平成27年度 法学部・法学研究科学位記授与式 式辞(2016年3月22日)

法学部長・大学院法学研究科長 金澤 真理

卒業生の皆様、そしてご家族の皆様、本日は誠におめでとうございます。ご列席の皆々様にはこの日を迎えたことにさぞ深い感慨を覚えておられることと拝察します。

大学での4年間、もしかしたら大学が好きでもっと長くおられた方もあるかもしれません。ご卒業、修了後は様々な分野に羽ばたいていかれることと思います。自分の学んだことを明確に自覚しておられる方もいれば、そうでない人もいるかもしれません。皆さんの卒業、修了にあたり、私たち大阪市立大学の教職員が、教員として、職員として、また人生の少しだけ先輩としてお伝えしようと努めてきたことについてお話しします。

人間を他の生物と区別する指標の一つに言語を使うコミュニケーションがあると言われています。様々な信号や動作を通じて生存に必要な情報を発信する生物もあるかもしれません、しかし、人間は、言語等のコミュニケーションツールを使って、単に生存に必要なものにとどまらない、はるかに多様な文化を伝えるすべを学びました。生きよ、というメッセージが太古の祖先から遺伝子によって伝えられるとするならば、その遺伝子よりも、より着実に、迅速に、しかも単に生存の方法のみならず、他者と共生しつつ、より豊かに生きるための知恵を伝えられるようになったのであります。

こうした先人の知恵や遺産に支えられて、いまの私たちの生活があります。洞窟で野生動物の脅威や飢えにさいなまされなくても、長い時間や労力をかけて水を汲みに行かなくても、便利な生活ができるのはその蓄積のおかげでありますし、(ある程度は)生まれた家の身分に関係なく、また女子であるからと言って進路を絶たれることなく、学びたいことを選択できるのは、かつてそれを闘いとってきた先人の努力があるからです。もとより私たちは、成功体験だけからではなく、失敗や誤りからも学び、次の世代へつながるように、多くのメッセージを伝えようとしています。

法学部、法学研究科で皆さんが学んだことは、そうしたメッセージのうちのいくつかでありましょう。古典に学んだ人もあれば、現実の社会の動静を丹念に調べた人もいるでしょう。あるいはまた実生活において、社会との折り合いのつけかたを苦労しながら身につけた人もいるかもしれません。いずれもあなた方が、時間をかけて勝ち得た、誰からも奪われることのない宝物です。もとより、大学で学ぶことは、決まったメニューをただ覚えて繰り返すことにとどまりません。恩師や先輩が伝えようとしたことを自分なりに咀嚼し、自分の頭で考えていざというときに使えるようになることが大切なのです。その意味では、とりたてて教えられなくても、ゼミの先生や仲間と激論をかわした日々、サークルやバイト仲間とはめをはずした楽しい時間からも有益なことを学んだと言えるでしょう。

「教えるとは希望を語ること」、フランスの詩人ルイ・アラゴンが、クレルモンでナチスドイツの弾圧にたおれたシュトラスブール大学の教授、学生らにささげた歌の一節です。脈々と受け継がれてきた命のバトンを受け取り、今日は倒れても、闘いに明け暮れても、知恵を使って他者と平和に、より豊かに生きよという希望が、教えることにはこめられています。アラゴンはさらに続けます。「学ぶとは誠実を胸に刻むこと」。そのメッセージを確かに受け取り、次の世代へと預かること。しかし、人は教えられたことをすべて学ぶとは限りません。また、その必要もありません。教えることと学ぶこととは一件相互的に見えて、実際には非対称のことがらです。教えられることのうち何を学ぶかは学ぶ側が主体的に選び取ることでもあり、また偶然の事情に左右されることでもあります。しかも、その成果は必ずしも即座に表れるわけではありません。
昨年のことですが、卒業後、東日本大震災後の復興、特に子どもの支援に携わっている卒業生の方にお話を聴く機会がありました。授業やゼミで「これをしなさい」と言葉や文章で直接教えられたことではないかもしれないけれど、彼女の話には、丁寧に指導にあたってこられた先生の姿、姿勢がまるで彼女を通してすけて見えるかのように見事に反映していて、その教えに応え、大学時代に自ら考え、主体的に学ばれたことが、今の行動に実を結んでいることがわかり、たいへん嬉しく思えました。

言葉にならなかったものも含めて、私たちが伝えたかった希望のメッセージを、あなたたちはどのように受け止めましたか。あなたたちは何を胸に刻みましたか。それがわかるのは、もしかすると5年後、10年後かもしれません。それがわかる日を心から楽しみにしつつ、私からのお祝いの言葉といたします。本日は、本当におめでとうございます。