平成29年度 法学部・法学研究科学位記授与式 式辞(2018年3月22日)

法学部長・大学院法学研究科長 勝田 卓也

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。ご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

皆さんは、4年間の学びを終えました。法学部では、専門科目90単位、全学共通教育科目を合わせて128単位を取得することが必要です。大阪市立大学の法学部の単位認定は非常に厳しいという世評があります。きっと、どうしてこの科目の単位が認められなかったのか、納得できない経験をした方も少なくないと思います。このような厳しい要件を満たしたのですから、卒業生の皆さんは自信を持ってそれぞれの道に進むことができるはずです。大学院を修了した皆さんも同様です。
大学を巣立ち、社会を支える重要な役割を担う皆さんに、法学部長・法学研究科長としては、月並みではありますが、卒業後も学び続ける姿勢・気持ちを維持して頂きたいと思います。卒業生の皆さんの多くは、民間企業の社員として、あるいは公務員として仕事をされると思いますが、そうした日常の中でも、法学部で学んだ様々な知識や理論を活かして頂きたいのです。
おそらく、専門科目の知識が、皆さんのこれからの社会人としての生活の中で直接役に立つことはあまりないでしょう。変化の激しい時代では、あまりにも多くの知識が非常に短いサイクルで消費されてしまいます。しかし、皆さんは、相当な時間をかけて、法と政治に関わる様々な問題についての理解力、分析力、想像力、表現力などを高めるトレーニングを行ったのです。この経験は、今後世の中がどのように変化しようとも、決して無駄にならないはずです。
大学での学びが実社会でどのように活かせるのでしょうか。私自身の専門分野から、20世紀中頃のアメリカの人種差別の問題についてお話しをさせて下さい。アメリカでは19世紀中頃の南北戦争を経て奴隷制が廃止され、憲法が平等権を保障します。しかしその後100年間、人種分離は平等権を侵害しないという理解に基づいて、州の法律によって人種分離が強制されました。最高裁判所も、この理解を当然のごとく受け入れて、1896年のプレッシー判決において、人種分離を強制しても平等権は侵害されないと判示しました。
このため黒人は憲法の保障にもかかわらず、実質的には差別され続けました。法的には人種分離を強制され、経済的にも劣悪な環境で生きることを強いられました。こうした状況を変えようとした人々は、最初は政治部門に訴えます。しかし、黒人はマイノリティーですから政治を動かすことはできません。彼らは視点を変えて、憲法訴訟によって社会改革を行うことにしました。政治プロセスでは多数派に負けるとしても、憲法理論で武装して、人種分離が憲法違反であるという判決を勝ち取ろうとしたのです。
NAACP(全米有色人種地位向上協会)という人権団体が訴訟活動を遂行します。はじめの頃はチャールズ・ハミルトン・ヒューストンという黒人弁護士が中心になって、その後は、黒人大学であるハワード大学でヒューストンの指導を受けて法学を学んだ、やはり黒人弁護士のサーグッド・マーシャルが、裁判所、最終的には連邦最高裁を舞台に法廷闘争を行い、1954年に、ブラウン判決という画期的な違憲判決を勝ち取ります。以後10年間は全米が人種問題をめぐって激しく揺れ動き、公民権運動が最高潮を迎えます。有名なキング牧師が活躍した時代です。1964年に画期的な公民権法が成立し、法律上人種差別は許されないことになりました。最高裁での勝利から10年後、かつて敗北し続けた政治部門において黒人側が勝利を収めたのです。
ブラウン判決と公民権運動の関係については様々な見解があります。判決が公民権運動を高揚させたという評価がある一方で、判決はむしろ政治的反動をもたらしたとか、経済的不平等を改革のアジェンダから消してしまったという見方もあります。しかし、判決が少なくない人々に、奴隷制度廃止以後1世紀を経ても人種差別が解消されていない状況を認識させたことは間違いありません。もし黒人弁護士が政治改革の停滞に絶望し、最高裁の先例を覆す努力をしなかったなら、アメリカの黒人は自らのイニシアチブによる社会改革を実行できなかったかもしれません。彼らが法と政治について想像力を働かせること怠っていたら、公民権法は、実際にそうなったような形では成立しなかったかもしれません。彼らの行動の基礎には、法理論についての広範な知識や国際的な視座も踏まえた政治的動向への鋭い洞察があり、自分たちの主張を知的な方法で表現する力も備えていました。それらがなかったなら、原則として先例を守る義務を負う最高裁の裁判官が先例を変更することはなかったでしょう。

この例は、いささかダイナミックすぎて実感しにくいかもしれません。しかし、2つの意味で皆さんに覚えておいて欲しいと思います。
1つは、現在正しいとされていることが、常に、絶対に正しいわけではないということです。20世紀前半のアメリカでは人種分離が当たり前でした。そのような認識が変化するためには、数十年の期間を要しました。われわれは、どうしてもマーシャルやキング牧師のような指導者に目を向けがちですが、社会の認識の変化は、指導者だけの努力で成し遂げられるものではありません。人種分離制度の妥当性に疑問を持ち、それを変化させるための法的・政治的な意味や手段について理解していた市民が相当数存在していたからこそ、公民権法は成立したのです。高い水準の教育は、偏見を排除します。
もう1つ重要なことは、大学で学んだ法律や政治についての知識は、自分が身を立てるためだけのものではないということです。過去の多くの民主主義国家が、扇動的な政治家によって独裁制に、あるいは機能不全に陥ったことから明らかなように、民主主義というのは実はかなり危険な政治制度なのです。民主主義社会を健全に運営するためには、法律や政治の基本的な仕組みをきちんと理解して、自分自身の利益だけではなく、弱者を含む社会全体に目配りできる市民が相当程度の割合で存在している必要があります。社会科学についての基本的な知識や法的論理、そして他者の置かれた状況や考え方についての想像力の裏付けのない信念ほど危険なものはありません。みなさんこそ、法学部・法学研究科で身につけたこれらの力によって、これからの日本社会において自律的な判断能力を有する市民として民主主義を担う中核となるのです。それは各種の選挙での投票行動だけではなく、職場で業務を行う中で、あるいは家族や友人との日常的な会話の中でも実践できるはずです。先ほど例に出したアメリカの弁護士のようにわかりやすい形ではなくても、法と政治について一定の見識を持って誠実に行動することは、きっとできるはずです。その精神性において、彼らをモデルとした生き方はできるはずです。

最後に、やや唐突に聞こえるかもしれませんが、ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの「インヴィクタス」――ラテン語で屈服しないという意味なのですが――という詩の一節を皆さんに送りたいと思います。ヘンリーは19世紀イギリスの詩人なのですが、子どもの頃病気のために脚を切断するなど、様々な困難に直面した人です。インヴィクタスは次の、非常に有名な一節によって結ばれています。

It matters not how strait the gate どれほど門が狭くても
how charged with punishments the scroll どんな罰を与えられようとも
I am the master of my fate 私の運命を支配するのは私自身
I am the captain of my soul 私の魂の指揮官は私自身

この詩は、後に南アフリカ共和国の大統領になったネルソン・マンデラが27年もの長きにわたる投獄生活の中で心の支えとしていたものです。クリント・イーストウッドがメガフォンをとった映画で知っている人もいるでしょう。皆さんが卒業後理由の如何を問わず投獄されることがないことを、私は心から願っておりますが、将来何か大きな困難に直面したときには、自分自身の意思と行動力で乗り越えて頂きたいと思います。そのための基本的な力は、法学部・法学研究科において身につけたはずです。ちなみにマンデラ氏は、若い頃法学部を出て弁護士として活動した後に投獄されるのですが、収監中、怪我や病気に苦しみながらも、通信課程によって新しく法学士号を取得しています。まさに、学び続けて、アパルトヘイトの廃絶、社会正義の実現を目指した人でした。 マンデラ氏の生き様は感動的です。これを範としたいのですが、皆さんがこれからの人生で、本当に苦しい状況に陥ってしまったら家族や友人に助けを求めることは必要ですし、上司や有力者に対して反対意見を言うべき状況や表現方法については慎重に判断する必要があるでしょう。世の中には強烈な個性を発揮するタイプの人もいれば、比較的調整を重視するタイプの人もいます。個性は尊重されるべきです。しかし、短期的な見かけの調和を常に優先したり、基本的な価値判断を常に他人任せにしたりする人は、残念ながら民主主義社会における市民の役割を十分には理解していないと言わなければなりません。このような人ばかりでは、民主主義の将来は危ういものになってしまいます。皆さんには、法学部・法学研究科での学びを基礎として、実務の中でも学び続けることによって、より良い社会を切り拓く気概を持ち続けて頂きたいと思います。
最後に、繰り返しになりますが、ご卒業おめでとうございます。教員を代表して言わせていただきます。私たちは、同じ時間と空間を共有してきただけではなく、それぞれの立場でやるべきことをやってきた同士です。皆さんの今後の活躍を大いに期待しています。授業を担当してきた私たちとしては、皆さんが卒業後も、市大法学部・法学研究科を心のよりどころとしてもらえたら、卒業後も学問について対等な立場で語り合える関係を維持できれば、こんなにうれしいことはありません。