平成30年度 法学部・法学研究科学位記授与式 式辞(2019年3月25日)

法学部長・大学院法学研究科長 勝田 卓也

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。ご家族の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

皆さんは、60年以上の歴史を持つ大阪市立大学法学部・法学研究科において法学と政治学の基本的な、あるいは専門的なトレーニングを完了しました。このことを、本日は素直に喜んでいただきたいと思います。皆さんは、今後の日本社会の中核を担い、あるいは国際社会で活躍するような可能性を持つ貴重な人材です。大阪市立大学法学部の卒業生の皆さんには、自分自身の実績に誇りをもって、潜在的な可能性を、自分だけのためではなく、社会全体のために活用することを期待したいと思います。このことを理解していただくために、私自身の経験から話をさせてください。

私はヴァージニア大学ロー・スクールで勉強する機会を得ました。ヴァージニア大学の日本における知名度は必ずしも高くないのですが、この選択は、結果的にとても幸運なことでした。結果的に、というのは、実は留学を決めたときには、ヴァージニア大学の何が優れているのか、恥ずかしながらよく知らなかったのです。私は当初雇用差別の勉強をしようと思って、当時この分野で一定の知名度を持っていた研究者が在籍していたヴァージニア大学を留学先に選んだのですが、そこでいくつかの授業を聴講するうちに、アメリカ法制史の授業に強い関心を持つようになりました。これも恥ずかしいことなのですが、当時気鋭の憲法史研究者として全米で名声を高めつつあった、今では押しも押されもせぬ第一人者のマイケル・クラーマンの存在を、授業を受けて初めて知ったのです。

クラーマンという人の研究がどのようなものなのか、少し説明が必要です。クラーマンはアメリカ憲法・憲法史の専門家です。クラーマンは、有名なブラウン判決の歴史的意義を見直す画期的な研究を進めました。どのような意味で彼の研究が画期的だったのでしょうか。それは、法の支配と憲法訴訟の意義についての従来の考え方に、根本的な疑問を提起したことにあります。

一般的に、民主主義と違憲立法審査制度との間には緊張関係があると考えられています。民主主義は政治制度としては、多数者が少数者を抑圧する危険をはらんでいます。それを阻止するのが憲法の基本的人権の保障であり、裁判所であるということになります。アメリカの最高裁がそのような英雄的な役割を発揮したのが、1954年のブラウン判決だと考えられています。南北戦争が終わってから100年たっても州法による人種分離制度が強制されていたアメリカの南部で、憲法が保障する平等権を根拠として裁判を起こした黒人が最高裁で勝利を勝ち取り、1960年代の公民権運動を高揚させ、そのことによって世論が変化して1964年の公民権法の成立を促したという見方が一般的です。

クラーマンはこのような見方に対して、基本的な疑問を投げかけます。まず、実証的に、ブラウン判決がアメリカ社会に及ぼした影響を再検討します。ブラウン判決については従来、それが公民権運動を促したという素直な見方と、判決がほとんど社会に影響を与えなかったという見方が提示されていました。そのような学説の状況の中でクラーマンは、ブラウン判決は公民権運動を、反動という逆説的な形で促進した、しかし、公民権法成立の時期を早めるほどの意味を持っていたわけではなかったという画期的な学説を提示します。彼の学説の歴史学的な意義を説明する時間はありません。ただ、その研究が、膨大な調査によって裏付けられた、非常に実証性の高いものであることを強調しておきます。

クラーマンの研究の理論的、あるいは、法学・政治学上の意義はどのようなものなのでしょうか。それは、違憲立法審査権によって政治的弱者の基本的権利を保護するべきであると考えられている、そして、そのような役割を果たしてきたと考えられているアメリカの最高裁判所が、実際には、真の意味での少数者を保護することはできないという命題にあります。法は多数決ではなく、論理によって支配されるべき学問です。アメリカの最高裁は、ブラウン判決をはじめとする記念碑的な判決によって政治部門の暴走を抑制してきたと考えられえています。しかし、もっとも優れた法制史研究者の実証的な研究によれば、最高裁は結局、政治的多数派の意思を実現する程度のことしかできません。なぜそうなのかというのは、簡単には説明できないのですが、判決が多数派の支持するものでなければ、あるいは、判決への反対が非常に強ければ、裁判所の命令は実現されません。法的論理は、実際にはそれだけでは政治的な現実を排除することはできません。このことを実証したのがクラーマンです。

ただ、規範的な問題として、裁判所が政治的弱者を保護するべきであるという命題には依然として魅力があります。にもかかわらず、裁判所がもっとも大きな存在感を発揮してきたアメリカにおいて、裁判所が実際には世論の多数派の意見を実現する程度の役割しか果たすことができなかったという知見は、規範を旨とする法学研究者とって、非常に重要な指摘です。裁判所に社会正義の実現を期待するよりも、政治をよりよくすることが重要だということかもしれません。

クラーマンは非常に親切な人で、留学中の私にとても親切にアドバイスをくれました。私が日本に帰国してからも、英語で書いた拙い論文の草稿に、非常に懇切なコメントをくれたりしました。学者としての卓越性と、人間としての完成度の高さを体現した稀有な人物だと思います。

ヴァージニアで、もう一人の天才的な法学研究者に出会いました。ウィリアム・スタンツという刑事法学者です。実は、私がヴァージニア大学に留学していたころには、スタンツのことはよく知りませんでした。もちろん、非常に優れた研究者であることは聞いていたのですが、私はその当時法制史に夢中だったので、スタンツの授業を受けていなかったのです。ところが、たまたま、ある日本人研究者がヴァージニア大学を訪問したときに、スタンツに話を聞きたいというので、私がその方とスタンツのインタビューをアレンジしました。

その日本人研究者はアメリカの陪審制度についての研究をしていて、アメリカの刑事法研究者に陪審制度について話を聞いてみたかったそうです。スタンツは、陪審裁判は非合理的な結果を招く、陪審ごとに有罪無罪が変わる、といった理由で陪審制度に批判的な見解を表明しました。その場で私は、統計的に変数として分析できないファクターを総合的に評価するのが陪審の役割なのではないかと指摘したところ、スタンツは、少し考えたうえで私の意見を批判しました。私としては、スタンツのような優れた研究者に一瞬でも考えさせただけでもうれしかったことを記憶しています。スタンツはその後、ハーヴァード大学のロー・スクールに移籍しました。ちなみに、さらにその後クラーマンもハーヴァードに籍を移しています。

私はその後帰国し、大阪市立大学に就職しました。就職後何年かして、スタンツががんにかかったこと、そして、非常に重い病状の中で、とても素晴らしい著書を刊行したことを知りました。The Collapse of American Criminal Justiceという本です。この本は、クラーマンによって、かつて刊行された法律学に関する著書の中でもっとも優れたものの1つであると評されています。私自身感銘を受けて大阪市大の法学雑誌にかなり詳細な紹介記事を書きました。本当に素晴らしい著書だと思います。ちなみに、この本は実際にはスタンツの死後に、クラーマンたち友人の助けを得て出版されました。巻末の、スタンツの家族によるクラーマンらへの謝辞も印象的です。

スタンツの著書は、刑事法の専門家でありながら、刑事法の問題だけではなく、憲法や政治制度についての、非常に大きな問題を、歴史的、実証的に、そして何よりも多面的に扱っています。その素晴らしさをもれなく紹介したいところなのですが、時間に制約があるので、陪審制度に関する議論だけ紹介します。

スタンツにインタビューしたときには、スタンツは陪審制度についてかなり批判的でした。この時私は、有罪無罪を判断するために考慮すべき多様な事項を統計的に整理することは不可能であって、陪審員の直感に委ねるべきことがあるのではないかと発言しました。私の記憶によればスタンツは、それは一回限りのアクターである陪審ではなく、裁判官に任せるべきであると言っていました。市民の判断よりもプロの裁判官の判断が優れているという考えだったと思います。

ところがその後スタンツは、アメリカの刑事司法の全体像を再構築する中で、この考えを変えたのです。アメリカは、いわゆる先進国の中ではもっとも犯罪が深刻な国です。犯罪発生率は高く、受刑者の数は極度に多い状況です。法定刑が重くなったことで検察官の交渉力が強化され、ほとんどすべての刑事裁判は答弁取引で処理されます。刑事司法における人種差別の問題も深刻です。アメリカの刑事司法制度は崩壊してしまったけれども、これを修復するためにはどうすれば良いのかという非常に大きな問題に正面から立ち向かったのがスタンツの著書です。この本の中でスタンツは、アメリカの刑事司法を修復するための処方箋をいくつか提示しますが、その1つが陪審裁判の増加なのです。

アメリカの陪審裁判は、皆さんもおそらく映画の『12人の怒れる男』をご覧になったことがあると思いますが、一般的には非常に高い信頼を得ています。良識ある市民が、法律の専門家が見過ごしがちな問題に注目して冤罪を防ぐとか、陪審員を務めることによって政治的な意識が向上し、民主主義社会における模範的な市民となるとかいったイメージです。しかし、現在ではアメリカの刑事裁判のほとんどは有罪答弁で処理されていて、陪審審理は行われていません。有罪判決の95%以上が有罪答弁によって下されていて、陪審審理が行われるのはごく例外的な現象になってしまっています。被告人が無罪を主張して陪審審理で有罪とされた場合には、陪審審理を受ける憲法上の権利を放棄して、検察官との間での取引に応じた被告人よりもずっと重い刑が宣告されます。

なぜ陪審審理が行われなくなってしまったのかについては、様々な原因が指摘されています。スタンツは、最高裁による規制が厳しすぎることを問題視します。陪審裁判では、法律の素人である一般市民が適切な判断を行えるように、様々な手続的なルールがあります。違法な証拠の排除とか、誘導尋問の禁止とかいったルールです。こうした規制はもちろんある程度は必要なのですが、規制が多すぎれば、陪審審理一件あたりのコストが上昇します。最高裁は、たとえば、科学的な証拠を鑑定した書面の提出では不十分であって、科学的な証拠を判断した専門家本人の出頭を求めます。これは、被告人に不利な証言を行う者に、被告人が直接質問する機会を与えなければならないことを要請する、憲法の対面条項に基づく憲法判断です。このようなことを要求すると、一件の陪審審理にかかるコストが上昇します。刑事司法制度全体が負担できるコストには限界があるので、一件あたりのコストが上昇すれば陪審審理の数が減少するのは、訴訟経済学の観点からは当然です。スタンツは、このような、あまり意味のない憲法上の規制を最高裁が行うことに、疑問を提起します。最高裁は結局、目先の問題を適切に処理しているように見えるけれども、陪審審理の減少という、より大きな問題を生じさせてしまっているというのです。

スタンツは、陪審審理を増加させるためには、法律家の頂点に立つ最高裁の裁判官が規制を控えるべきであるといっています。しかし、なぜ陪審審理を増加させる必要があるのでしょうか。先ほど私は、スタンツはそもそも陪審員の能力を信頼していなかったといいました。彼はどうして考えを変えたのでしょうか。それは、アメリカにおいて厳罰化が行きすぎたのはなぜかという問題を真剣に考えたからだと思います。

アメリカの刑罰は20世紀後半から、非常に厳しくなりました。なぜ厳罰化が進んだのかというと、議会が法定刑を厳しくしたからです。なぜ議会が法定刑を厳しくしたのかというと、犯罪が社会問題化して、犯罪に厳しい態度をとる政治家を有権者が選択するようになったからです。有権者の意向を政治部門が反映することは、それ自体ごく自然です。しかし、政治部門を動かす力を持つ有権者と、実際に犯罪が多発する地域に住んでいる住人は、必ずしも一致しません。政治的影響力を行使する有権者は、しばしば郊外の治安のよい地域に住んでいて、新聞やテレビで凶悪犯罪を目にして、犯罪対策を重視します。他方、犯罪が多発する地域に住む貧しい住民は、比較的政治には無関心です。政治が自分たちの暮らしをよくすることなどそもそも期待できないのです。このため、政治部門には、犯罪多発地域の住民の肌感覚が反映されません。犯罪問題を抽象的にとらえて、とにかく厳罰で臨むという強気な政治家が選ばれやすくなります。

法定刑が厳しくなると検察官の交渉力が強化されます。検察官は陪審審理を回避して、答弁取引によって有罪判決を獲得します。アメリカでは検察官は多くの場合選挙で選ばれるので、有力な有権者を見ています。その結果、政治主導の刑事司法は、ひたすらに厳罰化の方向に進みます。では、陪審審理が行われたらどうなるのでしょうか。

陪審員は原則として犯罪発生地の住民から選ばれます。犯罪が多発するような地域に住んでいる陪審員は、犯罪者の人間像を具体的にイメージすることができます。自分の家族や近しい地元の友人知人が犯罪を犯したら、あるいは被害を受けたら、という状況をイメージすることができるのです。これは、陪審員の任務との関係では非常に重要なことです。法律の専門家であれば、形式的な要件を満たすのであれば有罪として、重い刑を選択しなければなりません。しかし一回限りのアクターである陪審員は、評決に対して何ら責任を問われることはありません。したがって、市民感情に即した無罪評決を出しやすいのです。もちろん、犯罪多発地域の住民がむやみやたらに無罪とするといった事実があるとか、そうするべきであると言っているわけではありません。ただ、たとえば夫から長年にわたって深刻なDV被害を受けていた女性が、泥酔して暴力をふるって寝込んでしまった夫を殺害するに至ったような事件において、陪審なら超法規的に無罪とすることができるのです。こうした想像力は、郊外に住んでいる裕福な人々が犯罪問題を論じるとき、犯罪問題も含めて様々な社会問題を考えたうえで投票行動を行うとき、そのような有権者によって選出された政治家が、犯罪者に対して一層厳しい法案を審議するときには、十分に考慮されないでしょう。こうした政治プロセスの歪みが過剰な厳罰化を進行させてしまった原因であり、しかも厳罰化によって治安が良くなっているとは考えられない状況が存在するという悲劇的な現状を生み出しているとスタンツは考えました。

有罪答弁による刑事裁判では、被告人は自らの言い分を公の法廷で聞いてもらうことができません。有罪答弁は、大量の事件を文字通り機械的に処理するのです。このようにして生み出された大量の受刑者は、自らに厳しい刑が宣告された手続に納得することができません。納得できなければ、彼らに対する刑罰は、懲罰の意味しか持ちません。刑罰には、応報だけではなく、予防の目的もあることは皆さんご存知の通りです。受刑者を納得させられない刑事司法は十分な抑止効果を持ちません。スタンツは、地域の正義感覚を反映する陪審を活用することが刑事司法再生のカギの一つであると言っているのです。  スタンツはこのように、アメリカの刑事司法が抱える大きな問題に正面から取り組んで、非常に大きな功績を残しました。こうした優秀な研究者を50代前半という若さで喪ったことは、アメリカ刑事法学界における極めて大きな損失です。

さて、私はクラーマンとスタンツという2人の、私がもっとも尊敬する法学研究者の業績を紹介しました。卒業式でこのような話をしたのは、卒業する皆さんに私なりのメッセージを伝えたいからです。メッセージは、大きく分けて2つあります。1つは法と政治の関係をどのように認識するべきなのかという問題に関連します。もう1つは、彼らの学問上の業績ではなく、人間性から、大学人として知っておくべきことがあるのではないか、ということです。

まず、法と政治の関係についてなのですが、クラーマンもスタンツも、もっとも優れた法律家である最高裁裁判官の熟慮の上での判決について、研究者の立場から判決が及ぼした政治的な影響を考慮したうえで、かなりの程度批判的な見解を提示しています。アメリカの最高裁裁判官は、100万人の法律家の頂点に立つ優秀な人たちであることは間違いありません。また、アメリカの最高裁は、人種分離制度を撤廃することに寄与したブラウン判決のような、非常に素晴らしい、理想主義的な行動をとることによって、アメリカという国を適切な方向に導いたと考えられています。そうした、法律家による法律家への信頼に対して、かなり基本的なレベルで問題提起しているという点で、彼らの業績は特筆するべきです。

法と政治の関係性について、私が皆さんにお伝えしたいのは、法律家ではない一般市民が法的政治的な問題に関心を払うべきであるということです。優秀な弁護士、検察官、裁判官に、法的な領域の仕事をすべて任せてしまってよいのでしょうか。アメリカの経験からは、必ずしもそうするべきではないと考えられます。ブラウン判決は大きな反動を引き起こしました。刑事司法についての最高裁判決は陪審審理の減少を促して、結果としてアメリカの刑事司法が崩壊する一因となりました。法律学のエリートがアメリカ社会を望ましい方向に導いたのか、大いに疑問の余地があります。また、陪審裁判に関するスタンツの知見からは、一般市民の考えを尊重するべき側面があることがうかがえます。

卒業生の皆さんは、様々な進路に進まれることでしょう。法科大学院に進んで法学の知識によって日本社会、国際社会で指導的な役割を果たす方もいるでしょう。公務員として法と政治にかかわる重要な職責を担う方もいるでしょう。民間企業で、様々な試練に立ち向かいながら、それぞれの意味で重要な役割を果たされる方もいるでしょう。他方、卒業後の進路が決まっていなくて、あるいは決まっているとしても何らかの理由で戸惑いを感じていて、自信を持てない方もいるでしょう。そのような皆さんに対して、私は、すべての方が、民主主義社会の重要な構成員であると言いたいと思います。大阪市立大学の法学部・法学研究科で学んだことは、法律家や公務員にならなくても、民主主義社会を支える市民として活用してください。法律家や高級官僚は専門的知識を持っているからといって傲慢になるべきではありませんし、市民の側も、法律家や政治的エリートの行動に常に緊張感をもって対処しなければなりません。民主主義を支えるのは市民の質です。民主主義は、市民の質が高いことを前提とした政治制度です。大阪市大の法学部・法学研究科を経た皆さんには、この意味で、最上級の市民であることが期待されます。

もう一つ、クラーマンとスタンツの人柄です。クラーマンは、日本法にはさして関心を持っていない彼にとっては付き合っても何の得もないうえに、アメリカ法についての学識についてはクラーマンよりもずっと乏しい私を、少なくとも形の上では対等な存在として扱ってくれました。本当に立派な人だと思います。

スタンツは、もちろん誠実な人なのですが、別の意味で面白い人です。スタンツには、その人柄を示す様々なエピソードがあります。一度ヴァージニア大学のロー・スクールの受験に失敗して一年間シャーロッツヴィルのリゾートホテルでアルバイトをして一年後に入学したとか、入学後しばらくはさえなかったけれどもある時期からメキメキと実力をつけたとか、卒業後ヴァージニア大学ロー・スクールに教員として採用されたころに、同僚を車に乗せていたけれども運転が下手すぎて同乗していたクラーマンたちに命の危険を感じさせたとか、非常に優秀な研究者なのだからテニュアは当たり前にとれるはずなのに、テニュア審査の一年前くらいからテニュアを獲得できないのではないかという、スタンツの実力を知っている人からしたらばかばかしい妄想に取りつかれたとか、テニュアを獲得してすぐに、非常に例外的に人事関係の責任を任されたとか、同僚の論文の草稿を奪うようにして読み、的確なアドバイスを与えたとか、とても人間臭いエピソードがたくさんあります。実はこうしたエピソードは、スタンツがもう永くないことがわかったころに当時スタンツが所属していたハーヴァード・ロー・スクールで開催されたスタンツの業績を讃える会でクラーマンたちが披露して、ハーヴァード・ロー・リビューという法律学の分野では世界でもっとも掲載するのが難しいであろう学術雑誌に、スタンツの死後、追悼記事として掲載されています。スタンツがいかに愛されていたのかを知ることができます。

私がこうしたエピソードを紹介したのは、競争の非常に厳しいアメリカの法学者の中でも功成り名を挙げた例外的に優秀な研究者である彼らの人柄が、本当に尊敬に値するということです。厳しい競争社会の中でも他人のために時間を惜しまず、無償で他人のために時間を使ってくれるのです。クラーマンは私のような無名の外国人の論文に懇切なコメントをくれました。彼がきちんとドラフトを読んでくれたことは、コメントの内容からわかります。スタンツは、同僚の論文の草稿を読ませろと要求したそうです。大学人は、質の高い学問を流通させるために、目先の利害関係に左右されることなく堅実に行動するべき存在です。スタンツの誠実さについてもう一つだけ付け加えれば、彼は、陪審制度の是非という問題について、大きく立場を変えました。研究者が基本的な問題について立場を変えることは勇気を要します。そのことは、陪審というアメリカでは非常に重要な問題について、彼が長年、様々な角度から真剣に考え続けたことを意味します。

大学人とは何者なのでしょうか。私たち大阪市立大学の教員も、学生も、そして職員もすべてが大学人です。厳しい競争を強いられたり、時間的なゆとりがなくなったり、精神的身体的に大きなストレスにさらされたりしても、自分を見失わず、他人の意見を尊重して、しかし同時に他人に簡単に流されることなく、結論を急がずに基本的な問題を考え続けること、そして、そのようなことを可能とするような制度的な条件を確保することが大学人の使命です。それは、民主主義社会の質を高めること、そして、お金や数字に換算できない何かを大切にする、精神的な意味で豊かな社会を作ることにもつながります。

以上で式辞に代えさせていただきます。あらためて、卒業おめでとうございます。皆さんがそれぞれの場面で、本学で学んだことを活用して、様々な意味で豊かな生活を営むことを期待します。