoulder courseが上げられます。Nice shoulder courseは、世界的権威であるPascal Boileau先生が主催され、世界中の有名な肩外科医が講師として、レクチャーやlive surgeryを行う勉強会です。今回は、私は初めて参加致しましたが、伊藤陽一先生、間中智哉先生、平川義弘先生も参加されました。間中先生と平川先生は、リヨンのSantyにも手術見学を兼ねて、来訪下さり、Santyのフェローとの交流会も開催することが出来ました。また、Nice shoulder courseの最終日に、Pascal Boileau先生のご自宅で開催するafter partyにご招待頂き、世界の名だたる肩外科医と交流が出来、非常に貴重で有意義な体験をすることが出来ました。

今後、フランスとドイツで培った留学経験を活かし、今後の診療、研究に還元出来るように努力して参ります。 最後になりますが、留学の機会を与えて下さりました中村博亮教授をはじめ、同門の先生方、またお力添えいただきました多くの先生方に厚く御礼申し上げます。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。

Centre Orthopedique Santy / Saint Gregoire hospital

  • 平川 義弘
  • 平成24年入会
  • 2020年留学

2019年4月より2020年1月までフランスに留学して参りました肩グループ所属、平成21年度卒の平川義弘です。2019年度の同門会誌に留学三カ月時点での報告をさせていただきましたので、続編になります。留学先のフランスでは2カ所の病院に滞在しました。2019年4月よりフランス第2の都市リヨンにありますCentre Orthopedique Santy(以下、Santy)という病院で、Gilles Walch先生、Lionel Neyton先生に御指導頂きました。また2019年7月からは、かの有名なモン・サン・ミッシェルの窓口になりますレンヌという都市にあるSaint-Gregoire hospitalという病院にてPhilippe Collin先生のもとで6カ月間勉強させて頂きました。そして、年明けに再度リヨンに戻りSantyで研修させていただきました。前年度の同門会誌でも少し述べましたが、フランスは反転型人工肩関節置換術、Reverse Shoulder Arthroplasty(以下、RSA)の生誕の地であり、そのルーツを探る留学生活でした。また不安定性肩関節症に対するLatarjet法が生まれたのもフランスであり、臨床的な手技と、そのマインドや歴史的背景を少しでも獲得することが今回の留学の目的でした。

今回の留学記は、これから海外留学を考えておられる若い先生方へのメッセージとして書かせていただきます。この留学を振り返ってみると色々と思い悩むところがありました。まず、留学に至るまでに最も苦労したのがビザでした。もちろん最初からビザを取得するのにはある程度苦労すると、予想はしていたのでしたが、想像以上に大変でした。これから留学を考えられている先生方は、イギリスを除くヨーロッパ圏には3カ月までの留学に留める事をおすすめします。(イギリスは比較的簡単に6カ月まで滞在できるようです。EU離脱などのごたごたでどうなるかはわかりませんが、、、)私は過去の情報をもとに、考え抜いた上で、ビザ専門の業者に協力をお願いして観光ビザの取得を目指しました。(研究者ビザは、公的な病院でないと必要書類を発行する権限がないようで、過去の実績では観光ビザがまずまずの成功率だったからです。)しかし、年々状況は悪くなっているようでして、私の観光ビザは、渡仏1週間前の3月末に不運にもリジェクトされてしまいました。(観光の合間にフランスの学会に参加するという設定にして、行きもしない学会の参加費を20万ほど払いましたが、だめでした。)なので、ひらきなおって最初はビザがない状態で渡仏し、フランス滞在中になんとかビザの取得を目指すという無謀な計画でのフランス留学のスタートとなりました。しかし、1つ目の研修先で多方面とやり取りしながらビザ取得を目指すという非常に辛い状況で、ビザの事を毎日考えていました。インターネットでみた情報をもとに書類を持ち込んで、フランスの移民局に突撃した事もありました。(窓口ではフランス語しか通じず当然玉砕しました。)また研修中に、多方面とのやり取りのためや面会のために病院を休ませてもらうことも多々ありました。

渡仏3カ月目に、いよいよビザの取得が難しいという局面になったとき2つ目の研修先から「もうお前は来なくていい」と言われた時は本当に絶望し7月からの留学を諦めかけました。しかし、最後まで諦めたらいけないという強い励ましを多方面からいただきまして、なんとか奇跡的に1年間滞在可能な研究者ビザをいただく事ができました。(本当に偶然が重なって、2つ目の病院先の先生のツテで、大学病院の教授を紹介していただき、その大学に滞在するという形での研究者ビザをいただく事ができました。)しかし振り返ってみるとこのビザのゴタゴタのせいで、多大な時間とお金と気力を無駄にしましたので、ヨーロッパ圏に留学するならばビザの事を考えずに滞在できる3カ月以内を強く推奨いたします。実際ヨーロッパ圏以外から留学に来ているフェロー達は、軒並み長期ビザがとれず、3カ月以内の滞在でした。さらに僕みたいに1年も滞在するフェローはいませんでした。しかも時代の流れもあって年々厳しくなっているので、ビザの取得要件が緩和されることはないでしょう。もし万が一ヨーロッパ圏での3カ月以上の留学を強く希望される場合は是非とも平川までご一報ください。相談にのります。必ず力になります。

さて、7月からのレンヌでのPhilippe Collin先生のもとでの留学ですが、研究者ビザが取れたこともあって家族で渡仏しました。(研究者ビザがとれれば、家族は簡単に同行できます。)Collin先生はレンヌの市内中心部に2LDKのアパートをお持ちで、その家をお借りする事ができました。勤務先の病院はそのアパートからバスで30分くらいのところで、バス通勤しておりました。手術の流れや手技的なところはリヨン時代とほぼ同じでしたのでここでは割愛させていただきます。(詳細は2019年同門会誌をご参照ください。)私の家族は嫁と娘3姉妹でして、当時の学年は小学6年、5年、2年でした。渡仏前にせっかく留学するのだからと、現地学校を探していたのですが、結局見つからず現地でなんとか探そうということになりそのまま留学しました。(インターネットで現地日本人お助けサイトなど駆使しましたが、有力な情報は得られませんでした。)現地では週1回の日本語補習校に通いはじめました。(日本語補習校は日本にいた時に申し込んでいました。しかし週半日だけなので他の予定がありません。)幸運なことに、そこにおられた日本人の先生が3人同時に、強引に娘たちを現地の私立学校(インターナショナルではない。)に入学させてくれました。(入学面接の時、入学できると知った時、次女は学校に通うのが不安で悲しくて大泣きしていました。最終的には次女が最も学校生活を満喫していたようですが。)

結局娘たちは9月から12月まで4カ月間フランス人しかいない現地私立学校に通いましたが、かなり大変だったみたいです。あいにくフランス語は全くできませんでしたので、コミュニケーションを取るのもとても苦労したみたいです。しかし、長女は特別に携帯の使用を許可してもらい、グーグル翻訳を介して意思の疎通をなんとか図っていたようで、次女と三女は相槌だけで乗り切ったみたいです。またフランスは小学生が自分たちだけで外を歩くことは禁止されておりまして、親の学校までの往復の付き添いが必須であり、それもまた大変でした。(昼ごはんに家に帰るため、1日2往復、付き添いの親は1日4往復。)子供達にとって、基礎学力ゼロからの語学習得は本当に難しい事だと感じました。(子供の性格にもよると思いますが。ビザの関係でまさか長期滞在できると思っていなかったため、語学の勉強をさせていませんでした。学校に通える年代の子供と一緒に留学するなら英語圏かインターナショナルスクールのある地域がベターでしょう。)

レンヌでの滞在中は比較的時間があり観光もたくさん行けました。特にモン・サン・ミッシェルは大のお気に入りでして3回も行きました。その景色は雄大でして、まさに神秘的で、心が震えるほど美しかったです。(特に日本人が大好きな観光地ですので、毎回、たくさんの日本人がいました。)しかし、ヨーロッパは緯度が高いため、冬になると日照時間が極端に短くなります。朝9時頃に夜が明けるため、子供が学校に通う時間帯は真っ暗でした。寒さは日本より少し寒い程度でしたが、家はセントラルヒーティングがしっかりしているため24時間暖房つけっぱなしで、すごく快適でした。(真冬に一度セントラルヒーティングが壊れて、夜に暖房が止まった時は家で凍え死ぬかと思いました。)夏の留学と冬の留学では、本当に気分がまるで違いますので、半年、3カ月の留学なら迷わずトップシーズンを選ぶべきです。トップシーズン中はたくさん観光に行けましたが、オフシーズンはずっと家に引きこもっていました。

私がこの留学で得たものは色々とありましたが、やはり肩領域を勉強している医師として、聖地とも言えるフランスで肩の手術を勉強できたことは何よりの財産となりました。これから海外での留学を考えられている若い先生へのメッセージとして、臨床留学なら3カ月でも十分です。そしていくならまちがいなくトップシーズンです!(価値が3倍くらい変わると思います。)非英語圏のヨーロッパでもフェローを受け入れてくれる先生は必ず英語が喋れますので、TOEICで英語を鍛えてどんどん積極的に海外留学してほしいと思います。(この留学で、英語以外をあえて勉強する必要はないと強く思いました。)世界をまたにかけて活躍しておられる先生の言葉には重みがあり、強い信念があります。また当然たくさんのフェローを抱えていらっしゃる先生は例外なく人格者であり、その治療に対する姿勢を肌で感じる事により、今後自分が医師として生きる上での医師像が明確に想像出来るようになります。本当に海外留学してよかったと思います。

最後になりましたが、留学の機会を与えて下さいました中村博亮教授をはじめ、同門の先生方、またお力添えいただきました多くの先生方にあらためて厚く御礼申し上げます。この経験を医局に還元すべく精進してまいります。

留学先で仲良くなった東北大学の金澤先生と
スイスのマッターホルン前で
魔女の宅急便のモデルとなった
クロアチアのドゥブロヴニクにて
ポルトガルでの肩関節勉強会に招待講師として
来られていた伊藤先生とその他のファカルティの先生と
わざわざ遠いフランスまで来てくれた
母、妹、甥、姪、娘たちと一緒に
霧のモン・サン・ミッシェルにて
冬のフランス関節鏡学会でゲストに来られていた
東北大学井樋教授と留学先のコラン先生と記念写真