令和2年度 法学部・法学研究科学位記授与式 式辞(2021年3月24日)

法学部長・大学院研究科長 安竹 貴彦

本日、学位記を手にされた皆さん、ご卒業おめでとうございます。

コロナ禍により大きな変化を余儀なくされた日常のなかで、不安を抱えながらも勉学や研究などに邁進され、みごとに本日を迎えられた皆さんに、法学部・法学研究科の教職員を代表して、心よりの敬意と祝意を申し上げたいと思います。
残念ながら式に御出席いただくことはかないませんが、ご親族やお世話になった方々も、今日という日をさぞお慶びのことと思います。ちょっと照れくさいかもしれませんが、直接でもSNSを通じてでも構いません。少しの感謝の言葉とともに、逞しく成長した皆さんの姿を、ぜひ見せて差し上げてください。
ご卒業、本当におめでとうございます。

いまからちょうど10年前の今日、2011年3月24日、私は法学部長・研究科長として、当時の卒業生の皆さんに、はなはだ拙いものではありますが、次のような二つのことを申し上げ、はなむけの言葉とさせていただきました。

〇主体性をもって着実に、しかし肩の力を抜いて日々を歩むこと
困難な時代に社会へと歩み出す皆さんには、自分を見失うことなく、主体性を持って日々を堅実に生きていただきたい。これからの社会のために自分がなすべきことを考えるのもとても大切ではあるけれど、自らの課題に日々取り組みながら、よく笑い、悲しみ、好意には素直に感謝の意を表し、不条理には大いに憤ってほしい。皆さんが存在し日々を豊かに歩むことこそが、大きな社会貢献に他ならない。
ただし、頑張りすぎないでほしい。周囲から寄せられる大きな期待のなかで、限界まで自分を追い込まざるを得ない状況に直面した際、もし「撤退」という選択肢が残されているのなら、時にそれを選ぶことをどうか恐れないでほしい。
自身の軸と視線がブレてさえいなければ、再度その困難に向き合うこともできるだろうし、新たな解決の糸口が見えるかもしれない。人生を悠々と、かつたっぷりと生きることを心がけていただきたい。

〇リーガルマインドを涵養し続けること
法学部が提供する各種の講義・演習は、考察対象やアプローチの方法は異なっていても、すべて「リーガルマインド」へと通じており、皆さんの内側には、すでに「リーガルマインド」がじゅうぶんに備わっている。そして、それは皆さんが持つ強力なアドバンテージである。
たとえ、「リーガルマインドを獲得した」という自覚がなくとも心配することはなく、きっかけさえあれば、ちゃんと発動する。ただし、それを大きく育てるためには、主体的な情報収集、批判的な吟味と分析、自問自答、他者を尊重した議論などをたえず続けることが不可欠である。
ときには周囲からの賛同が得られず、揶揄や非難を浴びせられることがあるかもしれない。しかし、信念を持って粘り強く-時に肩の力を抜いて深呼吸して-新たな糸口を探りつつ、ある種の「したたかさ」と勇気を持って将来に臨んでいってほしい。

ご承知のように、この10年前の卒業式の少し前に東日本大震災が発生し、甚大な被害と危機的状況を全国的にもたらしました。当時の社会には沈滞の空気が重く暗く立ち込めていました。
将来に大きな不安を抱えながらも、これからの社会で再建の中心を担うであろう卒業生たちに贈った、私からのたいへん稚拙ではありますが、精一杯の祝辞でもありました。

さて、本日、卒業を迎えられる皆さんに私からお贈りする言葉は、「初心忘るべからず」です。
これは、通常は「最初の志を忘れてはならない」という意味で使われます。「初志貫徹」に近いでしょうか。
実は、この「初心忘るべからず」という言葉は、室町時代に能を大成させた世阿弥が、その著作「風姿花伝(ふうしかでん)」や「花鏡(かきょう)」のなかで記した教えが、現代にまで伝わったものであることをご存知でいらっしゃったでしょうか(「秘すれば花」も同様な言葉として有名ですね)。
しかし、世阿弥が「初心忘るべからず」という時、「最初の志を忘れてはならない」とはいくぶん異なる意味合いで使われているようです。
世阿弥は、芸能者には人生の折々にいくつもの「初心」があると説きます。彼によれば、たとえば「是非の初心(ぜひのしょしん)」「時々の初心(じじのしょしん)」「老後の初心(ろうごのしょしん)」があると言うのです。
すなわち、芸が上達してようやく世間に知られるようになった青年期、芸が完成して絶大な名声を博している壮年期、老いてこれまでのような体力・気力の充実が到底望めない老年期、それ以外にも節々に「初心」が不可欠であると彼は説きます。これまで経験したことのない様々な事象に直面した際、その誘惑や試練を乗り越え、より芸の高みへと上るための心構えとでもいうべきものを世阿弥は「初心」という言葉で表現し、「初心を忘れれば、元の未熟な自分に返ってしまう」と戒めているのです。
「初心」とは、現代にいう「初志」とは異なるものであることがお分かりいただけたでしょうか。若い頃に持った「最初の志」は、若いがゆえにひょっとすると未熟なものであるかもしれません。「初心」は、絶頂期にあって慢心しそうな時や困難に直面した時など、そのそれぞれの場面に即した柔軟なものであるべきなのでしょう。
ただし、「初心」は柔軟ではあっても、軟弱なものでは決してありません。「初心」の「初」は、「衣へんに刀」と書きますが、これは衣を作るはじめの裁断、転じて、物事の「はじめ」の意を表す。(角川「新字源」)と、まっさらな布に刃物を入れようとする時を表わした漢字です。
もし裁縫のご経験がなければ、たとえば、まっ白な半紙に筆を下ろす瞬間、あるいは新品のノートを開いて、あらたまってペンで何かを書く時の気持ちを少し思い出してみてください。厳粛さや今後への期待とともに、過去を断ち切ることに対する一種の虞れにも似た感情が入り交じり、ちょっと複雑な気持ちにならないでしょうか。 つまり、世阿弥が「初心」という際、生半可ではなく、これまで長いあいだ自分が培ってきたものをすべて捨て去るほどの覚悟をも求めているように思われます。「初心」とは、実はたいへんな「勇気」をともなうものともいえるでしょう。
もちろん、長年にわたって磨き蓄積してきた芸が、本当に全て消え去ってしまうわけではありません。「初心」の覚悟を持って折々にさらに研鑽を重ねることで、たとえ老いたとしても芸は新たな境地に達することができる、と世阿弥は確信していたのです。
このような世阿弥の著作が、単に「芸能論」にとどまらない魅力のひとつは、その主張が「人生論」や「学問論」など、様々な分野にも通ずる普遍性にあるからでしょう。
たとえば、時の経過を横軸に、体力・気力・知力の総計を縦軸にして、人の一生を線グラフにするならば、なだらかな山のような曲線を描くのではないでしょうか。皆さんの大半はいま、最初の曲線を上がっていく途中でしょう(残念ながら、私はもう下りの曲線です)。ピークの期間は人によって異なるでしょうが、生物としての人間は、この上昇と下降の曲線を辿らざるを得ません。
しかし、その曲線の折々に大きな刺激を入れることで新境地を開き、漫然と時の過ぎ行くままに一生を終えることに勇気を持って抗い、時に複線化しようという試みが「初心」なのかもしれません。

それゆえに私は、この「初心忘ることなかれ」を皆さんに贈りたいと思うのです。
皆さんの前途には、多くの希望と困難が待ち受けています。順風満帆の時にこそ「(世阿弥の説く)初心」を忘れず、さらなる高みを目指してください。
また、困難に直面した際、それを克服しようとする努力は必要かつ尊いものではありますが、「努力さえすれば全てが解決する」ほど物事は単純ではありません。行き詰まってしまい、どうしても打開できそうにない時には、これまでの努力と成果をいったん断ち切る覚悟と勇気をもって、「初心」にかえるという選択肢も考えてみてください。
それは「困難から逃げる」「面倒に背を向ける」ように思えるかもしれませんし、周囲の目や評価も気になるかもしれません。しかし、いったん思い切って「断ち切ってみる」ことで、新たな段階への糸口や更なる高みが見えるかもしれないのです。
そして、これからの皆さんを常に強固に支えるのは、言うまでもなく「リーガルマインド」です。われわれ法学部の教員たちは、皆さんと一緒になって、在学中の皆さん自身をしっかりと耕し、肥沃な土壌としたうえで「リーガルマインド」の種を丹精込めて植えました。もう芽吹いて若木になっている人もいらっしゃるでしょうし、まだ種のままの方もいらっしゃるかもしれません。

今日からは皆さんがそれぞれに、これまでとは異なる場所と環境で育てていくことになります。放っておいても枯れることはないでしょうが、ご自身でさらに耕し、肥料を入れて水をやり、陽の光にあててやることで、より太く逞しく育っていきます。そして、それは皆さんが何度「初心」にかえろうと、決して「断ち切る」ことはできないのです。
今後も皆さんのなかにある「リーガルマインド」を育て続け、その強さとしなやかさを信じ、必要な時には勇気と覚悟と自信を持って、どうぞ何度でも「時々の初心」にかえってください。
(注)
ただし、法律職に就くのでない限り、「どうです。この見事に育ったわたしの『リーガルマインド』凄いでしょう?」と、しょっちゅう周囲に見せびらかすことはなさらず、ご自身のなかで慈しんで育てておいて、ここぞという時に出すのが良いかもしれません。まさに「秘すれば花」です。)

賢明な皆さんは、すでに私がお伝えしたいことに気付いておられることと思います。
結局、10年前の卒業生にお話し申し上げたことを、少し形を変えて今回も皆さんへの「はなむけの言葉」としたに過ぎません。10年経ってもまったく更新のない、まさに悪しき「初心」の典型例といえそうです。
それでも、もし今後、「初心にかえる」とか「初心忘るべからず」といった言葉を聞く機会があった際に、「そういえばコロナ禍のなかで行われた卒業式で配られた学部長の祝辞に、なにやら書いてあったっけ・・・」と少しでも思い出していただけたなら、これに勝る喜びはありません。
大阪市立大学法学部・法学研究科は、もうすぐ大阪公立大学法学部・法学研究科へと変わりますが、その真髄は脈々と受け継がれていきます。われわれ教職員にとっても、法学部・研究科にとっても、大学統合とは、勇気をもって「初心」にかえるひとつの機会なのかもしれません。
皆さんがこの大阪市立大学法学部・法学研究科で学ばれた年月は、最後の約1年間は通常と異なる形になったとはいえ、とても貴重な得難い経験であったことに変わりはありません。どうぞ自信と誇りを持って歩みだしてください。
そして、皆さんが「初心」を忘れそうな時、「時々の初心」を持ちたいと思った時、あるいは育成中の「リーガルマインド」に元気がなくなったような気がする時、「初心を忘れない」法学部・研究科はいつもここに存在しています。
ぜひ、また近いうちにお目にかかりましょう!