平成26年度 法学部・法学研究科学位記授与式 式辞(2015年3月24日)

法学部長・大学院法学研究科長 守矢 健一

法学士の学位を得て卒業される175名の皆さん、法学修士の学位を獲得された2名の皆さん、そして法務博士の学位を取得された29名の皆さん、おめでとうございます。これから皆さんは、法学士として、あるいはまた法学修士、法務博士の資格を携えた知識人として、それぞれの路を歩んでいかれます。わたくしという貧しい存在を学部長職また研究科長職という仮面に託して、お祝いの言葉を紡いでみます。

卒業式とは別離であり、本日を以てわたしたちは異なった路を歩んでいく。わたしたちはいままさにその岐路に立っています。法学および政治学の基礎と、法学政治学の成立を根柢で支える教養とを身に着けた法学士として、学問的手続の基礎をも習得された法学修士として、また法曹実務を習得するためにも必要な最低限の学問作法を心得た法務博士として、みなさんはそれぞれに羽ばたいていかれる。他方、わたしたち大学教員はこれまで通り、大学という職場にあって研究を続け、教育を続けていきます。大学教員にとって卒業式は年中行事ですが、みなさんにとっては、学位取得を記念するかけがえのない日であり、その重みが違っています。送り出す側のわたくしはあらためて、眩しく輝くみなさんを前にして、わたしたちがみなさんになにをできただろうか、大学における教育とは意味を持つのか、意味を持つとすればどのような意味か、と自問自答せざるを得ません。

大学は最高学府ともいわれ、学校制度の最後尾に位置しています。みなさんは最高学府にまで学校制度の歩みを進めて来られました。大学全入時代などと安易に云われますが、しかし義務教育を受けた者の全てが大学に進学しているわけではなく、大学進学とは異なった路を選択した人びとも少なからず居られます。そのような方々が大学進学者と比較してあたまがわるいなどとは到底言えません。大学卒を要求しない職業領域においても、たとえばスポーツ選手なり庭師なりの職業においても、ある水準を超える業績を残すには、体験に基づく鋭い見通しと知的直観力とでもいうものを欠かすわけにいきません。このような人々との比較において、本日学位の授与を受けたみなさんは、そのことと共に、ある種の知に特に関わる者という刻印を与えられたのです。みなさんは、直接の体験に基づかない、学校制度が切り売りした知というものに特殊の関わり方をする人としてこれからを歩まれるわけです。

教育と言えば学校だ、という想定は、実はそれほど自明のことではありません。むしろ学校教育の歴史は同時に学校教育批判の歴史でもありました。学校における教育は、言うまでもなく学校の教師と学生とのあいだの営みです。学校の教師と学生との間には、肉親と子の親密な関係はありません。特に大学の場合には。授業料を取って教育を施すというやり方は、古代ギリシャのソフィストの営みに遡ります。このソフィストには激しい批判が投げかけられることになります。プラトンによればソクラテスは、ソフィストの教育活動を批判して次のように言ったことを伝えています:ソフィストたちはそれぞれ、あらゆる都市に「おもむいては若者たちを説得し、若者たちは同法の市民なら望めば誰とでもただで交際できるというのに、その者たちとの交わりを放棄させ、金銭を払わせた上で感謝までさせて、自分たちと交際するように仕向けることができるのですよ」(『ソクラテスの弁明』諸冨信留訳、24頁)。帝政期初期のローマにおいてもまた、タキトゥスの手になる対話編において、その登場人物である帝政期初頭の若い元老院議員メッサラが大略次のように言ったことが伝えられています:学校において教師を生業として行っている者が与える、実務感覚を欠いたマニュアル通りで知識偏重の教育よりも、父および父の交友する名士たちが子供に徒弟的に授ける、親密で体験的で、且つ特権的なエリート教育のほうが遥かに有益でもあり品位もあるのだ、と。

このような峻厳な批判は2000年の時を越えて、大学における教育活動の、最大の弱点のひとつの中心を見事に射抜きます。高い学費と引き換えに大学で教育されてきたことどもは、究極のところ役に立たないのではないか、すなわち倫理的実質を欠き、実務感覚も欠いた、切り売り可能な虚しい知識なのではないか、というわけです。この批判に対して、わたしがこの学位授与式にあたって言えることは、それはその通りだ、ということだけです。みなさんの名前と顔とをつなげることすらおぼつかないわれわれ大学教師が如何に工夫を重ねたとて、その影響の程度は、例えば皆さんを支えるご家族の方々からじかに与えられた教育の影響の深さと、比較するも愚かであるに違いありません。
それでも学校教育は廃れることがなかったし、今後も近い将来に消滅することはないでしょう。それは一体なぜか。それは、近代以降の社会の複雑化が、本質的なものとは関係のない、断片的で専門的な知識の習得とその発展とを要求しているからです。本日の学部卒業生の大部分は、東日本大震災の直後に本大学に入学されました。あのような未曾有の災害の直後に、みなさんは嘘のような滑らかさで大学生活をはじめ、これまた嘘のような滑らかさで本日、卒業の日を迎えられました。それは大阪市立大学が、あのような稀有の災害に際して喪に服して大学の機能を停止したりせず、敢えて通常通りの機能を維持し、対するみなさんも、勤勉に学生としての務めを果たしたからです。わたしたちは喪に服して大学の機能を停止する途を選択しませんでした。

大学が提供することのできる知識は、このような大学の機能に応じ、道徳的良心とは無縁の、専門分野ごとに特化され、教え得る、ということは要するに切り売りできる知識に過ぎません。しかしそのような切り売りできる専門知が高度化したのが現代社会であり、その専門知の習得と活用が社会の機能のためには必須となりました。こうした専門知の教育は家庭内ではもはや可能ではなく、大学を頂点とする高等教育機関に委ねるほかはありません。みなさんはそのような教育機関で教育を受ける道を選択しました。現代の社会は、多様な組織が相互に一対一の関係を持たず、相互にずれを孕みながら機能することによって、全体としても機能するという、多中心的なものです。だからこそ、現代社会は、大震災も、その他の大災害も、テロも、経済的なカタストロフも、否、世界大戦すらやり過ごして、生き延びて来ました。現代社会とは絶望することにすら絶望した社会といってもよい。大災害があろうと、証券取引所は冷然と機能し、テロの直後も飛行機は発着を継続します。現代社会は唯一の神を持たず、唯一の真実を持たず、多数の中心を持つ。そのような社会における実務が要求する知識もまた、唯一の真理ではなく、複数的で断片的な知識に違いありません。高度に文脈依存的で体験に密着した知は、その知が生まれた文脈を超えることができないのだから、そのような体験的実践知を携えて激動する社会を泳ぎ切ろうとするのは無謀です。

本日所定の学位を取得し、知に特に関わる者として新たな路を歩まれるみなさんは、好むと好まざるとにかかわらず、現代社会を生きる以上、今後も、切り売り可能な知とたわむれることを強いられます。職業上の先輩の体験談も、それどころか自らの体験も、有用ではあるでしょうが、それが個々具体的な体験に貝のようにへばりつく限り、応用することは不可能です。優れた実務家は自らの体験に固執し過ぎることの危険をむしろ知っているのではないか。また、現代の可能性を、知的闊達を失った者が後生大事に抱える体験に回収させることで、みなさんの知的な若さを窒息させてはなりません。

現代という時代に特有の見通しの悪さそして変化の迅速さを、体験だけを通じて把握することは不可能です。不透明な現代社会をいささかなりとも自覚的に泳ぎ切るには、ある時代と社会とを徹底的に生き抜きながらその時代と社会とを超える洞察に達した知性の残したものを拠り所としなければならない。それが古今東西の古典と言われるものにほかなりません。古典的著作は古典が生まれた社会的文化的文脈そのものと関係を持ちつつもそれを超えるからこそ現在にまで命を永らえ得た、切り売りできる知の宝庫なのです。古今東西の古典は、深い教養を獲得するために必要なのでも、豊かな人格形成のために必要なのでもありません。重苦しい体験ではなく、切り売りできる知を如何に豊富に持つか、そこから如何に豊かで創造的な組み合わせを鮮やかな手捌きで編み出していくか、ひとえにここに将来の展望はかかっています。

大学教師であるわたしたちがみなさんに、本学部・本研究科が提供する単位認定の厳しい講義や演習を通じて教えようとしてきたことの核心はおそらく、古典の宝物殿から、使える知的断片を如何に発見し、自家薬篭中のものにしてゆくかに関わる技術なのでしょう。みなさんはその技術の一端を会得しました。こうして、大学を通過された皆さんとわたしたち大学人とはともに、「さまざまな技術のもとになる燃えさかる火」を盗んだプロメテウスの伝統の末裔に、そしてまたソフィストの伝統の末裔に、近代において、改めて自覚的に連なります。みなさんはこれから外に出て行かれる。風は強い。しかしあなたがたは本学部の卒業生で、切り売りできる知のラディカルな取引所である本学法学部・法学研究科で鍛えられたのだから、知的に生き抜く技術は身についたはずです。そのことにおめでとうとわたしはいいたいと思います。そして、自信をお持ちなさい。それでも、とみなさんは思うかもしれない、大学で与えられた知は技術だといえばいささか味気ないのではないか、と。しかし、火を盗んだプロメテウスの仕業が神ではなく人間への愛に発するものであれば、技術への愛は、愚かしく葦のように脆い個々の人間への愛と、遠くで通ずるものであるに違いありません。

※論文ではありませんから、参考にした文献を一々列挙することはしません。けれども久保正彰が1969年―学生紛争のころ―に公にした「暴力以前―ソクラテスの問い―」(『世界』283号(1969),258-266頁)から、わたしが理解し得た限りを語り継ぎたいという気持ちがあったことを、かくさずに申しておきます。